シベリウス 交響曲第6番ニ短調op.104 名盤
シベリウスが交響曲第6番を完成させたのは、第5番の完成から8年後のことですが、草稿としては5番が完成する前に既に書き始めていました。その間には5番の改定を二度行い、また第7番も併行して手がけていたそうです。第7番の完成は6番の翌年ですので、この3曲の創作はかなり重なり合っていたようです。しかし6番と7番において、交響曲としていよいよ最終的な境地に及んだのです。作品を完成させておきながら本人が焼き捨ててしまったという第8番の楽譜が存在しないので、第7番が最終到達点であるとは良く言われますが、この6番も7番に匹敵するほどに曲想が充実しています。個人的には5番が一番好きかもしれませんが、6番を聴いている時にはこちらの方が好きかなとも思えてしまうほどです。
この曲は一般的にニ短調とされていますが、実は教会調であるドリア調なのですね。その為に非常に荘厳かつ神秘的な雰囲気を漂わせます。ここではもう単に地上の世界での自然というよりも、何か森羅万象の域にまで達してしまったかのようです。特にメロディアスでありながら涅槃の雰囲気を持っている第4楽章にはたまらない魅力を感じます。ここには人間感情としての「喜び」「悲しみ」ではなく、生きとし生けるものに永遠に繰り返される「ものの哀れ」という感じがします。これは大変な音楽だと思います。
ですので演奏においても、もしも人間的な矮小さを少しでも感じさせてしまったりすると、音楽の意味が全く伝わらなくなってしまいます。そういう基準で僕の愛聴盤をご紹介します。
オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィル(1982年録音/TDK盤) ヘルシンキ・フィル初来日の時のライブ録音です。何度か書きましたが、この時の第3番と5番の演奏で僕はシベリウスに開眼しました。この6番の演奏も実に美しく、ライブでこれほど完成度の高い演奏が出来るのは当時からヘルシンキフィルがいかに高い実力を持っていたかの証明です。同じオケでもベルグルンドやセーゲルスタムのような神経質さは有りませんが、カムにしては随分と細部にまで気を配った演奏です。しかし全体は大波に乗ったような安心感と流れが有り素晴らしいものです。TDKの録音はここでも優秀です。
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ管(1983年録音/BIS盤) ヤルヴィのこの曲の演奏も秀逸です。管弦楽の響きの美しさと澄み切った空気感は相当なものですし、第1楽章の主部の速さはベルグルンド以上で「全てを置き去りにして走り去る美しさ」を感じます。それはカール・シューリヒトの演奏するモーツァルトの「プラハ」のような感覚と言えるでしょうか。新録音(グラモフォン)も素晴らしい演奏ですが、旧録音全集(BIS)の中ではこの6番は最も優れた演奏だと思います。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィル(1986年録音/EMI盤) やはりリファレンスにすべきはこの演奏です。むろん美しいことこの上ないのですが、それも不純な物の全く存在しない浄化され尽くされた演奏です。第1楽章は早めのテンポですが神々しいほどの美しさです。第2楽章も実に神秘的な雰囲気をいっぱいに漂わせて見事です。第3楽章のリズム感も素晴らしいですが、終楽章では美しさここに極まれりという感じです。この演奏は本当に涅槃の境地にまで達しているような気がします。EMI録音がオフ気味なのも逆に神秘的さが増してプラスに働いています。
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送響(1993年録音/FINLANDIA盤) これもサンクトべテルブルクでのライブ録音ですが、演奏の完成度に何ら不満は有りません。第1楽章から流れるようにとても美しいですし、第2楽章についても同様です。第3楽章のリズム感も素晴らしいものです。第4楽章もやはり美しいのですが、どうしてもベルグルンドと比較してしまうと表現の徹底度合いと神秘感においてやや不足を感じてしまいます。これだけ聴いていれば充分過ぎるほど良い演奏だとは思うのですが。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管(1995年録音/FINLANDIA盤) ベルグルンドがヨーロッパ室内管を指揮した新盤(FINLANDIA)も秀逸です。人によってはヘルシンキ盤よりも高く評価しますし、弦楽の極限まで統率された点などは唖然としますが、どうも「優秀な室内合奏を聴いている」という感じが音に現れていて、自然感や神秘性においては、やはりヘルシンキ・フィルに及ばないと感じてしまいます。
オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ響(1996年録音/BIS盤) ヴァンスカらしく、第1楽章はずっと小さめの音で押し通しますが、決して音楽が痩せて聞こえることが有りません。曲の神秘感を漂わせるのに完全にプラスに働いているのです。第2楽章も静寂の中に瞑想を深く感じさせて実に素晴らしいです。第3楽章はリズムの切れが良く、ピアノとフォルテの対比が効果的でスケールの大きさを感じます。第4楽章も同様で素晴らしいのですが、時折強奏される金管や打楽器の為に現実の世界に戻されてしまう気がします。ここではやはり涅槃の雰囲気を感じ続けさせてもらいたいのです。とは言え、これは本当に美しい演奏であると思います。
レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィル(2002年録音/ONDINE盤) セーゲルスタム盤も同じヘルシンキ・フィルですし、やはり非常に素晴らしい演奏です。曲によっては時に荒々しさが過ぎるセーゲルスタムですが、この曲ではそのような事はありません。第2楽章の美しさや逍遙しながらの瞑想の深さも充分ですし、第3楽章の壮麗な盛り上がりも大変見事です。全般的にはベルグルンドよりもロマンティックに聞こえますがこの神々しい曲にとっては決してプラスに働かないのが難しいところです。いつもながらONDINEの録音は透明感が有って優秀です。
サー・コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(2002年録音/LSO Live盤) ロンドンのバービカンホールでのライヴです。冒頭から美しさに思わず引き込まれます。音は透明感よりは暖色系の響きに感じられますが、英国音楽のようないじらしさと滋味深さが魅力です。もっともその反面、終楽章では孤高の厳しさが少々薄れているのが気に成ります。
クラウス・マケラ指揮オスロ・フィル(2021年録音/DECCA盤) マケラが僅か24歳でオスロ・フィルの首席指揮者に就き、専属契約を結んだデッカでの最初の録音となった交響曲全集に含まれます。オスロ・フィルの弦楽が非常に美しく、心に沁み込んできます。良く歌うので、ロマンティックな味わいが強く、晦渋さが無いことから非常に親しみ易いです。この曲の良さ、美しさがストレートに伝わって来ます。なんと素晴らしい音楽なのだろうか!と。あえて言うなら、この作品の持つ孤高さ、深遠さが幾らか薄く感じられますが、それもまた長所と短所が表裏一体だと考えることが出来そうです。
というわけで、演奏を色々と聴き比べてみればみるほど、ベルグルンド/ヘルシンキ・フィル盤が断然のベストのように感じます。次点は正直どれでも良いという感じですが、強いて挙げればヴァンスカ/ラハティ響盤でしょうか。
次回の予定はいよいよ最後の第7番です。
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コメント
ハルくんさま、こんばんは。
6番までくると評文自体が涅槃の境地に入ってきたように感じます(笑)演奏時間の関係でしょうか、3番とのカップリングをよく見ますが、3番と同じように親しみやすいようでいて7番と同じように深いものがある、という不思議な魅力がある曲ですよね。
そうか、ドリア調なんですね、納得です。自分ではニ短調(d-moll)でなく"in d"と書いたのかしら。
投稿: かげっち | 2009年4月12日 (日) 21時22分
かげっちさん、こんばんは。
自分では一応はニ短調と表記したらしいですが、実際は第1楽章は二のドリア調なのですね。
ただこの曲は非常に荘厳な雰囲気を感じるものの、結局はシベリウスの音楽そのものという感じがします。親しみ易さと深さの両立。なんとも奥深い音楽ではないでしょうか。
投稿: ハルくん | 2009年4月12日 (日) 22時50分
ハルくん様
morokomanです。
先日触れました、フィンランドの若手指揮者のインキネンのことを調べると、昨年日フィルと行ったシベリウス・チクルスでは、第1夜では1番と5番、第2夜では4番と2番、最終夜では3番、6&7番という組み合わせだったそうです。
ここでの注目は6番と7番をつなげて演奏したこと。6番が静かに終わり、その余韻を残しつつティンパニが鳴り出し、7番が始まる、という趣向です。
この指揮者のみのアイディアか、と思ったのですが、どうもラトル&ベルリン・フィルでも同じことをやっていたそうで、もしかすると現在流行しているスタイルなのかも知れません。
つまり6&7でひとつの大きな交響曲として捉えるという考えのようですね。7番はその大きな交響曲の長大な第5楽章、というわけです。
私自身はこれは良いアイディアなのではないかと思います。マーラー&ブルックナーの巨大な交響世界に慣れている現在の聴衆からすれば、むしろこのほうが演奏会の受けもよいと思いますし。
6&7は音楽世界もほぼ同じなので違和感もありません。時間的にもブルックナーの5~7番あたりと同じ規模になると思いますので、演奏会では十分な満足感も得られると思います。
幸い、インキネン&日フィルのチクルスは今年6月に交響曲全集としてナクソスからでますので、演奏会のあらましを確認したいです。
また、現在の日フィルもチェックしたいです。渡邊新盤から、果たしてどれだけ向上したのかということも。
投稿: morokoman | 2014年2月11日 (火) 20時11分
追加です。
上のコメントで、かげっち様が「6番は3番とのカップリングをよく見る」とお書きになってます。
確かに、LP時代やCD初期はこの組み合わせが多かったのですが、主として商業的な意図でそうしたのではないかと思います。
つまり、「人気の無い3&6を組みあわせよう」という意図があったのではないでしょうか。
しかしそれは昔の話。現在では6番は「隠れた人気作品」になっているのではないかと思います。ネットなどでは「6番が最も好き!」という声をけっこう見かけます。
なので、今後CDは上記演奏会のように6&7の組み合わせで、絶対に定着して欲しいものです。(そして4&5の組み合わせも!)
投稿: morokoman | 2014年2月11日 (火) 20時43分
morokomanさん
LP時代と現在では収録可能な時間が拡大したことも有って、曲の組み合わせも変化していますね。
コンサートプログラムはCDのそれとはまた異なると思うのですが、1&5、4&2、3,6&7というのは妥当な気がします。4&5とすると、残りが1&2となるのがどうかなという気がします。
僕はどの曲も本当に好きなのですが、最近では4,6,7が特に好きですね。CDを購入する場合は全集で購入するのが一番ですけれど。
投稿: ハルくん | 2014年2月12日 (水) 22時29分
こんにちは。
ベルグルンド&ヘルシンキ盤、聴きなおしましたが
「演奏している」感じがしないほどに音楽が溢れ出る感じですね。
これほど融通無碍といいますか?自然体な演奏も珍しいかも。
どこまでが曲の魅力?どこまでが演奏の魅力は問題ないでしょう。
ただ、何も考えずに身を委ねておけばいいのです。
しかし、この曲はいくらなんでも黙殺され過ぎでは?
なんとか演奏回数が増えてほしいものです。
投稿: 影の王子 | 2017年1月 3日 (火) 15時14分
影の王子さん、こんばんは。
シベリウスの6番は7番と並んで大好きですが、確かに地味な存在ですね。なぜでしょうね?
このベルグルンド/ヘルシンキ盤を聴いてもらえさえすればその魅力は直ぐに分かると思うのですがねぇ。
「演奏者を感じさせない」というのは優れたシベリウス演奏の証拠です。巷では演奏者を感じさせるような演奏が案外評価を受けているのを目にしますが不思議でなりません。
投稿: ハルくん | 2017年1月 8日 (日) 01時22分
おはようございます
ヴァンスカ&ラハティ響盤、ベルグルンド&ヘルシンキ盤に勝るとも劣らないですね。
とても精緻な演奏なのですが、そこには堅苦しさは微塵もなく
音楽が語り掛けてきます。
曲の長さから言えば30分未満で、ハイドンの交響曲並みですが
一音一音の密度が圧倒的であります。
忘れがちですが、これは20世紀の音楽なのですね。
投稿: 影の王子 | 2017年3月19日 (日) 09時14分
影の王子さん、こんにちは。
ヴァンスカ盤は好きですが、自分としては記事中に書きました通りベルグルンド/ヘルシンキ盤の域には達していないように感じます。
あとはオッコ・カム/ラハティやネーメ・ヤルヴィ/エーテボリの新盤なども非常に高いレベルに有ると思います。
なにしろ曲が素晴らしいですよね。20世紀の音楽でありながらも、時代を越えた普遍性を持つように感じます。
投稿: ハルくん | 2017年3月21日 (火) 12時54分