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2009年2月

2009年2月24日 (火)

チャイコフスキー 交響曲全集 スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立響の最初の全集 

Tchaikovsky_svetlanovスヴェトラーノフ/ソヴィエト国立響(1967年録音/メロディア原盤:Aulos盤)

一度はチャイコフスキーに別れを告げて、シベリウスへ移ろうかと思いましたが、またまたチャイコフスキーを聴いています。(笑)
というのは、この冬に色々とCDを聴き直しているうちに、エフゲニ・スヴェトラーノフの演奏はやっぱり良いなぁと改めて感じ入ったからです。この人の録音には、1990年の東京ライブと1993年のモスクワ録音と2種類の交響曲全集が有り、どちらも掛け値なしに素晴らしい演奏なのですが、最初の録音の1967年のメロディア盤はこれまで聴いていませんでした。その理由は、昔LPでチャイコフスキーの交響曲全集を購入した時にロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響盤を選んだことと、その後のスヴェトラーノフには演奏/録音ともに優秀な全集が2種類も有りますし、昔の演奏は若々しい演奏なのだろうけれど、どうせあのメロディアの余り優れているとは言えない音質なのだろうし、と決め込んでいたからです。でも最近はスヴェトラーノフが以前にも増して好きになり、やっぱり昔のものも聴いてみたくなりました。幸い現在は韓国Aulosレーベルがライセンス盤を販売してくれています。

さて、いざ聴いてみて非常に素晴らしい全集であることに驚きました。予想をはるかに越えていたのです。確かにこれはロシアの最初のステレオ録音によるチャイコフスキーの交響曲全集ですし、あのコンドラシンのショスタコーヴィチ交響曲全集と並ぶ正に記念碑的な全集なのですが、演奏そのものも単に若々しいなどと簡単に済まされるものでなく、楽曲に向かう気迫が半端でありません。4番、5番、6番のマッシヴでいて壮絶な演奏は、ムラヴィンスキーにも引けを取りません。「悲愴」第1楽章のアレグロ・ヴィーヴォの異常なまでの迫力も五分と五分です。これは大変なことです。何故スヴェトラーノフが僅か30代の若さでソヴィエト国立響の常任指揮者に抜擢されて、全集録音までをも任されたかが良くよく理解できるというものです。もっとも1番から3番まではどちらか言うと晩年のじっくりとした演奏の方が僕は好きです。ロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響の全集は1番~3番の演奏がとても魅力的で、後期の出来が今ひとつだったのと逆なのは面白い現象です。どうも迫力ばかりを強調しましたが、情緒的な味わいも実に深いのは、やはりロシアの演奏家ならではです。それと当時のソヴィエト国立響が上手い事。現在(名前はロシア国立響に変わりましたが)よりも数段上だと思います。さすがに冷戦時代の共産主義国家の文化レベルは凄いものです。

とにもかくにも、この全集は全てのロシア音楽ファン、チャイコフスキーファンにとって聴く価値の有るものだと思います。決して晩年の全集以上とは言いませんが、いずれの全集もかけがえのない不滅の価値を持っているのは間違い有りません。しいて欠点を言えば、昔のメロディア録音なのでかなり音が硬いことです。これには耳の慣れがちょっと必要かもしれません。Aulosのリマスターは余り評価されないレヴューも見受けられますが、僕はなかなか良いリマスターだと思っています。

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2009年2月22日 (日)

傑作オペラ映画「ラ・ボエーム」

Cci00012s 先週公開されたオペラ映画「ラ・ボエーム」を観に行きました。マスコミでも結構取り上げていますが、何といっても私がイタリアオペラの中で最も愛する作品ですし、主役が絶世の美人歌手アンナ・ネトレプコにローランド・ビリャソンのコンビとあっては見逃すわけには行きません。プッチーニ生誕150周年記念というこの映画はドイツ・オーストリアの合作です。監督はロバート・ドーンヘルム、音楽はベルトラン・ド・ビリー指揮、バイエルン放送響です。

さて、その映画ですが、幕が上がって(じゃなくて上映が始まって)いきなりスクリーンに目を奪われます。美しい!オペラの舞台では無く完全な映画として撮影されているのですが、19世紀のパリのうす汚れた部分、美しい部分がそっくり再現されています。映像そのものが詩情を表現していて本当に素晴らしいのです。そして、この映画は完璧にオペラの楽譜通りに進行しますが、音とシーン、演出が有機的に結合していて実に自然です。「映画」として見事に完成されているのです。

ミミ役のネトレプコは大スクリーンに映し出されると、正直ちょっと齢を取ったかな、という感じです。但しそれは若い娘役として見た場合であって、彼女の美しさ、色っぽさは今だ健在であり、演技ぶりも立派なものです。おじさん的には実にそそられてたまりません。歌の方も、その美貌で大幅にポイント加算されるので問題ありません。そしてルドルフォ役のビリャソンが本当に素晴らしいのです。見た目も役柄にぴったりだし、演技がまた驚くほど上手いし、おまけに歌の方も抜群です。これは過去の名歌手達と比べても充分並び立つ素晴らしさです。他の脇役達もとても達者で感心することしきりです。僕の大好きな第1幕の若い2人が恋に落ちるシーンの感動、終幕のミミの息絶えるシーンの悲哀さなどは観ていて涙がこぼれるほどです。

また、この映画は音楽伴奏にも手を抜くことなく、オペラの得意なビリーの指揮するバイエルン放送響の演奏が素晴らしい表現力で酔わせます。これはCDとして聴いても充分満足出来る演奏ではないかと思います。

この映画は恐らくは過去のあらゆるオペラ映画を越える完成度でしょう。どんなに素晴らしいオペラ公演とも違った音と映像とドラマの魅力を伝えてくれると思います。いずれDVDにも成るでしょうが、是非とも劇場の大スクリーンの迫力でご覧になられることをお薦めしたいと思います。しかしこれほどの名画が現在東京では新宿のタイムズスクエア1館のみの上映というのは寂しいものです。もっとも土曜午後というのに空席が目立っていましたから興行的には致し方ないのでしょうね。

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2009年2月21日 (土)

シベリウス 交響詩「クレルヴォ」op.7 名盤 ~幻の傑作~

僕は毎年、春が近づいて来る今ごろはシベリウスの音楽が無性に聴きたくなります。それはたぶん若い頃に初めてシベリウスの曲の魅力に気が付くきっかけになった、丁度今ごろ雪山へ行ったとき何気なく聴いていたシベリウスの音楽が辺りの雪解けと陽の光の光景に驚くほどマッチしているのに驚いた経験が有ったからだと思います。もちろん曲によって印象は異なりますが、多くの曲にそんなイメージを湧かせてくれる部分が頻出します。

シベリウスの作品の中核は何と言っても傑作揃いの第1番から第7盤までの7曲の交響曲ですが、彼の初期の大作「クレルヴォ」も、非常に魅力的な作品です。シベリウス自身は、この曲のタイトルには単に「声楽付管弦楽の為の交響詩クレルヴォ」と記しています。但し大変に規模が大きいので、通称「クレルヴォ交響曲」と呼ばれますし、マーラーの「千人の交響曲」や「大地の歌」が交響曲なのですから、この曲も本当に「交響曲」としても良かったのじゃないかなぁとも思います。

この作品は、自国フィンランドでの初演が大成功だったのにもかかわらず、自己批判的なシベリウス本人が余り気に入らずに出版も再演も行なわなかったこともあり、長い間「幻の作品」になってしまったのです。それがようやく1958年に復活演奏されて出版もされましたが、大作であることと歌詞がフィンランド語であることが障害となって世界では簡単には広がりませんでした。それでも時とともにレコードが発売されたり、1974年にはわが国でも渡辺暁雄/都響により初演されたりと徐々に普及して来たのです。しかしこの曲がシベリウスファン以外の人にどれぐらい聴かれているかと考えると少々疑問であり、ほとんど聴かれていないのではないかと思います。これは大変残念です。

この曲はフィンランドに1000年以上も昔から伝わる叙事詩「カレワラ」伝説が題材となっています。その長大な全編の中の第35章と36章の部分がこの曲に使われています。話の内容ですが、かつて叔父に父親を殺された超人クレルヴォが、ある日ソリを走らせて家に帰る途中に若い女を誘惑しようとしますが、最初の2人に断られたものの3人目にやっと成功して、自分のソリに誘い入れて女を犯してしまいます。行為の後にお互いの身の上話をしてみると、実は生き別れになっていた兄妹の間柄であることが判りました(こういう近親相姦の話は案外題材に多いですね)。そして、悔やんだ妹はその場で川の流れに身を投げて死んでしまいます。クレルヴォも家に帰って自殺しようとしますが、それを母親に止められて、父の仇討ちを決心して出かけます。彼は父の復讐を果たして家に戻って来ますが、すると彼の家は荒れ果てて母の姿も無く、落胆した彼は妹と過ちを犯してしまった場所に再び戻り、そこで自らの剣で命を絶つという話です。とんだ超人で驚いてしまいますね。

この曲は5部構成で出来ています。

第1部「導入部」 序曲の位置づけですが、非常に魅力的です。詩情に溢れており、円熟期の作品のようなフィンランドの雄大で美しい自然が目に浮かぶようです。面白いことに主題のメロディがあたかもNHKの大河ドラマのタイトル曲を思わせます。(いや逆ですね。大河ドラマの作曲家が影響を受けているのでしょう。)

第2部「クレルヴォの青春」 情緒溢れる幻想的な曲で、ハーモニーが実に美しいです。交響曲で言えば緩徐楽章にあたります。

第3部「クレルヴォと彼の妹」 長大なこの曲の核心部分であり、クレルヴォと妹の話が歌い述べられます。出だしにソリを元気良く飛ばして女狩りをしようとする部分の音楽は楽しいのですが、最後は話の結末通り劇的に終わります。

第4部「戦いに赴くクレルヴォ(行進曲)」 父親の仇打ちの部分です。

第5部「クレルヴォの死」 フィナーレです。家に戻った後の悲劇的な最後を劇的に閉じます。

この曲は現在では既に「幻の作品」ではなく、幾つものCDが発売されていますが、僕は二つの演奏を愛聴しています。

Cci00010b パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィル(1982年録音/EMI盤) この曲を世界で初めて録音したのはベルグルンドです。このCDは二度目の再録音盤です。ベルグルンドはシベリウスのスペシャリストとして、交響曲全集を3度も録音していますが、これはその中で最も素晴らしく、リファレンスとも言える2度目のヘルシンキ・フィルとの全集の中に収められています。当然、演奏は悪いはずが無く、このシベリウス初期の曲の魅力を充分に表しています。

Cci00010 オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ響(2000年録音/BIS盤) ヴァンスカも非常に素晴らしいシベリウス指揮者です。同じラハティ響との交響曲全集は、正にベストを争う出来栄えですが、この「クレルヴォ」も本当に素晴らしく、この曲に関してはベルグルンド盤以上だと思います。録音の質、バランスも優秀なので、非常に繊細で深みや静けさが表現し尽くされた演奏をとことん味わうことができます。僕はこの演奏で初めて曲の魅力が100%理解できたと思います。

ということで、しばらくはシベリウス特集で行きたいと思っていますので、どうぞお暇のある方はご笑読下さい。そして何でもご遠慮なくコメント頂ければ嬉しい限りです。

<後日記事>

シベリウス 交響詩「クレルヴォ」 パヌラ/トゥルク・フィル盤

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2009年2月15日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」ロ短調op.74 名盤

昨日は関東地方にもハルいちばん、じゃ無くて春一番が吹いて、まるで春の様な気温でしたね。今年の冬、大いに聴きまくったチャイコフスキーにもそろそろお別れをして、また来年です。そこで今回は特集の締めくくりとして、代表作「悲愴」を取り上げることにします。

Img_1337242_48284092_2s_2 チャイコフスキーの音楽は、非常に分かり易いメロディーと豪放な管弦楽のために、たとえばブルックナーやマーラーなどの音楽に比べて一段低いものように考えられているクラシック通も決して少なくは無い気がします。また、その一方で熱烈なファンが非常に多いのも事実だと思います。僕はもちろん後者の方なのですが。最後の交響曲第6番「悲愴」は、疑いなくチャイコフスキーの最高傑作であるばかりでなく、古今の多くの交響曲の中においても大衆性と芸術性の両方を兼ね備えた稀有な名作だと思います。遠く深い地の底から響いてくるようなコントラバスのロングトーンに始まり、そこにうめくようなファゴットがかぶる冒頭からして只ならぬ雰囲気です。主部に入っても嘆き苦しみ、悲しみを美しく歌った末に再び荒れ狂い、最後には破滅に至るという第1楽章は傑作中の傑作です。第2楽章のワルツも2+3拍子の5拍子という非常に不安感をかき立てるようなリズムと旋律が魅力的ですね。第3楽章の行進曲は通常のスケルツォ楽章の代わりですが、明るさには程遠く、破滅に向かう雰囲気を強く感じてしまいます。そして第4楽章では再びどこまでも深く深く悲しみの底に沈んでいきます。マーラーの厭世感に似ているかもしれませんが、旋律に甘さが有る分だけ僕は案外楽しんで聴いていられます。

この曲は昨年11月にサンクトペテルブルク・フィルの来日コンサートを聴いた時の記事で愛聴盤についても触れました。

この時にご紹介したフリッチャイのグラモフォン盤、オルフェオ盤の二種類と、ムラヴィンスキーのグラモフォン盤のCDは正に別格の演奏です。この3つの演奏が自分のベスト3である事は変わりませんが、これ以外にも好きな演奏はまだまだ色々と有りますので改めて順番にご紹介させて頂きます。

Cci00005 ウイレム・メンゲルベルク指揮コンセルトへボウ管(1937年録音/テレフンケン盤) 僕が聴いているのはMusic&Arts盤ですが音は悪くないです。よく言われるように1941年盤よりも録音バランス、演奏ともにこの方が良いと思います。全体のテンポ、表情の変幻自在さは相変わらずのメンゲルベルク調ですが、なかでも第1楽章のあの美しいメロディを何とロマンティックに甘くとろけるように奏でることでしょうか。一度は絶対に聴いて頂きたいと思います。と言いながら何度聴いても感激させられますが。

Cci00005b ヘルマン・アーベントロート指揮ライプチッヒ放送響(1952年録音/シャルプラッテン盤) これはよく紹介されてる有名な演奏で、以前は僕も気に入っていました。ですが今改めて聴いてみると、この時代のドイツでの演奏としてはなかなかのものなのですがメンゲルベルクほどの面白さは無いですし、結構ドラマティックな演出のはずですが、それほど心は動かされません。似たようなタイプならばフリッチャイ盤の方が完成度がずっと高いと思います。

458 フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送響(1959年録音/グラモフォン盤) 既にファンには良く知られた最高の「悲愴」です。僕は普段は偏執的(?)なほどに本場物の演奏を好みますが、これはハンガリーの指揮者とドイツのオケとの有無を言わせぬ圧倒的な名演奏です。第一楽章や終楽章の有名な旋律が、かつてこれほどまでに悲しく響いたことがあったでしょうか。断じて有りません。しかも極めてドラマティックな展開も正に圧巻です。「悲愴」がお好きで、もしもこの演奏をまだ聴かれてない方がおられたら、それは一生の不覚ですぞ。録音もとても優れています。

172 フェレンツ・フリッチャイ指揮バイエルン放送響(1960年録音/オルフェオ盤) フリッチャイにはグラモフォン録音とは別にライブ録音が残っています。これこそは知る人ぞ知る、演奏だけをとればベルリン放送盤をも凌駕する凄演なのです。録音も極上のモノラルですので聴いていると音の違いは気にならなくなってしまいます。演奏解釈はベルリン盤とほぼ同じで、ライブでの感興の高さが更に増すだけです。ベルリン放送盤のファンにはこちらも是非聴いて頂きたいところです。それにしてもフリッチャイは病気リタイア後に復帰してからは、何という演奏を行っていたことでしょうか。しかし結局は早死にしてしまうのですが、世界の楽壇のなんとも大きな損失でした。

125 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1960年録音/グラモフォン盤) この演奏を外すわけには決して行きません。これを初めて聴いた時、それまでカラヤンのゴージャスな響きに馴染んでいた学生(30年前の私です)の耳には非常にショッキングでした。脳天につきささるような鋭利な金管の響き、異常なほどに切れの良いリズム、徹底的に鍛え上げた凄みの有るアンサンブル。それでいていかにも自国の楽団でしか味わえないようなロシア風の歌いまわし。すっかりとりこになってしまいました。ムラヴィンスキーにはライブ盤も有りむろん素晴らしいのですけれど、このグラモフォン盤は原点と言えます。

Cci00009 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1965年録音/メロディア盤) 名匠コンドラシンの本国でのスタジオ録音です。この人は早々とショスタコーヴィチの全集を録音しましたが、チャイコフスキーの録音は少ないのです。同じモスクワでスヴェトラーノフが全集録音を行った影響もあるのかもしれません。それにしても当時のモスクワの新興オケの実力には目を見張ります。それだけに後任のキタエンコ時代にどんどんレベルが下がった(と私は思います)のが非常に残念です。ムラヴィンスキーのような手練手管こそ見せませんが、早めのテンポで非常に引き締まった良い演奏だと思います。

Cci00006 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1967年録音/Altus盤) これはメロディア盤から僅か2年後の日本公演でのライブ録音です。NHKによる録音はメロディア盤よりもずっと優れています。演奏はライブの為に多少の不安定さが有りますが、オーケストラの優秀さはやはり変わりません。スタジオ盤と同じく速めでストレートな演奏ですが、更に実演ならではの感情移入の深さを感じますし、これも非常に良い演奏だと思います。

Tchaikovsky_karajan_3817982ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1971年録音/EMI盤) 当時ベストセラーとなった「三大交響曲集」は、まるでライヴのように熱くドライブした演奏が魅力で、カラヤンの録音の中では第一に取りたいと思います。但し第4番ではロシアの香りの無さにかなり不満を感じました。それがロシア臭さが薄れてくる第5番、第6番になると余り不満にはならなくなります。特にこの「悲愴」では壮絶なまでに白熱した演奏に思わず引き込まれます。これで金管の音色にもう少し暗さが有れば言うことが無かったのですが。

Cci00006b エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1983年録音/ERATO盤) 露メロディアによる録音で、僕のCDでは1982年録音と有りますが、これは正しくは83年録音である様です。あのスタジオ録音のような彫琢の限りを尽くしたような精密さは有りません。その代わりにライブならではの荒々しさが凄いです。金管の強奏などは耳をつんざくほどです。ある意味神経質なスタジオ盤よりもこの方が自然な熱演かもしれません。全体の音質は良いのですがフォルテシモでレコーダーの限界を超えてビリつくのがちょっと残念です。ムラヴィンスキーの消え入りそうなピアニシモと凄まじいフォルテの両方を録音収録するのは当時のロシアの機材では無理だったということでしょう。

Cci00007b エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立響(1990年録音/CANYON盤) 有名な日本での全曲チクルス録音の一つです。当然3年後のスタジオ録音と基本的には似ています。ライブ演奏なので時々不安定な部分は有りますが、気になる事は有りません。逆に音楽に勢いが有るので非常に魅力的です。こちらの荒々しさを好む人も多い事でしょう。録音もとても良いですし、僕自身こちらにも大いに惹かれます。

Cci00018 エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立響(1993年録音/CANYON盤) スヴェトラノフは日本ライブの僅か3年後に再び本国モスクワで全曲録音を行いました。これはポニーキャニオンの強い希望であるでしょう。ライブとは違って全体的にはゆったりと落ち着いたテンポでスケールが大きいです。ですがひとたびアレグロヴィーヴォになると一変して荒れ狂って凄い迫力を見せます。第3楽章もことさら力まないのに堂々としています。終楽章は深く美しくかつ壮大です。これは最も「ロシアらしい音」を味わうことのできる名演奏、名録音だと思います。

Cci00009_2 ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィル(1992年録音/RCA盤) 昨年の生演奏は素晴らしかったです。どうしてもその印象と比べると物足りなく感じてしまうのですが、これはこれで悪くない演奏です。ムラヴィンスキー時代の音の凄みと迫力は有りませんが、逆にムラヴィンスキーがそっけなく感じる部分などはテミルカーノフの方がゆったりとした雰囲気が有って美しいと思います。

877 ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ管(1995年録音/フィリップス盤) 彼はこの後にウイーン・フィルを振って後期交響曲の3曲を録音しますが、その中で最も優れた演奏は5番であり、4番、6番は何となく今ひとつに思います。そこでどうせ6番を聴くなら、僕は手兵キーロフ管とのロシア風の音の演奏の方が好きです。荒々しさと洗練さのバランスがとても良く、およそ欠点の無い現代ロシアのリファレンス的な名演奏だと思います。

Cci00007 ウラジミール・フェドセーエフ指揮モスクワ放送響(1999年録音/Relief盤) これはモスクワでのライブ演奏です。彼はこの前に一度チャイコフスキーの自筆譜による録音も行っています。通常譜との一番の違いは終楽章の速度指定が通常のアダージョではなくアンダンテ、つまり速めであることです。こちらのライブ盤の記載にはアダージョと有るので通常譜らしいです。ですが実際のテンポは自筆譜盤と似たようなものです。ということは指揮者による演奏の違いの方が大きいのだから譜面は別にどっちでもいいじゃないかというのが正直なところです。演奏そのものもこちらのライブ盤のほうが遥かに良いです。ただしスヴェトラーノフほどの荒々しさと土臭さは感じませんし、テミルカーノフやゲルギエフほど現代的に洗練された面が有る訳でもないので、どうしても印象が薄くなるのが気の毒です。それでも2楽章の沈んだ雰囲気などはなかなか素晴らしいと思います。

ということで、しばしの間チャイコフスキー特集をご笑読頂きまして有り難うございました。改めて色々と演奏を聴きなおしてみて感じた事なのですが、自分はやっぱり自国の演奏家によるものが好きだなぁということです。これまではそれほどこだわらなかった後期の5番、6番あたりについてもロシアの演奏家のものが益々好きになりました。なので今回挙げたほとんどの録音はみな僕にとって大切な愛すべき演奏なのだということです。

さて、僕は例年ですと春の足取りが遠くから近づく今ごろからはシベリウスが無性に聴きたくなるのですが、いきなり春の陽気になってしまってはその気にならないかもしれません。そのときはどうしましょうか・・・。

<関連記事>
ポリャンスキー/ロシア国立響 三大交響曲集  上記のどの演奏と比べてもユニークな「悲愴」です。既に「哀しみ」を通り越して、涙も流れないほどの虚しさを感じます。

ロストロポーヴィチ/ワシントン・ナショナル響 モスクワ・コンサート
テミルカーノフ/サンクト・ぺテルブルグ・フィルのライヴ盤

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2009年2月11日 (水)

チャイコフスキー ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の想い出」 オイストラフ・トリオ ~もうひとつの名盤~

チャイコフスキーの大傑作ピアノ・トリオ「偉大な芸術家の想い出」については、少し前に記事にしたばかりです。<旧記事>チャイコフスキー ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の想い出」 名盤

その時の記事の中で、コーガン/ギレリス/ロストロポーヴィチの古い演奏を、およそ比類の無い名盤だとご紹介しました。それについては全くの事実なのですが、実はその後に、たまたま中古ショップで珍しいCDを見つけました。

Cci00020b

演奏をしているのは、ダヴィド・オイストラフ(Vn)、レフ・オボーリン(Pf)、スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー(Vc)の、いわゆるオイストラフ・トリオで、1961年のライブ録音と記載されています。イギリスのマスタートーン・マルチメディアという会社が「レニングラードマスターズ」というシリーズ?で出したようですが、現在は恐らく廃盤扱いでしょう。実は相当の音の悪さを覚悟の上で購入したのですが、実際に聴いてみると録音は予想以上でした。まあ、この手は粗悪な音の物が多いので最初から期待はしていないからでしたが、幸いにも鑑賞には支障のない良好なレベルでした。そして肝心の演奏が何とも素晴らしいものだったのです。これはまあメンバーを考えれば当然のことではあるのですけれども。コーガン/ギレリス/ロストロポーヴィチの演奏はインテンポで極めて堅牢な造形でありながらもロシアの味わいに満ち溢れた正に純血ロシアンでなければ出来ない演奏でした。こちらはそれに比べればややゆったりとしたテンポでたっぷり歌うことに重点を置いた演奏です。特に素晴らしいのがやはりオイストラフのヴァイオリンです。この人はライブになると本当に良いです。ほれぼれするほど楽器が歌っており素晴らしい味わいです。クヌシェヴィツキーのチェロも非常に上手いです。この人は今まであまり聴いたことは有りませんでしたが、品格から言えばロストロポーヴィチに全然負けていません。ヴァイオリンとチェロに関しては、この両トリオは全くの互角だと思います。残るオボーリンのピアノだけがテクニック面でギレリスと比べるとだいぶ劣っています。個々を比べればそのようになるのですが、アンサンブル全体として比べた場合には、音楽の造形と凄み、迫力でコーガン/ギレリス/ロストロポーヴィチ盤が優れ、豊かな表情と情緒表現の点ではオイストラフ/オボーリン/クヌシェヴィツキー盤が更にその上を行くと思います。自分としてはこの両盤にとても優劣はつけることは出来ません。そしてどちらもつくづく純血ロシアンの演奏なのだと感じ入るばかりです。それにしてもこれほどの名曲の名演奏が現在どちらも陽の目を浴びていないとはかえすがえすも残念なことです。

けれども、幸いなことにYouTubeでこの演奏を聴くことができます。

尚、このメンバーは1950年頃にもスタジオ録音を残していることも今回知りました。部分的に試聴した限りでは後年のライブの円熟味と深さには及ばない気がしますが、その演奏を全部聴いた方がいらっしゃればご感想を是非お聞きしたいと思います。

<後日記事>チャイコフスキー「偉大な芸術家の想い出」 クレーメル新盤

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2009年2月 7日 (土)

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35 名盤

立春と言っても名ばかりで寒い日が続いています。まだまだチャイコフスキーを聴くのに適した気候ですね。寒い外から帰って来て、冷えた体をウオッカで(と言いたいところですが、実は芋焼酎で)暖めながら、ロシア音楽を聴く楽しみは格別です。

チャイコフスキーはヴァイオリン協奏曲にも名作を残しました。曲の激しさにおいてはブラームスと双璧でしょう。ブラームスはジプシー民族の情熱を、こちらはロシア民族の情熱を余すところなく歌い上げます。第1楽章のポロネーズ調に爆発するところなどは何度耳にしても興奮させられます。第2楽章の感傷的なメロディにも心惹かれますし、第3楽章のどんどん高揚してゆくパッションも比類がありません。ところがこの曲は、チャイコフスキーが最初に楽譜を見せた大ヴァイオリニストのアウアーから「演奏不能」だと言われてしまいます。初演後にも散々酷評されて、曰く「余りに酷い曲で周囲に悪臭が漂う」とまで言われたそうです。恐らくは演奏が非常に難しくて、実際にそのような演奏だったのでしょう。それでは曲の真価は判りませんものね。事実、現在でも本当に良いと思える演奏は少ないと思います。テクニックが欠けていれば騒音にしか聞こえませんし、情熱が欠ければ退屈しますし、繊細さに欠ければ楽しめませんし、オーケストラの音がしっかりしていないと拍子抜けしますし、おまけにロシアの味わいも求めたい、などとこれら全ての条件を満たして初めてこの曲の魅力が伝えられると思います。

それでは、僕の聴いている演奏をご紹介させて頂きます。

123 ブロニスラフ・フーベルマン(Vn)、オーマンディ指揮フィルハーモニア(1946年録音/Music&Arts盤) 古い録音ですが音はとてもしっかりしています。これは正真正銘「世紀のヴルトゥオーゾ」の名に相応しい演奏です。但しテクニック的には現代の演奏家と比べると結構おおざっぱで、おおらか。とにかく凄いのは表現力が実に豊かで音楽が大きいことです。その自由奔放な弾き方は現在ではとても考えられない程です。3楽章の追い込みも迫力が凄まじいです。これは是非一度は耳にしておくべき演奏だと思います。 

Tchiko_kogan レオニード・コーガン(Vn)、ネボルジン指揮ソヴィエト放送響(1950年録音/Arlecchino盤) ソヴィエト共産党時代に西側に登場して衝撃を与えた演奏家は多く存在しますが、バイオリニストでオイストラフと並び立ったのはコーガンです。録音の数に余り恵まれなかったのと、その後にレコード会社が力を入れなかった為に、だいぶ忘れ去られた存在ですが、実力はピカイチです。これほど凄みのあるヴァイオリンは、ハイフェッツ以外には聞いたことがありません。音そのものは、鋼のように引き締まっていて非常に厳しいのですが、第2楽章などでは悲歌の感情を一杯に湛えて歌わせています。本当に凄い演奏なのですが、オーケストラの音が極端に後ろに引っ込んでいるのが欠点です。僕のCDはイタリアのArlecchino社がアナログ盤から復刻したものです。         

429_2 ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、ライナー指揮シカゴ響(1957年録音/RCA盤) いつもながらの快速超特急の演奏です。ハイフェッツのバイオリンは全ての音符を粒立ちの良い明確な音でどんどんすっ飛ばしてゆくので、とても爽快ではあるのですが、ゆったりと情緒的に歌って欲しい部分までも同じように飛ばして行くのでおよそ味わいというものが感じられません。こういう演奏は幾ら凄くても僕の耳には少々辛すぎます。

Isaac_vc_アイザック・スターン(Vn)、オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1958年録音/CBS SONY盤) スターンはユダヤ人ですがウクライナ生まれなので、生後間もなく米国に渡ったとはいえども、ロシアに近いルーツを持ちます。1楽章と3楽章では全盛期の完璧な技術に裏付けされた爽快なスタイルですが、2楽章での歌いまわしにはそこはかとなくロシアの土地の味を感じさせます。やはり素晴らしいヴァイオリニストだったと思います。オーマンディのバックは綺麗ですが迫力に少々物足りなさを感じます。

81l6xhwghl__aa1436_レオニード・コーガン(Vn)、シルヴェストリ指揮パリ音楽院管(1959年録音/EMI盤) 一度聴いた時のインパクトにおいては1950年の録音に敵いませんが、繰り返して聴くにはこちらの新盤の方が良いです。ヴァイオリンの凄みとキレは僅かに衰えた感無きにしもあらずですが、まだまだ他のヴァイオリニストに比べれば凄いものです。2楽章では、沈み込んだ虚無的な弾き方がユニークです。オーケストラの音色は明るいですが、シルヴェストリのロシアのオケも真っ青のパワフルな指揮ぶりが見事です。

163 ダヴィッド・オイストラフ(Vn)、オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1959年録音/CBS SONY盤) オイストラフという人は、もちろん非常に上手いのですが、スタジオ録音だとどうも気合が入らずに、ぬるま湯的な演奏になることが多いのです。それはオーマンディもしかりです。このCBS盤は、昔は名盤と呼ばれてベストセラーでしたが、後年の素晴らしいライブ演奏が出ている以上、今では存在価値が薄くなってしまったように思います。

41ctgtjzgvl__sl500_aa300_ダヴィッド・オイストラフ(Vn)、ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ・フィル(1968年録音/メロディア盤) これはライブ録音なので、CBS盤のようなぬるま湯の雰囲気は全く有りません。常に緊張感を持ち続けますが、それでいて歌心に溢れ、ちょっとしたスケールまでが味わい深いのです。とにかくフレージングが大きく自然で、千両役者に思えます。オーケストラの演奏も最高で、荒々しさやロシアの雰囲気もたっぷりです。とにかく、この曲の魅力を全て表現し尽した稀有な名演奏だと言えます。オイストラフには同曲異演盤は多く有りますが、演奏と録音の両方に優れた代表盤であるのは間違いありません。 

053 チョン・キョンファ(Vn)、プレヴィン指揮ロンドン響(1970年録音/DECCA盤) チョン・キョンファのデビュー直後の録音です。彼女の若い時代の演奏はどれもが非常に好きでした。端正で凛としていて、それでいて凄みが有るほどの切れ味の良さを見せるヴァイオリンが実に魅力的です。もちろん後年の円熟した深みのある演奏も素晴らしいのですが、若い頃の演奏で聴ける瑞々しさは本当にかけがえの無いものだと思います。

51zdwyktgel_2ギドン・クレーメル(Vn)、キタエンコ指揮レニングラード・フィル(1971年録音/Master Tone Multimedia盤) クレーメルが1970年のチャイコフスキー・コンクールに優勝した翌年のライブ録音です。この頃には、これほど激しく演奏をしていたのかと驚くほどの熱演ぶりです。弓を荒々しく弦にぶつけるので、松脂が飛び散るのが見えるようです。スケールの音程はハズレ気味ですし、音を間違えている箇所も有りますが、それを忘れさせるほどの強烈な魅力が有ります。キタエンコもレニングラード・フィルを鳴らし切っていて爽快です。録音も明瞭で優れています。

51wjhflunzl__ss500_ ナタン・ミルステイン(Vn)、アバド指揮ウイーン・フィル(1972年録音/グラモフォン盤) この人はウクライナ生れで、ロシアのアウアー門下の割には、弾き方が派手ではないですし、歌い方も大げさでありません。どちらかいうと優雅な弾き方のフランコ・ベルギー派に近い印象です。この演奏は2楽章ではさすがにロシア風のエレジーを奏でていますが、他の部分では優雅な歌いまわしで一環しています。ですので、チャイコフスキーの音楽の持つある一面は良いのですが、ロシア的な荒々しさは余り望めません。アバドも全く同じです。

Tchiko_trecyakof ヴィクトル・トレチャコフ(独奏Vn)、ウラディーミル・フェドセーエフ指揮ソヴィエト放送響(1984年録音/MELODIYA盤) コーガン盤は東西冷戦時代の演奏ですが、トレチャコフ盤はずっと後のソヴィエト連邦解体が近づく時代の演奏です。この人は1966年のチャイコフスキーコンクールの優勝者ですので、腕前は確かです。その上、たっぷりとした歌い回しが特徴ですので僕の好みです。それにフェドセーエフがオケをいかにもロシア風にゴリゴリとエグく演奏してくれているのが最高です。なお、トレチャコフにはこの3年前のライブ録音(指揮はマリス・ヤンソンス)も有りますが、録音、演奏ともにこの’84年盤のほうがずっと優れていると思います。

205 諏訪内晶子(Vn)、キタエンコ指揮モスクワ・フィル(1990年録音/TELDEC盤) チャイコフスキーコンクール優勝記念のライブ演奏です。はっきり言ってヴァイオリンは非常につたないです。テクニック上の問題というよりも、フレージングがどうにもギクシャクしているのです。ただし、それではこの演奏はつまらないのかと言えばそんなことは有りません。何しろこの当時の彼女は本当に可憐でした。目の中に入れても痛くないぐらい可愛い少女がひたむきに弾く演奏にはオジサンとしてはちょっと参ってしまうのです。3楽章の盛り上がりも中々どうして興奮させられます。

Suwanai__1 諏訪内晶子(Vn)、アシュケナージ指揮チェコ・フィル(2000年録音/フィリップス盤) コンクールから10年の時を経た再録音盤です。すっかり大人の女性になった彼女は実に美しいですね。美女に弱いハルくんは参ってしまいます。ここには10年前のぎくしゃくしたフレージングは既に無くなり、端正な弾き方が何となく現代音楽を思わせてユニークです。2楽章の深い情緒の表出や、3楽章の熱気も相当のものです。現在はこの録音から既に9年が過ぎていますが、その間に彼女は結婚、出産、DV、離婚訴訟と私生活では天国と地獄を味わいました。最近は美しい顔が随分疲れた表情に見えるのが気の毒なのですが、音楽は逆に深みが増しています。やはり音楽には生きざまが表れるようです。

753 ワディム・レーピン(Vn)、ゲルギエフ指揮キーロフ管(2002年録音/フィリップス盤) これはライブ録音です。レーピンは以前からテクニックには申し分が無かったですが、最近は円熟を増して音楽が実に深くなってきました。歌いまわしの上手さなどはオイストラフにも迫ると思います。それでいて繊細さはレーピンの方が上なのです。そしてなんと言ってもゲルギエフのオーケストラ伴奏はおよそ過去のあらゆる演奏の中で最高の素晴らしさです。これほど立派で情緒と表情が豊かな演奏は初めて耳にしました。

以上の中から僕のベスト3はというと、第1位オイストラフ/ロジェストヴェンスキー盤、第2位レーピン/ゲルギエフ盤です。そして第3位には美人なので贔屓して諏訪内晶子/アシュケナージ盤、それにコーガン/シルヴェストリ盤としたいです。番外としてはコーガン/ネボルジンの凄演を上げておきます。

<後日記事> 映画「オーケストラ」についての記事の中で、サラ・ネムタヌの弾くこの曲の演奏について触れています。

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2009年2月 1日 (日)

喫茶店「珈琲の詩」のマスターはバッハ狂

土曜日に暫らくぶりで僕のお気に入りの喫茶店「珈琲の詩」に行きました。場所は渋谷からほど近い東急田園都市線高津駅の目と鼻の先です。このお店を僕が知ったのは以前にTVの街角さんぽ番組で取り上げられていたからです。その番組の中で「マスターが大のバッハ狂である」と紹介されていたのでどうしても行ってみたくなり、直ぐにネットで調べて訪れてみたのです。ところが流石はバッハ狂のマスター、客商売とは言え所謂愛想笑いで客に媚を売るようなタイプではありません。なんとなくおそるおそる声をかけてみたところ、何でもこの商売を始めたのも音楽を一日中聴いていられるから、などと言われるだけあって、色々とお話を聞かせてくれたり、僕の為にバッハの曲を選んでくれたりと実に親切で優しかったのです。すっかり気に入って、それ以来近くに行った時には必ず寄っています。

866 マスターが一番楽しそうに話してくれるのは、2000年のバッハの没後250年記念の年にライプチッヒの教会で行われた記念演奏会を実際に聴きに行かれた時のことです。バッハの命日に聖トーマス教会で行われたゲオルグ・クリストフ・ビラー指揮の「ロ短調ミサ曲」の演奏会は全世界にTV放映されてDVDにも成りましたが、それには一番前の客席に座っているマスターと奥様がしっかり映っているのです。あのような演奏会を体験なさっただけでも羨ましいのに、ご自分達の姿が映像に残されているなんて、なんともかけがえの無い記念ですね。僕はこの時の演奏は本当に素晴らしいと思います。カール・リヒターのように深刻で激しいわけでも無く、最近の古楽派の少人数の精緻なコーラスでも有りませんが、聖トーマス教会合唱団(「トマナー・コーア」と呼ばれます)の少年達の純粋素朴な歌声は最も心に響いて来ます。

お店では、普段はバッハが半分ぐらい、残りはモーツァルトやハイドンがよくかかっていますが、マスターに頼めばこのDVDを直ぐに見せてくれます。旅行のアルバムも見せてくれながら、生解説付きなので楽しいです。それと忘れてならないのはマスターの入れてくれるコーヒーがとても美味しいのです。こじんまりとした店内の壁の棚にはクラシックのLPレコードやCDがぎっしり並んでいて壮観です。

皆様も、生活圏内のかたは是非一度お立ち寄りになられてみては如何でしょうか。

「珈琲の詩」ホームページhttp://www.cafe-uta.com/

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