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2009年9月

2009年9月27日 (日)

シューマン 「交響的練習曲」op.13 名盤

D9ed3d67b74eacfa20896dcbce91a780 「交響的練習曲」は「幻想曲」「クライスレリアーナ」と並ぶシューマンのピアノ曲の最高傑作の一つであるだけあって実に素晴らしい作品です。作品の充実度という点だけで無く、自分の”好きな曲”という基準でもこの3曲は抜きん出た存在です。この「交響的練習曲」は主題と12の変奏曲形式の練習曲から出来ていますが、その美しい主題は一時シューマンの婚約者であったエルスネティーネ嬢の父親のフリッケン男爵の作です。シューマンはこの曲を一度改定したことが有りますが、その時には「変奏曲形式による練習曲」とタイトルを変えました。ですが現在では「交響的練習曲」の名で呼ばれる元の版で演奏されています。但しブラームスにより校訂された第3版では遺作の5曲の変奏曲が更に加えられています。それぞれの変奏曲は流れるように連続しており、かつロマンティックなシューマンの音楽そのものです。終曲第12変奏の生命力溢れる付点リズムも交響曲第4番の終楽章に見られる典型的なシューマンの音形です。

この曲にも昔から愛聴している演奏が幾つか有りますので是非ご紹介します。

Cci00021 アルレッド・コルトー(1929年録音/Dante盤) 学生時代にFMから録音して何度も繰り返して聴いた演奏です。元の録音が秀れていたのでしょうが、Danteの復刻は年代が信じられないほど優秀です。低音から高音域までピアノの音に輝きが有ります。コルトーのピアノは相変わらず自在なテンポの変化が天才的ですし、何よりもその濃厚なロマンティックさに魅惑されてしまいます。彼の「クライスレリアーナ」を遙かに凌ぐ出来栄えです。この演奏は是非とも聴いて頂きたいと思います。

Cci00020 ウィルヘルム・ケンプ(1972年録音/グラモフォン盤) ここでもケンプはとても誠実で堅実なドイツ風の演奏を聞かせています。但しこの曲の「変奏曲」という自由な形式の割りには少々一本調子で融通が利かない印象なのがマイナスです。どちらかいうと「練習曲」としてピアノ学習者が参考に聴くにはとても適していると思うのですが、コルトー、リヒテルのような破格の表現力のピアニストの間に挟まれると、音楽が少々堅苦しく感じられてしまいます。ピアノの音質自体はとても好ましいのですけれども。

Cci00023 スヴャトスラフ・リヒテル(1977年録音/オイロディスク盤) コルトーにも充分匹敵するほどにロマンティックな演奏です。しかもテクニックはコルトーなど問題にならない上手さです。それでもこの人にピアニスティックなイメージは無く、あくまでも音楽そのものを感じさせます。洗練され過ぎることなくやや朴訥なタッチなのですが、その点もシューマンに実に適していると思います。どの変奏曲も変化と勢いに富んでいて実に聴き応えが有りますし、第12変奏の力強さや見事な高揚ぶりは聴き終えた後に満足感でいっぱいになります。総合的にやはり僕の一番好きな演奏です。

Img944e66f5zik5zj マウリツィオ・ポリーニ(1981年録音/グラモフォン盤) 冒頭の主題から第1変奏ではこれがポリーニかと思えるほどのロマンティックな表情です。けれどもそれは濃厚な浪漫というよりは、透明な詩情という感じなので、例えばリヒテルのスタイルとは全く異なります。またピアニスティックな打鍵の固さをそれほど感じさせないので、以前の「幻想曲」よりもずっと良いと思います。第12変奏の切れ味はさすがポリーニ。自分の好みではスタイリッシュに過ぎて今ひとつなのですが、この方が好きだと思われる方もきっと多いと思います。ポリーニのベストのシューマン演奏としてお薦めできます。 

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2009年9月23日 (水)

シューマン 「クライスレリアーナ」op.16 名盤 ~クララへ捧ぐ~ 

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シューマンのピアノ曲で「幻想曲」と並ぶ傑作は、やはり「クライスレリアーナ」でしょう。一般的に人気が高いのはむしろ後者かもしれません。シューマンはこの作品をショパンに献呈しましたが、作曲過程の段階では恋人のクララに捧げました。当時、クララの父親の反対によって、会うことさえ思うようにならなかった未来の妻への情熱と愛をこめて作曲したのです。そのことはクララへの手紙で明らかです。「貴女はこの曲の中に自分の姿を発見して、きっと微笑むでしょう。ときおりは僕の<クライスレリアーナ>を弾いて下さい。いくつかのパッセージには激しい愛が含まれて居ます。貴女と僕の生活が含まれているのです・・・・」

「クライスレリアーナ」というのは、「クライスラーに関すること」という意味です。E.T.A。ホフマンの小説の主人公クライスラーの満たされなかったロマンスを我が身の現状に置きかえて、愛するクララへの想いを一層つのらせた曲なのです。なんともセンチメンタルなロマンティストじゃありませんか。まるで僕みたいだ!?

この曲は8曲の小曲から構成されていますが、第1、3、5、7、8曲は動的な曲で、第2、4、6曲は静的な曲です。全ての曲は有機的に連続している為に、この中のどれかの曲を抜き出して演奏する事は不可能です。

この曲は演奏によって、かなり異なった印象を与えられます。下手な演奏だと曲の真価は伝わりませんが、優れた演奏だと比類の無い傑作に聞こえるのです。演奏家の力をそのまま映す鏡のように怖い曲なのですね。ともあれ、色々なピアニストがこの曲に挑戦していますのでご紹介します。

Cci00021 アルレッド・コルトー(1935年録音/Dante盤) コルトーはいまだに熱烈なファンがいる大ピアニストです。なにしろこの人ほど下手クソでこの人ほどロマンティックなピアノを弾く人は現代には世界の何処にも存在しないからです。この演奏もやるせなくなるほどに濃厚な浪漫の香りを湛えた実に味わい深いものです。早い曲は指が回らずに音形がグチャグチャなのですが、それでも曲を聴かせてしまうところが凄いです。Dante盤の復刻は優秀なので充分に鑑賞が可能です。

51lod210vsl__ss500_ ウラジーミル・ホロヴィッツ(1969年録音/CBS SONY盤) ホロヴィッツのシューマン演奏の中でも特に素晴らしい演奏です。全盛期の絶美のタッチから噤み出される演奏にはただただ聞き惚れるしか有りません。あの真っ直ぐに指を伸ばして弾く変わったスタイルだからこそ、かくも繊細な音が出てくるのでしょうか。この人のピアノは本当に千変万化。しかも早い曲でも音符を弾き飛ばすことは決して有りません。それぞれの音の表現の意味深さは他の有名ピアニストを何人連れてきても敵わないと思います。同世代や後輩のピアニストがこの演奏を耳にしたら、この曲を弾くのが嫌になってしまうのじゃないかと思えてしまいます。

61ez9sietxl__ss500_ ウィルヘルム・ケンプ(1972年録音/グラモフォン盤) シューマンから楽譜を贈られて弾いたクララのピアノはこんな感じじゃなかったかとまたまた勝手に思っている演奏です。演奏効果を狙うような派手さの全く無いピアノだからです。演奏会場ではなく、我が家で恋人(か妻)にでも優しく弾いてもらいたくなるような演奏ですね(もちろんそんなことは無理な相談ですけれども)。裏を返せば、コンサートで聞くには物足りなく感じるであろう演奏では有ります。速い第7曲などは中間部ではなんだかバッハのように聞こえてしまいじれったくなります。優しさや愛情だけではこの曲はやはりどうにもなりません。

51mmmcehxil__ss500_ マルタ・アルゲリッチ(1983年録音/グラモフォン盤) 自由奔放で多彩な表現と、速い曲を超快速で弾くのは彼女の良くあるパターンです。初めて聴く時には、とても興奮させられるのですが、何度も聴くとだんだんと飽きてしまいます。しかも第7曲などは余りに速過ぎるので一つ一つの音形が聞こえなくなっています。好き嫌いで言うと正直難しいところです。そうなるとホロヴィッツ・シンドロームとでも言いましょうか、ホロヴィッツを越えられる演奏などというものは存在し得ないのではないかと思えてしまうのです。

Medium_image_file_url ワレリー・アファナシエフ(1992年録音/DENON盤) 確かに「鬼才」と呼ばれるだけあって一筋縄では行かない演奏です。異型の曲を、それ以上に異型に演奏しています。アルゲリッチと同様に速い曲では必要以上に速く弾くので、やはり音形が聞こえなくなっていますが、最も驚かされるのは第8曲の異様な遅さです。何か重たいものを地面に引きずるかのような進みには唖然とします。第2曲の遅く重苦しい気分も独特です。一度取り付かれると、この演奏には麻薬のような魅力が有るかもしれません。ロベルトとクララもこの演奏には驚いているのではないでしょうか。

51ng8mv49ll__ss500_ エレーヌ・グリモー(1998年録音/DENON盤) この当時録音したブラームスの協奏曲第1番はザンデルリンクの伴奏指揮の素晴らしさと相まってそれは見事な演奏でした。独奏曲もやはり優れていました。その期待をもって聴いたところ、やや期待はずれといったところしょうか。このような一癖も二癖も有る様な破格の曲というのは若手にとってはなかなか難しいのでしょうね。とは言え、確かなテクニックに支えられた、正攻法で等身大のシューマンの印象は決して悪くはありません。それになによりも彼女は美人なので全てを許せてしまいます。

694 マウリツィオ・ポリーニ(2001年録音/グラモフォン盤) デビューから40年という長い時が過ぎたポリーニが、一体どのようにシューマンの難曲を聴かせてくれるのだろうかという興味で聴いてみました。けれども答えはよく分かりませんでした。テクニック的にはまだまだ上手いものの、若い時のあの凄みは有りません。ピアノの音にかつての「幻想曲」のような力こぶは感じられないので良いのですが、かと言って音楽に優しさとか愛情が感じられるという訳でも有りません。ポリーニはこれから先はどんなピアニストになるのでしょうね。

これらの中で他の演奏を断然圧倒しているのはホロヴィッツです。奇跡的な完成度のシューマンと言って良いのではないでしょうか。こんな演奏が存在すると、その他の演奏家は非常に分が悪くなりますが、もう一人選ぶとすれば僕はアファナシエフを上げたいです。この演奏も「クライスレリアーナ」を愛好する人にとっては必聴だと思います。

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2009年9月19日 (土)

シューマン 「幻想曲」ハ長調op.17 名盤 ~幻想と情熱~ 

Syumans 随分と秋めいて来ましたね。夏の暑い間はクラシックを余り聴きませんでしたが、芸術の秋ともなると無性に聴きたくなります。それも特にドイツ・ロマン派の音楽にどっぷりと浸りたいところです。なんとなく寂しく思えて人が恋しくなる今頃の季節には、何といってもロマンティックで心の奥底に優しく染み入って来るようなロベルト・シューマンの音楽が最高です。実は自分はブログ友達のはるりんさんが主催する「シューオタ同盟」の一員なのですが、その割りにこれまでシューマンの記事をほとんど書いていませんでした。そこで好きな曲を中心に記事にして行きたいと思います。

シューマンは、もちろん様々な編成の曲を書いてはいますが、シューマンの最もシューマンらしい音楽と言えばやはりピアノ曲だと思います。そして個人的にはピアノ曲に限ってはベートーヴェンよりもショパンよりもシューマンが好きなのです。感覚的に一番しっくり来ますし、最も僕の心を打つのです。その中でも特に好きな曲といえば、何を置いても「幻想曲」ハ長調です。僕はこの曲と心中しても構わないほどです(古い表現だなぁ)。たとえベートーヴェンのどんなピアノ・ソナタを持ってきてもこの曲のほうが好きなのです。

この曲は元々は1836年ボンでベートーヴェンの没後10年の記念碑を建てる計画が持ち上がった時にシューマンが募金集めの為に書いたソナタでした。ですが出版の時に「幻想曲」とされたのです。この頃、シューマンは後に夫人となるクララ・ヴィークと恋人関係でしたが、クララの父親に結婚を反対されて「別れなければシューマンを殺す」とまで言われたそうです。そんな不安定な心とクララへの愛と情熱とが入り混じってこの作品は書かれたのでしょう。第1楽章には「非常に幻想的、情熱的に」と記されています。シューマン自身もこの楽章を「クララを失ったといううめきに突き動かされて書いた」と述べています。音楽的にも劇的に変化に富んだ実に素晴らしい楽章です。第2楽章は一転して輝かしい音楽になりますが、どことなく屈折した翳りを感じます。第3楽章はひたすら静かに続くモノローグですが時に胸の高鳴りが押さえ切れなくなります。

それでは僕の愛聴盤です。さすがにこの曲には良い演奏が目白押しです。

41dm63skc4l__ss500_スヴャトスラフ・リヒテル(1961年録音/EMI盤) シューマンはリヒテルの最も得意とするレパートリーの一つです。この人はモーツァルトやベートーヴェン、ブラームスの場合にはしばしばガサツな演奏をしますが、シューマンでは繊細で心のこもり切ったピアノを聞かせます。非常にスケールが大きく、この曲の枠を少々はみ出すほどですが、立派さという点では比類が有りません。第1楽章ではシューマンの心のうめきを他の誰よりも激しく感じさせます。第2楽章もスケールの大きさと高揚感とが共存して素晴らしいですし、第3楽章の深い祈りも最高です。録音は少し古めかしさを感じますが、演奏の素晴らしさではいまだに群を抜いていると思います。

Schucci00019 スヴャトスラフ・リヒテル(1980年録音/カナダDOREMI盤) 輸入マイナーレーベル盤です。EMI盤も素晴らしいのですが、それを更に上回る演奏です。ブダペストでのライブですが音質には充分満足できますし、ピアノの音はEMI盤よりもよほど好きです。EMI盤の音楽の深さとスケールの大きさをそのままに、実演の高揚感を更に増した稀有な名演奏だと思います。よほど絶好調だったようで、完成度が高く目立つミスもほとんど有りません。リヒテルには1969年のライブ録音も有りますが、出来栄えはこちらのほうがずっと優れていると思います。

41rkeftwicl__ss500_ ウラジーミル・ホロヴィッツ(1965年録音/CBS SONY盤) ホロヴィッツが12年という長いブランクから復帰したカーネギーホールでのライブ録音です。この人もシューマンを非常に得意にしていて、美しいピアノタッチと千変万化の表現力には圧倒されます。ピアニスティックな面白さではリヒテル以上です。それでいてシューマンのある種不健康なロマンの香りも漂わせているために、聴いていて音楽にどっぷりと浸ることができます。さすがは20世紀を代表する大ピアニストです。ミスタッチは非常に多いのですが、この素晴らしい表現の前では気にもなりません。録音はとても良く録れています。 

Cci00020 ウィルヘルム・ケンプ(1971年録音/グラモフォン盤) この人のピアノの音はとても好きです。最近のピアノの音はみな大ホールに響き渡るような輝かしい音色になりましたが、僕は小さめのホールで柔らかく綺麗に響くような音の方が好きです。たとえばバックハウス。あの人やケンプの音にはとても安らぎが有ります。かと言ってケンプの演奏が聴き応えの無いなよなよした演奏ということでは決して有りません。無駄な力みが無いので自然に音楽に入っていけるということです。これは堅実なドイツピアノの良さが満喫できる名演奏だと思います。勝手な想像ですがシューマン本人のピアノはこんな感じだったのではないでしょうか。 

Dg2032thumb300xauto マウリツィオ・ポリーニ(1973年録音/グラモフォン盤) 若い頃の演奏ですが、この人としては標準レベル以下のような気がします。特に第1楽章に感心しません。タッチが固くて伸びやかさの無い、なにか非常に力みを感じるピアノの音なのです。元々そういう傾向が無いわけでは無いですが、ショパンなんかでは気にならないこの人の特質がシューマンでは気になるということでしょうか。当然ピアニスティックなタイプの演奏ですが、それがどうも音楽に奉仕していない気がします。ケンプの演奏とは対照的です。

Schumann_argerich マルタ・アルゲリッチ(1976年録音/RCA盤) この人の若い頃の演奏は、感性と直感に任せた非常に素晴らしいものが有ったり、逆に気の乗り切らないものが有ったりと、波が非常に大きかったと思います。この演奏は例によって気の赴くままに自由自在に泳ぎ回っていますが、時に矮小さを感じさせてしまうのです。感じている以上に指が小細工をしているとでもいうのでしょうか。不安定な気分はシューマン的と言えない事もないのですが、どうも音楽に前面奉仕していない気がしてなりません。第2楽章も案外平凡で高揚感に欠けます。ただしリヒテルではスケールが大きすぎてどうもという方には逆に向いているのかもしれません。

093 レイフ・オヴェ・アンスネス(1995年録音/EMI盤) 現在の若手ピアニストの中でとても好きな人です。この演奏も正攻法でとても優れています。しかも既にどこか熟した演奏家の雰囲気を持ち、若手によく感じられる拙稚さが感じられません。テクニックも非常に素晴らしいです。ただ少しだけもの足りなく感じるのは音楽の「うめき」でしょうか。その点だけが残念です。もしかして彼は恋をして、もだえ苦しんだ経験がまだ無いのかもしれませんね。 

Schucci00019b ジュリアス・カッチェン(1957年?録音/DECCA盤) 肺がんで42歳という若さで世を去った天才ピアニストです。特にブラームスの演奏に定評の有った人ですが、シューマンのこの曲も録音を残しました。この人は当時よくも悪くも「衝動にかられて情熱的に演奏する」と評されたそうです。そんな危なっかしさがシューマンの音楽に適しています。随分と即興的な弾き方ですが、それがアルゲリッチに見られるような矮小さは感じさせません。これは自然に彼の心から出た表現だからだと思います。

以上、つれづれなるままに色々と書きましたが、「幻想曲」の演奏でたったひとつ選ぶとすれば迷うことなくリヒテルの1980年のライブ盤です。もちろんEMI盤も素晴らしいですし、更に挙げるとすればホロヴィッツです。それにケンプも好きですし、結局この曲はどの演奏を聴いてもやっぱり魅了されてしまうのです。

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シューマン 「幻想曲」 グリゴリー・ソコロフの名演

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2009年9月12日 (土)

リヒャルト・ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲 名盤 ~禁断の恋~ 

ヴェルディの傑作オペラ「ドン・カルロ」は、王子がかつての恋人である姫を自分の父親である国王に王妃として横取りされてしまうという悲恋の物語でした。一方ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は、国王の王妃となる予定の姫を迎えに行った騎士が、飲んでしまった媚薬のおかげで姫と恋に落ちてしまい、最後は命を落とすという悲恋の話です。やはりクスリにはノ〇ピーでなくても弱いようですな。(笑) 悪いクスリは絶対にやめましょうね。

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という訳で、この話は「禁断の恋」がテーマなのです。実はワーグナーは作曲当時、恩人ヴェーゼンドンクの夫人マティルダと不倫の恋をしていました。ですので、この作品の騎士トリスタンこそはワーグナー自身で、イゾルデ姫はマティルダだというのがもっぱらの定説です。但し当の本人はそれを認めてはいなかったらしいのですが。

それにしても、ワーグナーのオペラはどの作品も長大です。四夜にわたり上演される、楽劇「ニーベルンクの指輪」は別格としても、どのオペラも上演に4~5時間はかかる大作ばかりです。しかし、それらの作品の中で、僕が最も愛して止まないのは、楽劇「トリスタンとイゾルデ」です。他の作品の場合には生の公演でならいざしらず、家でCDを全曲聴き通すなんてのは中々出来ないのですが、「トリスタン」だけは例外です。W0001
この作品は、さすがにワーグナーが禁断の恋の真っ只中にあって作曲しただけあって、全編が愛欲と官能の香りに満ち溢れています。これほどまでに「エロス」を感じさせる音楽芸術が一体他に有るでしょうか。ですので、この作品は非常に解り易いです。最初の「前奏曲」と最後の「愛の死」を続けて、「前奏曲と愛の死」としてオーケストラ・コンサートでよく演奏されますが、それはこのオペラの集約であって、全体は「前奏曲」と「愛の死」に挟まれた一つの巨大な作品になっているのです。なので、「前奏曲と愛の死」が好きになれば、楽劇「トリスタンとイゾルデ」を理解するのは全く難しくありません。まったくもって、この作品は何度聴いても本当に官能的で素適な音楽です。直江兼続ではありませんが、やっぱり人間一番大切なのは「愛」ですよね。

ここで、あらすじをおさらいしておきます。

時代:伝説上の中世
場所:イングランド西南部のコーンウォール

主要登場人物
トリスタン(T):マルケ王の甥であり忠臣
イゾルデ(S):アイルランドの王女
マルケ王(Bs):コーンウォールの王
ブランゲーネ(Ms):イゾルデの侍女
クルヴェナール(Br):トリスタンの従者
メロート(T):マルケ王の忠臣

第1幕
アイルランドの王女イゾルデは、コーンウォールを治めるマルケ王に嫁ぐため、王の甥であり忠臣のトリスタンに護衛されて航海していた。かつてトリスタンは、戦場でイゾルデの婚約者を討ち、その戦いで自らも傷を負ったが、名前を偽ってイゾルデに介抱をしてもらったことが有った。イゾルデはトリスタンが婚約者の仇だと気付いたが、既にそのときトリスタンに恋に落ちていた。

イゾルデは、自分をマルケ王の妻とするために連れてゆくトリスタンに対して、激しい憤りを感じていた。彼女は一緒に毒薬を飲むことをトリスタンに迫ったが、毒薬の用意をイゾルデに命じられた侍女ブランゲーネが、代わりに用意したのは「愛の薬」だった。その為、船がコーンウォールの港に到着する頃には、トリスタンとイゾルデは強烈な愛に陥ってしまった。

第2幕
イゾルデがマルケ王に嫁いだ後、マルケ王が狩に出掛けたすきに、トリスタンがイゾルデのもとを訪れ、二人は愛を語う。ところがマルケ王が突然戻ってきた。実はこれはイゾルデに横恋慕していた王の忠臣メロートの策略だった。マルケ王はトリスタンと妃の裏切りに深く嘆く。王の問いかけにトリスタンは言い訳をしようとしないので忠臣メロートが斬りかかるが、トリスタンは自ら剣を落とし、その刃に倒れた。

第3幕
フランスのブルターニュにあるトリスタンの城。トリスタンの従者クルヴェナールは、深手を負ったトリスタンのために、イゾルデを呼びよせた。けれども、イゾルデが駆けつけたその時、トリスタンは息絶えた。
そこへ、全ては愛の薬のせいだと知ったマルケ王がやって来るが、イゾルデは至上の愛を感じながらトリスタンの後を追った。

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これまで自分が生で接した最上の「トリスタン」の舞台は2007年10月のベルリン国立歌劇場の日本公演です。指揮はダニエル・バレンボイム、会場はNHKホールでしたが、ワルトラウト・マイヤーが円熟の極みの大変素晴らしいイゾルデを聞かせてくれました。

この作品のディスクは、高校生のときにフルトヴェングラーのLP盤5枚組を購入したのが最初ですが、それ以降、幾つか演奏を聴いて来ましたのでご紹介してみたいと思います。

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイエルン歌劇場(1950年録音/オルフェオ盤)

古今のワーグナー指揮者の中で最も偉大なるクナのライブ録音です。何しろクナがウイーン・フィルとDECCAに録音を残した「前奏曲と愛の死」「第2幕抜粋」は神々しいほどの名演中の名演でした。ですので、この全曲盤にも大いに期待したいのは当然です。ところが残念なことにあのDECCA録音と比べると余り魅力を感じられません。録音は年代的には標準レベルですが、肝心の演奏がクナ本来の実力には程遠い出来栄えだと思うからです。これは記録としての価値に留まると思います。

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ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管他(1952年録音/EMI盤)

これはもう歴史的な録音です。モノラル録音としては優秀なので鑑賞に支障は有りません。有名な「第九」と同様に音質を越えた不滅の演奏です。べームやクライバーの造形と比べれば随分と甘いですが、この深く深く沈滞してゆく味わいは他の誰とも違います。元々不健康な雰囲気の表現には比類が有りませんが、この作品の場合に音楽と見事に一体化しているのです。フルトヴェングラーを聴かずして「トリスタンとイゾルデ」は絶対に語れません。イゾルデのフラグスタートは確かに既にオバさん声なのですが、逆に非現実的な雰囲気に感じられて良いと思います。なお、「前奏曲と愛の死」の管弦楽の演奏としては、1954年のベルリン・フィルとのライブ録音(グラモフォン盤)が全曲盤を凌駕する名演です。官能と絶頂という点ではこれ以上の演奏を聴いたことがありません。

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カール・ベーム指揮バイロイト祝祭歌劇場(1966年録音/グラモフォン盤)

ベームのオペラがどんなに素晴らしいか、実演でどんなに燃え上がるかを証明したワーグナーの聖地バイロイトでのゲネプロライブ録音です。ベームが観客無しのセッション録音を嫌って招待客を前にして行った演奏なので精緻でいてかつ劇的なまでに迫力が有ります。沈滞する部分がややあっさり感じられますが、逆に全曲を一気に聴き通すには向いています。主役の二人、ビルギット・ニルソンとヴォルフガング・ヴィントガッセンの歌にも全く文句のつけようが有りません。全3幕がぴったりと各CD毎に収まっているのも鑑賞には便利です。

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レジナルド・グッドオール指揮ウエールズナショナルオペラ(1981年録音/DECCA盤)

評論家の山崎浩太郎氏が熱烈に推薦したために知る人ぞ知るディスクとなりました。それは「動かざること山の如し」、クナッパーツブッシュ顔負けのスケールの巨大さです。それはそれで良いのですが、クナのようにテンポの流動性が無く常にインテンポの印象を与える為に、全曲を聴いているとどうも長く感じられてしまいます。オーケストラと歌手も最高レベルとはいいかねます。ですので、これはあくまでマニア向けの演奏でしょう。以前はDECCAでしたが現在はタワーレコードがライセンス販売しています。

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レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送響(1981年録音/フィリップス盤)

バーンスタインも非常にテンポが遅くスケールの大きな演奏です。そのセッション録音の現場に現れたベーム翁が絶賛したそうですが、ベームとは対照的な演奏なのが面白いです。優秀なオケを使って精緻な演奏を行っているのは良いのですが、やはり少々テンポが遅過ぎてもたれます。ですがこのマーラーのようにドロドロ粘る、いかにも後期ロマン派風の演奏には確かに説得力が有りますし、緊迫感の有る部分では非常に高揚して聴き応えが有ります。最近亡くなったベーレンスの全盛期のイゾルデが聴けるのも貴重ですし、ペーター・ホフマンのトリスタンもとても素晴らしいです。

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カルロス・クライバー指揮ドレスデン歌劇場(1982年録音/グラモフォン盤)

クライバーの「トリスタン」は、本当はバイロイト音楽祭での生演奏が非常に素晴らしかったです。ですがそれらが音質の良い正規録音盤で出ていない以上は、セッション録音のドレスデン盤を聴くしか有りません。僕はクライバーの才能は認めますが、あの体育会系の健康的な音楽には感心しない場合が良く有ります。ベートーヴェンやブラームス、シューベルトあたりでは往々にです。この「トリスタン」は不健康では有りませんがロマンティックな雰囲気が良く出ているので決して嫌いではありません。ただマーガレット・プライスのイゾルデは声がリリック過ぎて現実世界の人に感じられてしまうのが難点です。

以上はどれも素晴らしいもですが、特に愛聴しているのはベーム盤とフルトヴェングラー盤の二つ、それに次点としてバーンスタイン盤です。但し、もしもクナッパーツブッシュがウイーン・フィルとDECCAに全曲録音を残してくれていたら史上最高の「トリスタン」になったことでしょう。大変残念です。

そうそう、それと試聴でしか聴いていませんが、ティーレマンのウイーン国立歌劇場ライブはいかにも放送局の録音という自然な感じで好印象でした。これは購入してじっくり聴いてみたいです。さて皆さんの愛聴盤はどれでしょうか?

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「トリスタンとイゾルデ」 ティーレマン/ウイーン国立歌劇場盤

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2009年9月 6日 (日)

2009ミラノ・スカラ座日本公演 ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」 他CD名盤

Story04イタリア・オペラの最高峰 ミラノ・スカラ座歌劇場が現在日本公演を行っています。演目はヴェルディの「アイーダ」と「ドン・カルロ」の2つですが、大変運の良いことに「ドン・カルロ」のゲネプロを観ることが出来ました。ゲネプロと言っても舞台装置や歌手の衣装は本番と同じですので、ほとんど本番を鑑賞している気分です。オーケストラ団員は普段着で演奏しますが、どうせピットの中ですので気にもなりません。

一口に「オペラハウス」と言っても、ドイツのベルリン、ドレスデン、ミュンヘン、オーストリアのウイーンなどの主要都市にはモーツァルト、ワーグナー、Rシュトラウスなどのドイツオペラを得意とする歌劇場が有りますし、あるいはバイロイトにはワーグナー専門の祝祭劇場が有ります。これらは中々どこが一番だとは決められないと思います。けれどもイタリア・オペラの場合にはイタリア国内に多くの歌劇場が有りますが、名実共に最高峰はミラノ・スカラ座歌劇場であると相場が決まっています。彼らはドイツ・オペラなども多く上演を行いますが、文句無く素晴らしいのはやはりお国もののヴェルディやプッチーニのイタリア・オペラです。

Doncarlo01 さて、今回「ドン・カルロ」を指揮するのは、イタリアのダニエレ・ガッティです。僕はこの人の演奏はそれほど聴いていませんが、レスピーギの交響詩「ローマ三部作」などは、トスカニーニの大迫力には一歩譲るものの、繊細で詩情に溢れたとても良い演奏でした。オペラについても、この「ドン・カルロ」はミラノで大絶賛されたようですのでとても楽しみでした。

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「ドン・カルロ」には全4幕構成の慣例版の他に、カルロとエリザベッタが婚約時代にパリのフォンテーヌブローの森で出会うシーンを第1幕に置いた全5幕慣例版が代表的ですが、この公演は4幕慣例版での上演でした。演出はシュテファン・ブラウンシュヴァイクです。昨年ミラノでプレミアが行われた新演出だそうですが、伝統的な派手で大掛かりな装置とは無縁ですが、かといって現代的な奇抜で飛躍し過ぎな演出でもありません。それは淡い色彩感と光の陰影とを上手に使った「詩的」で「演劇的」な舞台です。登場人物の心の中や懐古シーンを、舞台の背景に二重に再現してみせるあたりも非常にユニーク。とても美しくセンシティヴな演出でした。

歌手陣はさすがに粒よりです。ルネ・パーぺ(フィリッポ2世)、アナトーリ・コチェルガ(宗教裁判長)、ダリボール・ヴァルガス(ロドリーゴ)はいずれも素晴らしく、バルバラ・フリットリ(エリザベッタ)も人気に違わぬ声と表現力を聴かせてくれました。一つだけ気になったのは主役のラモン・ヴァルガス(ドン・カルロ)でしょうか。テノールの輝くハイトーン部分での声量にやや不足感を感じました。この人はむしろ静かに優しく歌う時の声のほうが魅力的だったように思います。ただ本公演では更に声が出るのかもしれません。それともうひとつ、背が小さい!父のフィリッポ2世や家来で親友のロドリーゴより小さいのは良いとしても、エリザベッタよりもずっと小さいのが気になりました。カルロは確かに英雄的な人物では無く、思い悩めるキャラクターなのではありますけどね。

ダニエレ・ガッティの指揮は大変気に入りました。この人は情熱的で切れの良いトスカニーニやムーティのような要素を持ちながらも、非常に繊細で情感の有る音を出すように感じます。終幕のフィリッポ2世の「彼女は決して私を愛していなかった」など非常に深みのある表現で素晴らしかったです。また歌手と合唱と管弦楽の音をまろやかにブレンドするあたりの能力にも非凡さを感じます。もっと多くのオペラを振って欲しいですね。いずれはイタリアNo.1マエストロに成れる可能性を持っていると思います。

せっかくですので、このオペラのCD愛聴盤のご紹介もしておきます。

Cci00018 ガブリエーレ・サンティー二指揮ミラノ・スカラ座歌劇場(1961年録音/独グラモフォン盤) 僕は現在CDは全5幕版の一種類しか所有していません。けれども、この録音はボリス・クリストフのフィリッポ2世、バスティ二アーニのロドリーゴ、ステッラのエリザベッタ、コッソットのエボーリ公女などの最高の歌唱の数々を聴くことが出来るので非常に気に入っています。イタリアの名匠サンティー二の指揮もミラノ・スカラ座管弦楽団を完全に手中に収めてイタリア・オペラの粋を思う存分味合わせてくれます。

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