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2009年3月28日 (土)

シベリウス 交響曲第4番イ短調op.63 名盤

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シベリウスは交響曲第3番で、それ以前の作品に比べてずっと内省的な音楽に変化させましたが、次の第4番では更に瞑想的で深遠な作品を書き上げました。ひとつにはこの作品に取り掛かっている時にシベリウスは喉に腫瘍が出来てしまい、手術を行いました。そのことが「死」というものを意識させて創作にも影響を与えたと、自身で後述しています。それもあってこの作品は当時のフィンランドの聴衆にとっても、困惑する難解な曲だったのです。確かに馴染みやすい音楽とは言えない為に、かなりのクラシックファンと言えども初めは曲に親しむのに苦労するようです。かくいう僕もやはり馴染むまでには少々時間がかかったのです。しかし指揮者のサラステはこの様に述べています。「第4番はフィンランドのオーケストラと指揮者にとっては理解しやすく、第7番は雰囲気をつかむのに苦労する。」とです。すなわちこの曲はフィンランドの冬の暗く重苦しい自然とも密接に関係しているのです。その自然の厳しさを知っている自国の国民には理解しやすいが、他の国の人間にはなかなか理解し難いということでしょう。前後の作品の3番や5番がどちらかいうと北国の昼間の印象だとすると、4番は凍てつくような冬の澄み渡った夜空もしくは暗い海という印象になるのではないでしょうか。

僕はこのような曲はフィンランド以外の演奏家が本質を表現することはなかなか難しいと思っています。それが実は僕を本場もの以外の演奏から引き離す大きな理由なのです。従って愛聴盤はどうしても自国演奏家のものばかりが揃ってしまいます。

Cci00023b パーヴォ・ベルグルンド指揮フィンランド放送響(1968年録音/FINLANDIA盤) ベルグルンドは交響曲全集を3度録音していますが、その最初の全集の1970年代のボーンマス響盤よりも更に以前の1968年に4番を単独で録音しています。スタイルとしては後年のヘルシンキ・フィル盤と変わらず、過剰なところが全く無い地味な表現です。完成度では若干劣るものの、このとき彼は既にシベリウスの音楽をいかに深く把握していたかが良く解ります。ベルグルンドのレコーディング初期の演奏が聴ける貴重なCDだと思います。

51xbpaqnqql__ss400__5 パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィル(1986年録音/EMI盤) ベルグルンドの2度目の全集録音からです。さすがにヘルシンキ・フィルだけあって、前述の旧盤よりも更に充実した名演奏です。1楽章や3楽章では弦も管も澄み切った音が本当に美しく、深い詩情に満ち溢れています。また第2楽章のリズムの意味深さや音符の処理の仕方も驚くほど徹底しています。弦楽のイントネーションの緻密さなどは他の演奏家からはちょっと聴くことは出来ません。完成度の高さという点ではやはりトップではないかという気がします。但し80年代のデジタル録音にしてはBISやONDINEと比べてどうも音がパリッとしないのですね。EMIらしいと言えばそれまでなのですけれど。

456 レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィル(2002年録音/ONDINE盤) ベルグルンド盤と同様にさすがはヘルシンキフィルだけあって美しい部分は惚れ惚れするほどに美しい演奏です。また1、3楽章の静寂の表現の深さはことによるとベルグルンド盤以上かもしれません。但しその一方で2、4楽章のリズムの切れ味や緻密さはベルグルンドには一歩及ばない気がします。全体を通しての完成度という点でもベルグルンドが上かな、と思います。ONDINEの録音は非常に優れています。

Cci00023 渡邉暁雄指揮ヘルシンキ・フィル(1982年録音/TDK盤) ヘルシンキフィルとの福岡サンパレスでのライブ録音です。アケさんとヘルシンキ・フィルとのコンビはまるで長年連れ添った手兵楽団のような緊密さが有って実に自然です。オケもライブとは思えないほど優れています。ベルグルンド、セーゲルスタム両盤と比べると演奏には大らかさを感じます。その為にずっとロマン派寄りの音楽に聞こえてくるのです。このあたりは好みの問題も有るでしょうが、これはやはり非常に素晴らしい演奏だと思います。半分フィンランド人の血を引くアケさんがどれほど凄いシベリウス指揮者であったかが良く分かります。TDKの録音も相変わらず優秀です。

249 ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送響(1993年録音/FINLANDIA盤) サンクトべテルブルクでのライブ録音です。これはとても良く歌わせた演奏です。ですのでアケさん/ヘルシンキ盤以上にロマンティックに聞こえます。この曲になかなか馴染めないと感じる方には最も向いている演奏ではないかという気がします。かと言って決して深みに欠けている訳では有りません。サラステはシベリウスのシンフォニーの中で4番が最も好きだと述べていますので、これは音楽への愛情がこのような表現にさせているのかもしれません。

369 オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ響(1996年録音/BIS盤) ヴァンスカは他の指揮者に比べて弱音指定部を更に一段小さくするので、時には音が弱すぎて旋律線を損ねてしまう傾向が有ります。この演奏の冒頭も聞こえるか聞こえないか分からないほどに小さな音で始まるのでちょっとイライラしていると、まるで遠い地平線の遙かかなたから音が聞こえてくるように少しづつ大きくなってきます。ここで初めてヴァンスカの意図に納得します。全体的には弱音を多用していますが、ここぞという時には大きくクレッシェンドするので非常に彫りの深い印象になっています。管楽器に依る保持音の生かし方が非常に効果的なのも、管楽器出身のヴァンスカならではです。

さて、以上の演奏はどれもが本当に素晴らしいのですが、それでもあえて個人的な好みで絞るとすればベルグルンド/ヘルシンキ盤、渡邉暁雄/ヘルシンキ盤、サラステ/フィンランド放送盤が僕のベスト3です。

この他では世評の高いベルグルンド4回目の録音であるヨーロッパ室内管盤が決して無視できない演奏なのですが、管楽器がヘルシンキ・フィルに比べて劣ることと、弦楽器の音色がなんとなくウォームなのが気になります。カラヤン/ベルリン・フィル(EMI盤)は余り悪口は言いたくないので(言ってるし!)、シベリウスというよりは映画音楽かムード音楽に聞こえるところが本場物ばかりを聴きすぎた時の口直しに良いかもしれません(ちっとも褒めてないし!)。同じカラヤンでもDGの旧盤のほうがもう少しシベリウスの音楽には近いと思います。バルビローリ/ハレ管はこの曲の演奏に限っては余りにオケのレベルが下手過ぎてとても聴き通すことが出来ません。

次回の予定は第5番です。おそらく僕の最も好きな曲です。

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シベリウス(交響曲)」カテゴリの記事

コメント

ハルくんさま>

お待ちしていました、4番の論評。確かに、私のようにシベリウスの素晴らしさを布教したい者にとって、まったく厄介な曲です。真冬の極北の、理不尽・不条理とでも言いたいような極限的な環境から育った音楽です。不条理ということは、病と死の恐怖にも通じる問題です。

曲想が晦渋に満ちているというだけでなく、おそらく演奏者にとって「激むず」だろうと思います。朗々と歌える旋律が豊富でなく、むしろ「これって技巧練習のためのエチュードでは?」と思うような走句が連鎖しており、内省的というのを通り越して抑鬱的とでも言いたくなる凝縮された音楽は、わずかでもアンサンブルが乱れるとぶち壊しになりそうです。

それだけに、楽員の思いというか曲想理解が一致して、熱意をもって演奏できることが名演の条件になるという曲の、最も典型的な例と言えましょう。上に挙げてくださったラインナップを見て、やっぱりフィンランドの奏者でなければ無理なんだろうな、と改めて感じた次第です。

投稿: かげっち | 2009年3月28日 (土) 13時10分

かげっちさん、こんにちは。

実は先週の日曜日はご紹介頂いたアイノラ交響楽団の演奏会へ行くことができました。正直アマチュア楽団で4番をどれくらい演奏出来るのだろうかと半信半疑でしたが、とても良かったですよ。技術的にもなかなか立派なのですが、何よりもシベリウスを弾き込んでいるなぁ、と非常に感心しました。これはやはりシベリウスの音楽に共感する団員が集まっていることと、指揮者新田ユリさんの北欧音楽への情熱と理解が有ってのことだと思います。

それにしても4番は一般受けはしにくいですが、ファンにとっては非常に魅力的な曲です。但し度々「最もシベリウスらしい曲」というように紹介されるのが、私は抵抗を感じるのです。シベリウスの大変重要な一面を表わしてはいても、北欧の美しい自然賛歌である3番、5番のような曲が対極に有る訳ですからね。

投稿: ハルくん | 2009年3月28日 (土) 22時15分

おお、アイノラ響にいらしたのですね!羨ましい。
シベリウス路線を名乗るオケに集うのはどんな人なのかと考えてみました。1)派手な音楽、大規模編成、流麗な旋律が好きな人ではない。2)各楽器の低音域ばかり奏かされても不満がない。3)パーカッションは大勢必要ない。4)他のオケと掛け持ちの人が少なくない。はっきりしたイメージではありませんが、けっこう地力あるオケになりそうな感じはします。

そもそも「シベリウスらしい」音楽とは、どういう音楽なのでしょうね。なるほど4番がすべてとは思いません。ただ「故郷の自然を愛し描いた音楽家」ならば他にもいて、そのこと自体はシベリウス独自の境地とは言えないかもしれません。4番や7番のような様式は確かに類を見ないと言えるかもしれません。

何番を聴いても思うのは、色彩感がない、墨絵のようなモノクロームの世界だということで、その最たるものが4番だとは言えそうです。先日も津軽の真冬の景色をTVで見ていた家族が「これカラー放送だよね?」と言いましたが、北の真冬の情景はモノトーンです。白か黒か。光か闇か。温もりか凍りつくか。跳躍するか固まるか。生か死か。その境界に響く音楽を私は愛します。

投稿: かげっち | 2009年3月28日 (土) 22時33分

かげっちさん、再びコメントありがとうございます。

シベリウスの場合は単なる「故郷の自然描写」から徐々に抜け出して、自己の心象風景や生きとし生けるものの摂理といった非常に普遍性を持った内容に昇華していったと思います。極めてユニークな音楽なのですが、共通性を持っていると感じるのがアントン・ブルックナーです。あの人も初期の曲にはアルプスの山々やオーストリアの森の描写を感じますが、いつしかもっと普遍性のある宇宙的な世界を感じるように変っていきますね。
面白いのがブルックナーの4番の2楽章とシベリウスの3番の2楽章や5番の2楽章では延々と続くピチカートが、同じように自然の中を瞑想しながら歩み逍遥する様に思えます。

色彩感については、私は必ずしもモノトーンには感じないのですが。
例えば5番には既に新緑の森の緑を予感させますし、4番や6番には暗く深い青色を感じさせます。7番は何色かな?これはホントに難しいなぁ。(苦笑)

投稿: ハルくん | 2009年3月29日 (日) 08時01分

ハルくんさま

言葉で表現するのが難しいのですが、モノトーンと言っても「墨絵でいろいろな色を表した」という感じでしょうか。要するに、たくさんの種類の絵の具をパレットにぶちまけた感じの音楽(ラヴェルやリムスキー=コルサコフ)の対極じゃないかな、という程度の意味です。

ああいうpizzicatoは合わせるのが難しそうですね。木管もstaccatoでそれにつきあうシーンが時々あります、くわばらくわばら・・・

投稿: かげっち | 2009年3月29日 (日) 17時36分

かげっちさん、

なるほど、そんな感じですよね。
あのような極彩色にならない深く地味な音色はやはり北欧のオケでないと出せないですね。イギリスとかドイツとかのオケで暗めの音が出ているなと思っても金管がバリバリとこれ見よがしに吹まくってみたり。母国の演奏家の熱演とは「ちょっと違う」のですよ。

弦のピチカートってアマチュアにとってはとても難しいのですよ。すぐにズレてしまいます。さんざん経験しました。(笑)

投稿: ハルくん | 2009年3月29日 (日) 17時52分

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