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2010年3月

2010年3月28日 (日)

マーラー 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」 名盤

Mahler1000 マーラーは7番目の交響曲に副題として「ナハトムジーク(夜曲)」と名付けました。もちろんこれはドイツ語です。英語なら「ナイト・ミュージック」。今ひとつ品格が有りませんね。(笑)
さて、モーツァルトの名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が「小夜曲」ならば、こちらはさしずめ「大夜曲」です。この曲はマーラーの作品の中では余り一般的ではありません。他の作品に比べて、ことさら悲劇的なわけでも無いですし、歓喜にむせるわけでも有りません。この曲にはそうした、とらえどころの無さを感じてしまうからでしょうね。事実、プラハで行われたマーラー自身の指揮による初演の際にも、聴衆のほとんどは音楽を理解できずに拍手もまばらだったそうです。

マーラーの妻アルマは著書「回想と手紙」の中でこの曲に関して次のように記述しています。

「1905年の夏にマーラーは第7交響曲を一種の熱狂の中で書き上げた。その《見取り図》と彼が呼んでいたものは、既に1904年の夏にできていた。二つの夜曲の楽章を書いているときには、アイヒェンドルフ的な幻想が彼の念頭にただよっていた。ちょろちょろ流れる泉、あのドイツ・ロマン派的情景が。その他の点では、この交響曲は標題的ではない。」

アイヒェンドルフというのは後期ロマン派の詩人です。彼の文学の特徴は、当時の芸術家や思想家を襲ったのと同じ、機械文明の急速な発達の結果引き起こされる、新しいものと古いものとの狭間に落ち込み、引き裂かれる人間の苦悩です。またそれは、美しい田舎に生れ、故郷を愛していたにもかかわらず、都市生活を送らなければならかった人生の悲哀でもあるのです。その故郷喪失感は《さすらい》というイメージをとって表現されるのです。実はマーラーも自らを「私は三重の意味で故郷の無い人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人として、ドイツ人の間ではオーストリア人として、全世界の中ではユダヤ人として、どこに行っても歓迎されることは無い。」としばしば語っていたそうです。

第7交響曲は、そうしたロマン的な雰囲気に溢れた純粋な器楽曲です。この曲は全5楽章構成で、真ん中の第3楽章がスケルツオ、その前後をはさむ第2、第4楽章が「夜の歌」、そして両端の第1、第5楽章がアレグロです。これは、同じ5楽章構成の第5交響曲と構成的によく似ています。第4楽章は「夜の歌」といってもセレナーデなので、伴奏楽器をイメージさせたギターとマンドリンが効果的に使用されています。こうした珍しい楽器も使用されますし、この曲には革新性が大いに有ります。たぶんそれは当時交流のあった若きシェーンベルク達の新しい音楽を非常に意識してのことだと思います。
それにしてもマーラーの各交響曲の個性、構成の多様さにはつくづく感心します。この曲は、比較的聴く回数は少ないほうですが、この楽曲にどっぷりと浸っているうちに、やはり名作だなぁ、と感じます。

この曲の実演は一度、ロス・フィルの本拠地のウォルト・ディズニー・ホールでサロネンの指揮で聴いたことがあります。清涼感のあるロマンティシズムに覆われた非常に聴き易い演奏でした。

それでは僕の愛聴盤のご紹介をしてみます。

417wz0xe5el オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア(1968年録音/EMI盤) 破格の曲の破格の演奏として昔から有名な録音です。この曲の初演の際には、本番直前までマーラーが楽譜を修正しようとしたので、弟子達が必死にオーケストラ譜の書き直しを手伝ったそうです。その弟子の中の一人がクレンペラーです。当然、本番の演奏を聴いているに違いないクレンペラーの解釈は無視できません。それにしてもこの演奏は破格です。今にも止まりそうなほどに遅いテンポで巨大なスケールです。果たしてマーラー自身のテンポはどうだったのかは分かりませんが、両端楽章などは、正に『肥大化した後期ロマン派楽曲の終焉』という雰囲気そのものです。2つの「夜曲」の深みも底無しです。これは絶対に聴いておかなければならない演奏です。

Koba_marh7 ラファエル・クーべリック指揮バイエルン放送響(1976年録音/Audite盤) この演奏はクーベリックのグラモフォンへの全集盤ではなく、ミュンヘンのヘラクレスザールでのライブ録音です。全体は比較的速いテンポで子気味良く進みます。遅く重い演奏に慣れていると、やや速すぎるようにも感じますが、決して腰が軽くせわしないわけでは有りません。オケの響きもドイツのオケらしく落ち着いた厚い音色なのが嬉しいです。クーベリックの指揮の表情の彫りは深いですし、マーラーの音楽への共感が有るので聴き応えにも不足しません。普段重すぎる演奏ばかり聴いている場合のカンフル剤として非常に良い演奏だと思います。最初にこの曲に親しむのにも適しているかもしれません。

41idj7dczrl__sl500_aa300_ ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS盤) マーラーはかつてウイーンの国立歌劇場の監督でしたが、その割りに交響曲のどれもにウイーン・フィルの録音が多いわけでは有りません。特に7番には少ないので、ウイーン・フィルの演奏が聴けるこの録音は貴重です。やはりアメリカや他の国のオーケストラと比べると、管楽器や弦楽器の音の柔らかさが際立っていて大変に魅力的です。マゼールの指揮もけっして派手過ぎずに、ゆったりとオケの特色を生かしています。沈滞する部分の音楽の持つ情緒も実に美しく描かれていて、これはウイーン・フィルならではなぁ、と感じずには居られません。両端楽章も少しも騒々しくならずに響きが美しいです。気になるのはスケルツォ主部のリズムが鈍くやや魅力に欠けるぐらいですが、欠点というほどでは有りません。ウイーン・フィルのマーラーは、やはりかけがえのないものです。 

Erte7 レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1985年録音/グラモフォン盤) ニューヨークでのライブ録音です。マーラーを最も得意とするバーンスタインですが、不思議と出来栄えにはムラが有ります。この演奏は成功のほうです。全体的に表現が非常に彫りが深いですし、両端楽章の熱気と脂の乗り具合はマーラーの音楽をもはみ出している気もしますが、聴き応えという点でやはり破格の演奏です。2つの「夜曲」はクレンペラーのように沈滞するわけではなく、もっと喜びの感情に満ちていて、これはこれで魅力的ですし、うって変わった中間部の情緒にも事欠きません。終楽章がやや明るく健康的に過ぎるような気もしますが、実際にそういう曲ですから否定は出来ません。終結部の迫力も随一です。ライブ演奏ですが、オケも録音も優れています。

6591749ggガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1990年録音/EMI盤) ベルティーニのマーラーはどれも明るく健康的です。けれども決してノー天気というわけではなく、ユダヤ的な粘りとロマンティックな雰囲気を持ち合わせています。ケルン放送が非常に驚くほど緻密で美しい音を出しているのも、にわかに信じ難いほどです。テンポは速めですが、拙速な印象は無く、逆に流れの良さを感じます。この長大な曲が退屈する間もなく次々と進行します。やはり素晴らしい演奏です。

410ay0z7z5l クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1993年録音/EMI盤) 最も優れたマーラー指揮者の一人のテンシュテットは円熟期に喉頭癌に犯されたために引退しました。その後は一時的に復帰して指揮台に立ちますが、その時の演奏は正に自らの余命を意識した壮絶なものでした。EMIに残されたライブの第6と第7はその代表的な演奏記録です。手兵のロンドン・フィルは大抵の録音で力量不足を感じさせますが、この演奏では全く感じさせません。楽団員が「テンシュテットの棒でマーラーの演奏を行えるのもこれが最後かもしれない」という命がけの大熱演を行っています。クレンペラーの巨大さにも迫るスケールの大きさに加えて、そんな楽員達の思いが乗り移った素晴らしい演奏です。

Medium_image_file_url小林研一郎指揮チェコ・フィル(1998年録音/CANYON盤) 「コバケンはマーラーに限る」と言いたいほど、この人のマーラーは好きです。東京で演奏会が有るときには必ず駆けつけるようにしていますが、手兵の日本のオケにはどうしても力量不足を感じてしまいます。その点チェコ・フィルであれば文句なしです。クレンペラーやテンシュテットの巨大さ、重圧さ、グロテスクさを持ち、かつ現代的な機能性を兼ね備えてまとめあげた素晴らしい演奏だと思います。ロマンティックな雰囲気も充分ですし、時にドラマティックに歌いまわしたり、大見得を切るのも実に堂に入っています。もちろんチェコ・フィルの美しい音を忠実にとらえたCANYONの優秀な録音も強みです。

1391382 ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管(2005年録音/ワーナー盤) 全体的にテンポは早めですが、せわしない印象は有りません。むしろ適度にロマンティックで粘りのある表情なのが現代的で良いでしょう。演奏にはグロテスクさを余り感じさせないので、この曲が確かに「交響曲」であることを意識させます。ベルリン歌劇場の音色も伝統的なドイツの音の名残を残していますし、過剰なまでの機能性は感じませんので、僕はむしろアメリカのオーケストラあたりよりも好きです。録音も新しく、細部の楽器の動きがよく聞き取れるので、初めてこの曲に接する場合には馴染み易いのではないかと思います。但しこの曲の真価を表わしているかというと疑問です。

この曲の場合は、なかなか好きな演奏を絞り込むのが難しいです。そのいずれにも良さが有るからです。けれども絶対に外せない演奏は、やはりクレンペラー盤です。そしてバーンスタイン、テンシュテット、マゼール、ベルティーニ、コバケンが後に続きます。

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2010年3月22日 (月)

アンスネス&ノルウェー室内管弦楽団 日本公演

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土曜日夜中の凄まじい春の嵐も治まったので、作日はレイフ・オヴェ・アンスネスのコンサートを無事に聴きに行けました。会場は新宿のオペラ・シティです。アンスネスを実演で聴くのは初めてなのですが、彼のデビュー直後の録音のグリーグのピアノ協奏曲やシューマンの独奏曲はとても気に入っていました。何しろ音楽的なセンスが抜群だったからです。その彼もいまや40歳になって、今回はノルウェー室内管を弾き振りしてのモーツァルトのピアノ協奏曲ということですので、聴き逃せませんでした。しかも、とっても心が弾むプログラムです。モーツァルトが生れ故郷のザルツブルクでのコロレド司教の官僚的な監督下からやっとのことで離れられて、音楽の都ウイーンに移り住んだ頃の傑作作品を並べているので実に魅力的です。これはもう、聴く前から期待で一杯になってしまいます。演奏曲目は順番に変更が有りましたので、実際には次の通りでした。

①モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」K.385

②モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番K.488

③グリーグ:「ホルベルク組曲」

④モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番K.491

このコンサートがユニークなのは、2曲のピアノ協奏曲はアンスネスがピアノを弾きながら指揮をしますが、交響曲「ハフナー」とグリーグは指揮者無しでコンサート・マスターのイザベル・ファン・クーレンがリードします。

そして、その実際の演奏ですが、「ハフナー」でまず気が付いたのは、ほとんどノンヴィブラート奏法である事です。これはやはり古楽器を意識しての演奏なのでしょう。ヴィブラートを行わないとどうしても「音の痩せ」につながりますから、その分を速いテンポで、アクセントを強くつけていました。その結果、躍動感の有る音楽を聞かせてくれました。ただし指揮者がいないことによって、アンサンブルの自発性は生れますが、逆に細部の表現付けにやや物足りなさを感じてしまいます。

2曲目のピアノ協奏曲第23番ですが、僕はこの曲は最後の第27番と並んで大好きです。アンスネスの指揮ぶりはオーソドックスですが、アクセントと表情に随分と気を使っているのに、しばしばハッとさせられました。そしてピアノ独奏ですが、16分音符を全てかっちりと聞かせるドイツ/ウイーンの伝統的な弾き方ではありません。といって現代的に快速で音符をパラパラッパラッと弾き飛ばす弾き方でもありません。どちらか言えば後者に近いのですが、アンサンブルと溶け合うような目立ち過ぎない柔らかい音なので好感が持てます。曲そのものをじっくり味わうことができました。それにしても23番は良い曲です。休憩後の第24番も弾き方は同じです。ただし曲の性格から、更にデモーニッシュな面が強調されても良かったかな、とは思いました。

1曲だけグリーグの「ホルベルク組曲」が有りますが、これは母国ノルウェーの作曲家の作品という事でサービスでしょう。演奏は弦楽のみですが、さすがに素晴らしかったです。メンバーが自発性に溢れて力強く、かつ自然に弾き切っていて、「ああ、これがお国ものというものだなぁ」と感じ入りました。

アンコールは2曲でした。1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第14番の第3楽章です。この、まるで初期の作品のようなシンプルかつチャーミングな曲も良いですね。2曲目は、アンスネスの独奏でショパンの嬰ハ短調ワルツでした。あっさりとさりげなく弾いているのに、とても味わいのあるセンスの良さに感心します。彼のピアノ・ソロ・コンサートを聴きたくなってしまいました。

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2010年3月11日 (木)

ブルックナー 交響曲第6番イ短調 名盤

Bru156 ブルックナーは第5交響曲において、孤高の高みに一気に到達しました。それは後期3大交響曲である第7、第8、第9にも引けを取らないほどの傑作です。それでは、その傑作群の狭間となる第6番の位置づけは果たしてどうなのでしょうか。一般のクラシック音楽ファンはもちろんのこと、よほどのブルックナー・ファンでない限りは、この曲はまずお聴きにならないと思います。その一方で、熱烈なブルックナー・ファンの間では後期の曲に準じる人気が有りますし、第2楽章アダージョに限っては本当に美しく魅力的な音楽です。けれども曲全体を見渡してみると、どうしても大傑作の5、7、8、9番と比べると聴き劣りします。よほど優れた演奏でないと曲の魅力が余り伝わって来ないのです。

この曲は1883年に何故か未完成のまま第2、3楽章だけがウイーン・フィルによって演奏されました。その後1899年にマーラー指揮のウイーン・フィルが全曲初演を行いましたが、その時には相当の楽譜のカットが有ったそうです。でも聴いてみたかったですよね。マーラーの指揮でしたら。結局、完全な全曲初演が行われたのは1901年のウイーンだそうです。

第1楽章 マエストーソ この楽章は不思議な曲です。弦の特徴的なリズムが厳格に刻まれた後に、同じリズムを打楽器が引き継ぎ、その上を派手な金管によって主題が奏されますが、それが何だか映画「ベン・ハー」とか「スパルタカス」、あるいは「信長の野望」か何かのテーマ音楽のように聞こえるのです。僕は正直言って、この部分は未だにそれほど好きになれないでいます。ところがそれが一転して弦による美しく深みの有る曲想に変わります。どうもこの大きな落差にとまどうのですね。

第2楽章 アダージョ これは後期のブルックナーにも通じる深遠な雰囲気を持つ絶美の曲です。ほの暗く深い寂寥感を感じさせますが、真に魅力的な楽章ですので何度聴いても飽きません。

第3楽章 スケルツオ このスケルツオ楽章は主題がシンプルで楽しいです。但しトリオは色々な主題の寄せ集めのようで、何となく散漫な印象を受けます。 

第4楽章 快活に/速すぎず この楽章の主題として出てくるファンファーレも随分と派手です。この楽章にもまとまりの無さを感じてしまうのです。恐らく第1、第4楽章の作曲が遅れてしまった理由はブルックナーに良いインスピレーションが沸かずに苦労したからではないかという気がします。

この曲の所有CDはそれほど多くは有りませんが、ご紹介します。

Bru_yoh06 オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送響(1966年録音/グラモフォン盤) グラモフォンへの一度目の全集の中の演奏です。僕が最初に買った演奏でした(アナログLPでしたが)。バイエルン放送の音はブルックナーに良く適しています。弦楽はとても瑞々しいですし、金管の音も柔らかく溶け合っています。特に第3楽章アダージョは深い情感を湛えていて非常に美しいです。深い祈りを感じさせます。残りの楽章も素晴らしく、全体的にとても良い演奏だと思います。

Cci00010 ラファエル・クーべリック指揮バイエルン放送響(1970年代/METEOR盤) 海賊盤ですがクーベリックのブルックナーの録音は少ないのでご紹介しておきます。同じバイエルン放送でも指揮のせいか、ライブのせいか、力演になっています。1楽章は金管を大いに鳴らしていますし、ティンパニーも強めなので幾分騒々しく感じます。2楽章も悪くは有りませんが、ヨッフムのあの深みと比較をしてしいますと少々分が悪いと感じます。3、4楽章でもオケをよく鳴らしていますが、ここでは騒々しくなるぎりぎりの所で踏みとどまっています。この海賊CDの録音は良好です。

9101bc9bc5aa51ad68815093ee6a489c1 オイゲン・ヨッフム指揮ドレスデン国立管(1978年録音/EMI盤) ヨッフム二度目の全集の中の演奏です。当然グラモフォンの旧盤との比較になるわけですが、この新盤は弱音部で音が痩せ気味なのがどうも気になります。金管も何となく引き締まっていない気がします。全体的にドレスデンの美しい音が上手く生かし切れていません。第2楽章の深みもバイエルン盤に比べると大分劣ります。録音についても、むしろ旧盤のほうが明快で優れています。この曲に関してはグラモフォンの旧盤を選ぶべきだと思います。

Cci00029 オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1980年録音/TAHRA盤) ヨッフム/コンセルトへボウのライブ選集に含まれています。第1楽章では金管を強く吹かせているにもかかわらず、派手過ぎには感じません。むしろ厚い響きによる音楽の充実感が素晴らしいです。これは名門コンセルトへボウでこそなし得る業でしょう。第2楽章も音楽がどこまでも深みに入ってゆくようで実に感動的です。第3、第4楽章の音楽の充実度も素晴らしいです。この演奏で聴くと第6番の良さが最も感じられますし、曲の品格が一段上がった感じがします。録音も優れているのでもっと広く聴かれると良いのですが、埋もれた感じで大変残念です。

Buru6 セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1991年録音/EMI盤) チェリビダッケの晩年の演奏はどれも遅過ぎて息苦しくなり嫌いだと、さんざん書きましたが、この曲に関してはそれほど遅くはありません。また、ライブにもかかわらず非常に良く整った響きの演奏はさすがです。特に2楽章の主部の耽美的とも言える美しさはとても魅力的です。けれども1楽章や4楽章のような、ブルックナーとして演奏の難しい音楽になると、”音響体”としての響きの凄さは有っても、ヨッフムのようなブルックナーの良さは余り感じられません。従って何度も聴きたくなる演奏ではありません。

41pakvk0anl__sl500_aa300_ スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮ザールブリュッケン放送響(1997年録音/ARTE NOVA盤) スクロヴァチェフスキーはギュンター・ヴァントと同時代を生きてどちらもブルックナーを得意としました。指揮者としての名声はヴァントの方がずっと高いですし、それは誰も否定できません。けれども、スクロヴァチェフスキーにも非常に良い演奏が有ります。その代表格がこの第6番の演奏です。全体的に響きが美しく、第1楽章も少しも派手に陥りません。第2楽章の美しさ、祈りの深さも傑出しています。第3楽章も中間部が非常に美しいです。終楽章も豪快な感じは有りませんが、その代りに実に美しい演奏です。この演奏は非常に気に入っています。

以上の中の僕のベストは、ヨッフム/コンセルトへボウ盤です。但し、これは単売されていないと思いますので、これから購入されようという方にはスクロヴァチェフスキー盤を是非お薦めしたいと思います。それに、もう一つ上げるとすれば、ヨッフム/バイエルン放送響盤です。

この他では、ヴァント/北ドイツ放送も良かったのですが所有をしていません。あとは余談になりますが、第1楽章が最も派手で正に「スパルタカス」を感じさせるのは、ハインツ・ボンガルツ/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(Berlin Classics)です。ブルックナーの音楽には全く聞こえないこの演奏を推薦している音楽評論家がおられたのには正直言って驚きました。

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2010年3月 7日 (日)

歌舞伎 「金門五山桐」―石川五右衛門―

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昨日は雨の中を、今月5日から国立劇場で公演されている「金門五山桐(きんもんごさんのきり」を観に行ってきました。誰にでも御馴染みの天下の大泥棒石川五右衛門を主役とする歌舞伎芝居です。何しろこの「金門五山桐」の初演は安永七年(1778年)なのですね。モーツァルトの最初の本格的オペラ「イドメネオ」が作られた1780年の2年前です。

石川五右衛門は安土桃山時代の京都に実在した盗賊集団の大親分で、三条河原で釜茹で処刑されたというのは事実だそうです。この作品では、大胆不敵にも天下人の太閤秀吉と渡り合った話が中心です。そもそも五右衛門が捕らえられたのも秀吉の寝首をかこうとして失敗したからだとも伝えられています。しかもそれも事実だという説も有るようです。なんとも大胆な大泥棒ですよね。時代を超えてその名を知られるのもよく理解できます。

この歌舞伎の最も有名な場面「南禅寺山門」では、五右衛門が山門の上で煙管をくわえながら満開の桜を眺めながら「絶景かな、絶景かな」のセリフを言います。それから太閤の羽柴秀吉をもじった真柴久吉(ましばひさよし)(笑)と対峙します。この場面だけでももう充分楽しめます。

五右衛門は中村橋之助、太閤には中村扇雀という配役でした。橋之助さんの大見得切りはやっぱりほれぼれしますね~。つづら抜けの宙乗りも見事でした。しろうと歌舞伎ファンにとっては、こういう解り易い場面はやはり楽しみ易いのですよ。

僕の観たのは3階の三等席でしたので料金は僅か1500円です。さすがは国営文化事業ですね。それに3階と言っても、劇場はさほど大きくないので、大ホールのオペラ公演でいえばA席程度のとても見易い距離なのです。有り難いじゃないですか。せっかく我々の税金で運営されているのですから、これは観に行かなければ損と言うものです。この公演は今月27日までです。

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2010年3月 5日 (金)

マーラー 交響曲第6番イ短調「悲劇的」 名盤

Alma05マーラーは毎年夏になると指揮者としての仕事は休暇を取って、ヴェルター湖畔の別荘で作曲を行うことにしていました。そして1904年の夏にこの別荘で完成させたのが、交響曲第6番です。愛妻アルマがこの時の様子を著書「回想と手紙」の中で語っています。

「夏は美しく平穏で楽しかった。マーラーはようやく完成した第6交響曲を(ピアノで)弾いてくれた。第1楽章の大きく、天翔けるような主題はスケッチが仕上がった頃に話してくれた、私(アルマ)をある主題の中に焼き付けておこうとした、というそれだった。第2楽章では、砂の上で遊んでいる子供達の情景を表現しようとした。ところが恐ろしい事に、子供達の声はしだいに悲しげなものになり、しまいにはひとすじのすすり泣きとなって消えてゆくのだ。終楽章では、英雄が運命の打撃を三度受けて、最後の一撃が木を切り倒すように彼を倒すと語ってくれたが、その英雄とは彼自身のことなのだ。この曲ほど彼の心の奥底から直接流れ出た作品はほかに無い。あの日、私達は2人とも泣いた。それほど深く私達はこの音楽とこれが予告するものに心を打たれたのだった。第6交響曲は彼の最も個人的な作品であり、しかも予言的な作品である。彼は彼の一生を《先取りして音楽化した》のだ。」

これがこの曲の全てであると思います。この曲は真に感動的な傑作ですが、それはマーラー自身の本当の心の音楽、人生の音楽だったからです。曲について付け加えることは何も有りませんが、楽章構成についてだけ触れておきます。

この曲は古典的な4楽章構成で、第1楽章と第4楽章がアレグロですが、問題となるのは中間の二つの楽章の順番です。マーラーが曲を完成させた時には、第2楽章スケルツオ→第3楽章アンダンテの順だったのですが、自身の指揮で初演する際には、アンダンテ→スケルツオの順に入れ替えられました。そしてその後、ウイーンで初演する際のプログラムにはアンダンテ→スケルツオとあったのを、実際の演奏で再びスケルツオ→アンダンテに戻したというのです。ですので、楽譜出版の際にはこれがマーラーの最終意思であると考えられました。しかし、後年になって異議が唱えられて、結局二種類の楽譜が存在することになったのです。研究者の意見は割れていて結論は出ていませんが、スケルツオ→アンダンテで演奏するほうが主流となっています。

僕としても、やはりスケルツオ→アンダンテのほうが良いと思っています。古典的な短い曲の場合は確かに緩徐楽章→スケルツオの方がまとまりは良いのですが、大曲、しかもシリアスな曲の場合には、スケルツオ→緩徐楽章のほうが迫真性が増すような気がします。例えばベートーベンの「第九」、ブルックナーの「第8」、ショスタコーヴィチの「第5」などです。マーラーの第6番の場合も、静かなアンダンテから終楽章へ移らないと、どうもしっくりと来ません。

それでは、僕の愛聴盤をご紹介しますが、中間楽章は全てスケルツオ→アンダンテの順による演奏です。

Mah6_barbi サー・ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア(1967年録音/EMI盤) 1楽章は相当に遅いテンポで始まります。しかし緊張感を保っているので巨大なスケールを感じます。上手すぎない?オケの響きが機械的で無く人肌を感じさせるのも良いです。アルマの主題も大きく羽ばたくようで見事です。展開部以降も念を押すような巨人の足取りが続きます。2楽章もやはりスケール大きく素晴らしいです。けれども白眉は3楽章アンダンテです。美しい弦の歌い回しが何と愛情に満ち溢れていることでしょう。終楽章は再び巨大なスケールですが、こけおどしは一切無くじわじわと圧倒されます。購入する時に注意すべきは、海外盤は中間楽章が何故か逆のアンダンテ/スケルツオの順です。バルビローリ自身が迷っていた節もあるようですが、僕はスケルツオ/アンダンテの国内盤でしか聴きません。またバルビローリには他にもベルリンPOとニュー・フィルハーモニアのライブ盤も有りますが、最も個性的なこのEMI盤を僕は好んでいます。

4106090279 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管(1967年録音/SONY盤) セルのマーラー録音は少ないですが、しかもライブでの演奏です。第1楽章はかなり速いですが、逆に何かいたたまれないような切迫感が感じられて悪くありません。それに音が騒々しくならないのが良いです。但しアルマの主題は余りにあっさりし過ぎでもの足りないです。第2楽章も速いテンポで緊迫感に溢れます。中間部も速めですが、ニュアンスがこもっていて良いです。第3楽章アンダンテは心がこもっていて非常に感動的です。第4楽章には一気珂性の勢いが有って引き込まれます。

Mah6_kube ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1968年録音/audite盤) これは比較的早い時期のライブ録音です。第1楽章のたたみかけるテンポが異常に早く、せわしなく感じます。続く第2楽章アンダンテも全く同様です。第3楽章も速めですが、よく歌ってはいます。しかし更に深い沈滞感が欲しいところです。後半は弦にやや不揃いを感じます。終楽章もやはりかなり速いテンポですが、これは高揚感、切迫感が有って悪くありません。全体的にはクーベリックのマーラーとしては平均点以下という印象です。

Mahler6_maazelロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1982年録音/CBS盤) マゼールのマーラーは基本的にクールだと思います。音そのものが雄弁に語ることは有っても、感情的に没入したり陶酔することは有りません。そこがこの人のマーラーを完全に好きにはなれない大きな理由です。とは言え、ウイーン・フィルの美感溢れる音でマーラーを味わえるのは貴重です。特に6番ではバーンスタインが騒々しい演奏に陥っていますので尚更です。この演奏はテンポが遅くも速くも無く、クール過ぎもせずに、曲そのものを聴くにはとても良いと思います。ウイーン・フィルのこの曲の演奏では第一に推せます。

51n2b7pc3vzl__ss500_ エーリッヒ・ラインスドルフ指揮バイエルン放送響(1983年録音/Orfeo盤) ラインスドルフというとRCAレーベルの幾つかの録音を聴いたことは有りますが、感心した事はほとんど有りませんでした。なのにこのCDを買ったのは、彼がウイーン出身のユダヤ系であったことと、珍しくドイツの楽団との演奏だったからです。1楽章はゆったり気味ですが良いテンポです。アルマの主題でぐっとルバートさせて歌うところは最高に上手く、思わず惹きこまれます。2楽章はやや速めです。美しく柔らかく歌う3楽章は響きに孤独感が漂っていて素晴らしいです。後半も非常に感動的です。終楽章はじっくりとスケールが大きく聴き応えが有ります。マーラー演奏に慣れたバイエルン放送は優秀ですし、録音も客席で聴いているような臨場感が有って好きです。

Mah6_berti ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1984年録音/EMI盤) ベルティーニ/ケルン放送の全集の中では最も出来の良い演奏だと思います。この曲はともすると熱演の余りに響きが騒々しくなる演奏が有りますが、ベルティーニはその点、熱演だけれども美しい響きを保っています。複雑にからみあう旋律を明確に描き分けるのもこの人の利点です。1楽章のテンポは速過ぎず遅過ぎず丁度良いです。2楽章はリズムの切れが良いですし、中間部の表情の変化がとても上手いです。3楽章も静かに始まり後半は非常に美しく盛り上がります。4楽章も慌てず騒がず実に充実しています。

Bernstein レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1988年録音/グラモフォン盤) バーンスタインは1960年代にもニューヨークPOとCBSに録音を残していますが、それは熱演が過ぎて騒々しく、とても聴いていられませんでした。再録音がウイーン・フィルであれば、今度は大いに期待しました。ところが1楽章はやはり速いテンポで打楽器が打ち鳴らされ、金管が咆哮して、非常に戦闘的です。それがバーンスタインの解釈なのですね。己の人生や回りの世界と戦う英雄、それは解るのですが、聴いていてうるさいのは御免です。2楽章も同様です。ところが3楽章アンダンテになると流石にウイーン・フィルで柔らかく絶美です。終楽章も曲想のせいか1楽章のような抵抗は無く熱演に浸れます。前半と後半で大きく評価の分かれた演奏です。

Mah6_ten クラウス・テンシュテット指揮ロンドンフィル(1991年録音/EMI盤) テンシュテットが癌に侵されながらも一時的にカムバックした後のライブ演奏です。元々非常な熱演型の人でしたが、既に余命を感じたのでしょう、鬼気迫る凄演です。 ロンドン・フィルは残念ながら一流とは言い難く、EMIの多くのスタジオ録音には大抵物足りなさを感じます。けれどもこのライブ演奏では、それを感じさせません。この曲は余りに熱演されるとうるさく感じるのですが、この演奏には真実味が有るせいか、自然と引きずり込まれてしまいます。1、2楽章は造形が大きく、3楽章は深く黄泉の世界に入るようです。そして終楽章の巨大さは圧巻です。

6large ピエール・ブーレーズ指揮ウイーン・フィル(1994年録音/グラモフォン盤) 基本的にはスタイリッシュですが決して冷静で面白くないということは有りません。1楽章からウイーン・フィルの美感を生かしていて、バーンスタインのように騒々しくならないので曲そのものを楽しめます。もちろんユダヤの情念みたいなものは感じませんが、節度のあるロマンティシズムが心地良いです。2楽章はリズムに切れが有る良い演奏です。中間部もウイーン・フィルの柔らかさが生きています。3楽章もやはりウイーン・フィルで非常に美しい演奏です。終楽章の前半はかなり冷静な演奏ですが、響きは実に美しいです。後半は冷静過ぎることなく熱気を増してゆくので不満有りません。

00000689270 ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) チェコ・フィルの美しい音が優秀な録音で捉えられています。さすがにCANYONです。1楽章は速めのテンポで進みますがせかせかした感じは無く、表情もニュアンスに富んでいます。少しもうるささを感じさせない豊かな響きがとても心地良いです。2楽章もやはり速めで1楽章と同様のことが言えます。中間部は優しい表情に魅了されます。3楽章は美しい弦がよく歌っていてロマンティシズムを感じますが、明るめの音色からほの暗い音色に移り行く変化が実に素晴らしいです。終楽章は落ち着いて始まりますが、次第に高揚してゆく演奏にじわじわと引き込まれていきます。ノイマンのマーラー再録では3番に次いで優れた出来栄えだと思います。

817 クリストフ・エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管(2005年録音/ONDINE盤) エッシェンバッハは現代では珍しく昔のドイツ浪漫的な資質を持つ指揮者なので好きなのですが、何故か振るのは明るい音色のアメリカやフランスのオケが多いのが残念です。これはフィラデルフィアでのライブ演奏です。1楽章は比較的速めのテンポで進めますが、テンポ・ルバートを頻繁に行っています。それがやや不自然な場合も有りますが、表現意欲そのものは好ましいです。2楽章はテンポと表情の大きな変化が中々堂に入っていて感心します。3楽章はエッシェンバッハが本領発揮した実に深々としたロマンティシズムに溢れた秀演です。4楽章はスケールの大きい演奏でこれも優れています。このCDにはマーラー16歳の作品「ピアノ四重奏楽章イ短調」が併録されていて、エッシェンバッハがピアノを弾いています。この曲、何となく「さわやかなブラームス」という感じで面白いです。

第6番に関して僕が最も好きなのは、バルビローリ/ニュー・フィルハーモニアです。他には、全体的に素晴らしいテンシュテット、ベルティーニ、それにアルマの主題が見事なラインスドルフは外せません。アンダンテのみで言えばバーンスタイン、エッシェンバッハも素晴らしいですし、とにかく傑作作品ですので、どの演奏にも愛着が有ります。  

<後日記事>
ジョルジュ・プレートルのマーラー交響曲第5番&6番 

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