2022年5月13日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第12番ニ短調「1917年」Op.112 名盤 ~十月革命~

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ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、前作の交響曲第11番「1905年」に続いて再び、ロシアにおける革命の歴史を基に作曲されました。第11番では1905年の“血の日曜日事件“が題材とされましたが、第12番は1917年の”十月革命“が題材とされています。 

十月革命とは、191710月に首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)でレーニンに率いられて起きた労働者や兵士らによる革命です。一連のロシア革命の中では、帝政を崩壊させて臨時政府を成立させた二月革命に続く革命で、その後に続いた反革命運動との内戦を経て、最終的に1922年に世界最初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立します。 

ショスタコーヴィチは、第12交響曲について「この交響曲はレーニンを偲ぶものとなる」と述べています。かねてからレーニンを題材にした「レーニン交響曲」の構想を持ってはいましたが、第二次世界大戦が起きたことで、創作が止まっていました。ようやく1959年に再着手されますが、翌年に病気になったこともあり、1961年の春から夏の間に本格的に取り掛かり、8月に完成されました。 

初演は196110月の共産党大会の開会日に合わせて、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより行われました。 

<曲の構成>
4楽章形式で各楽章には標題が付けられています。交響曲第11番ほどの直接的な描写は見られませんが、それぞれ十月革命にまつわるエピソードを想わせる曲想となっています。大曲の第7番、第8番、第10番あたりと比べると、演奏時間も40分程度と短めですが、全楽章が切れ目なく演奏されて簡潔にまとめられているので聴きやすい傑作だと思います。 

第1楽章「革命のペトログラード」 モデラート - アレグロ、ソナタ形式
低弦による序奏で始まります。変拍子の旋律が全曲の中心主題となります。革命歌「憎しみの坩堝(るつぼ)」も用いられています。ショスタコーヴィチ自身によれば、これはレーニンがペトログラードに帰還し、勤労者、労働者階級と出会う物語であるとのことです。 

第2楽章「ラズリーフ」 アダージョ、3部形式
「ラズリーフ」は、ペトログラードの北にある湖の名前です。レーニンがこの湖の湖畔で革命の計画を練ったと言われることに由来します。美しくも冷え切った空気感に包まれています。 

第3楽章「アヴローラ」 アレグロ、3部形式
静かな打楽器が開始の合図を示し、巡洋艦アヴローラの主砲による宮殿への砲撃が開始されて、ついに十月革命が始まったことを表します。非常に力強く勇壮な音楽です。 

第4楽章「人類の夜明け」 リステッソ・テンポ - アレグレット - モデラート、ロンド形式
ホルンにより勝利のファンファーレが始まり、弦楽、木管の変奏の後にトランペットとトロンボーンの強奏となります。いくつかの主題の変奏からクライマックスへと移り、最後は輝かしいコーダで終結します。ショスタコーヴィチによれば、これは十月革命の成就を表します。 

自伝によれば、ショスタコーヴィチは、この曲の作曲に向かうにあたり「これは自分の創作歴のなかでも重要な段階を画するものとなるだろう。自分としてはこの作品をたいへん重視している。この重要な課題を成し遂げるのに自分の支えとなるものが何であるかを考えるが、わたし自身が十月革命の生証人であり、レーニンがペトログラードに戻って来たその日に、フィンランド駅前の広場でレーニンの演説を聞いた人々の中には自分も混じっていたのだ。私はまだ若かったが、このことは永遠に記憶に刻み付けられている。忘れることの無いこの日の思い出が、創作する私の支えと成ってくれるに違いない。」と語ったとされます。 

それでは愛聴CDのご紹介です。 

Shosta-12 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1961年録音/PRAGA盤:メロディア原盤) これは10月の初演から二か月後にモスクワの放送局スタジオで行われたセッション録音です(CDのクレジットではレニングラード録音と有りますが)。そしてこの後は、ムラヴィンスキーはセッション録音を一切行っていません。メロディア盤は未聴なのですが、このPRAGA盤は低域から高域までのバランスがとても良く、しかもリマスターにありがちな高域の強調も有りません。元からのステレオ録音でしょうが各楽器の分離も明瞭で、年代を考えたら極めて優秀です。演奏も緊迫感の有るレニングラード・フィルの音がセッション録音による安定感を持って味わえるので貴重です。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。ムラヴィンスキーの演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。第1楽章から激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、テンポに緊迫感が有るもののややスピード感が有り過ぎにも思えます。第2楽章では弦楽の冷たい響きにロシアの大地の香りが漂います。第3楽章の壮絶さも圧倒的で、終楽章までそのまま息つく間も無いほどです。録音についてはムラヴィンスキーの‘61盤より優れますが、マスタリングの影響か高音域が硬く感じられるのが残念です。 

Shostako12-xkh0yps7l_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1984年録音/ERATO盤:メロディア原盤) レニングラード大ホールでのライブで、ムラヴィンスキーのライブの中では優れた音質です。中低域の厚さやバランスも悪くありません。ただ、‘61年の録音と比べて、飛躍的に優れているかと言えばそれほどでもありません。むしろ、こちらは実演ならではの感興の深さが有りますし、レニングラード・フィルの金管も打楽器もセッション録音と違って容赦なく強奏されていて圧倒されます。当然、3楽章から終楽章になだれ込む迫力には言葉を失います。半面、所々に些細な傷は有りますが、もちろん問題にはなりません。 

Shosta-335 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1995年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。この曲においてもロストロポーヴィチのショスタコーヴィチへの敬愛の念が強く感じられます。この曲でも激しい切迫感よりはスケール感や気宇の大きさが感じられる演奏スタイルです。ロンドン響はレニングラード・フィルのような鋭く切り裂くような音こそ持ちませんが、暗めの音色が音楽に適しています。アンサンブルは優れますし、重心の低い厚い響きも聴き応えが有ります。録音は強音に僅かなざらつきが感じられますが概ね優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1995年録音/ブリリアント盤) ロシア人のバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。1楽章は哀感が漂って始まりますが、その後は実演さながらの熱気に包まれ、更にまた美しく歌われます。トゥッティの響きには迫力が有りますが、派手に成り過ぎない節度が有ります。2楽章は美しく情感に溢れ、3楽章、4楽章と力強く、また大地に根付くような輝かしさも充分で、非常に聴き応えが有ります。ロストロポーヴィチ盤と同じ年の録音ですが、音質、バランス共にこちらの方が明らかに上回ります。 

多くは聴いていませんし、毎回同じような演奏家ばかりですが、特にマイ・フェイヴァリットを選ぶとすれば、やはりムラヴィンスキーの1984年盤であり、録音も含めればバルシャイ盤がそれに並びます。

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2022年4月24日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」Op.103 ~血の日曜日事件~

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ショスタコーヴィチが第二次大戦の終戦から10年以上経った1957年、51歳の年に作曲した交響曲が第11番ト短調「1905年」作品103です。これは、サンクトペテルブルクで起きた、いわゆる「血の日曜日事件」を題材としています。 

「血の日曜日事件」とは、1905年1月9日の日曜日、当時の首都サンクトペテルブルクにおいて、皇宮へ向かう労働者の平和的な請願行進に対し、政府の軍隊が発砲して、多数の死傷者を出した事件です。請願の内容は、政府の搾取や貧困、戦争に苦しんでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を代弁したもので、民衆はロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世への直訴によって情勢が改善されると信じていました。 

サンクトペテルブルクの全労働者18万人のうち行進への参加者は6万人ほどに達しましたが、デモ隊を中心街へ入れない当局の方針により、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲しました。発砲による死者の数は反政府運動側の報告では4,000人以上に達したと主張され、他の報告でも死傷者の数は1,000人以上とされます。

この事件がきっかけとなって、ロシア皇帝崇拝が崩れ去り、全国規模の反政府運動が起きて、ロシア第一革命へと繋がってゆきます。 

ショスタコーヴィチがこの曲を書く前に語ったとされる言葉です。 

『今、私は第11交響曲を作っているが、冬までにはたぶん仕上がると思う。テーマは1905年の革命である。労働者の革命歌に鮮やかに映されている祖国のこの時代が私はたまらなく好きだ。これらの歌の旋律を広く交響曲に取り入れるかどうかは分からないが、この交響曲は性質上、ロシアの革命歌にごく近いものとなる。』 

<曲の構成>
4楽章構成で各楽章は切れ目なく演奏され、それぞれの楽章には表題が付けられていて、革命歌や自作合唱曲の引用が多いのが特徴です。 

第1楽章「宮殿前広場」 アダージオ 4/4拍子 ト短調
冬のペテルブルク王宮前の広場の情景が描かれています。これから起きる血に染まる日曜日を予感した静けさと不穏さがしじゅう漂います。革命歌「聞いてくれ!」、「囚人」(別題「夜は暗い」が引用されています。 

第2楽章「1月9日」 アレグレット 6/8拍子 ト短調
低弦による不穏な動きで始まり、徐々に緊迫感が高まってゆき、民衆の請願行進を描きます。展開部では、ついにトランペットの合図とともに政府軍の一斉射撃が始まり、民衆が撃ち殺される極めて劇的で凄惨な光景が描かれます。やがて音が静まり返ると、広場に横たわる多くの犠牲者が描き出されます。この楽章では合唱曲「革命詩人による10の詩」から「おぉ、皇帝われらが父よ」、そして「帽子をぬごう」が引用されています。また、この楽章は、ロシアの名匠エイゼンシュテイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」において、映像背景の音楽として使用されました。 

第3楽章「永遠の記憶」 アダージオ 4/4拍子 ト短調
犠牲者への鎮魂歌です。やがて革命歌「君は犠牲になった」がヴィオラで演奏され、中間部では革命歌「こんにちは、自由よ」が力強く演奏されます。そして再び鎮魂歌に戻ります。 

第4楽章「警鐘」 アレグロ・ノン・トロッポ 2/4拍子 ロ短調 - ト短調 ロンド形式
革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」が金管により印象的に開始され、やがて弦楽器により「ワルシャワ労働歌」が奏されます。圧政に抵抗して必死に立ち上がる民衆の力が表されて感動的です。やがてイングリッシュホルンの悲しい歌が心に沁みて、最後はチューブラーベルが打ち鳴らされて、帝政への警鐘となり曲が終わります。 

この曲は標題音楽と呼べるので、各楽章の音楽は表題に非常に忠実であり、「血の日曜日事件」の情景が生々しいほどに描かれています。ですので、それらの内容を理解して聴けば、とても解り易い曲です。また、多数の革命歌が効果的に引用されていることもあって、一層の親しみ易さをもたらしていると思います。それなら、いっそのこと合唱を伴わせて作曲してしまえば良かったのにと思うのは自分だけでしょうか?

初演は19571030日にモスクワで、ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団により行われましたが、続く11月3日にムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルよるレニングラード初演が行なわれました。 

それでは所有しているCDのご紹介です。 

Shosta-11ayphxkbpl_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1959年録音/メロディア盤) 初演から僅か2年後のレニングラード大ホールでのライブで、タコ・マニアのみならず、多くの人にこの曲の最高の演奏と評される名盤です。弦楽による凍り付くような悲しみの深さは底無しであり、そこには神秘感が一杯に漂います。そして金管や打楽器の凄まじい音も言葉には到底出来ず、壮絶の極みと言えます。それは単なる大音量とはまるで次元が異なります。この凄演に迫るのは、せいぜいコンドラシン盤ぐらいでしょうか。つくづく凄い時代であったと思い知らされます。録音はモノラルですが、当時のムラヴィンスキーのライブとしては良好で、中低域の厚さやバランスも悪くありません。これは‘76年3月3日の演奏記録ですが、他に録音品質が落ちるという3月21日の演奏も存在します。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。前述のムラヴィンスキーの壮絶な演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。長大な第1楽章では、激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、一方で弦楽の冷たい響きには、どこかロシアの土の香りが漂います。第2楽章のスピード感と緊張感も圧倒的です。終楽章も同様に凄いです。ただし録音についてはムラヴィンスキー盤よりは数段良いものの、年代を考慮しても高音域が硬く、強調されていて古さが感じられるのが残念です。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1992年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。スケール感や気宇の大きさは素晴らしく、ロストロポーヴィチと親交のあった作曲者への敬愛の念が強く感じられます。オーケストラの重心の低い厚い響きが聴き応えあり、それを忠実に再現する録音の良さもプラスです。その半面、数々の革命歌がどことなく品良く演奏されていて、荒々しさや訴えかけがやや弱いようにも感じられます。やはりアメリカのオーケストラにロシアのそれのような胸に迫る演奏を望むのは、たとえスラヴァが指揮したとしても難しいのでしょうか。 

Shosta11-00028948316946 ウラディーミル・アシュケナージ指揮サンクトペテルブルク・フィル(1994年録音/DECCA盤) ピアニストとしてのアシュケナージは上手いのですが、余りに常識的なところを好みません。指揮者としても特別な魅力は感じません。このCDを購入したのは単にサンクトペテルブルク・フィル(旧レニングラード・フィル)の音を良い音で聴きたかっただけです。DECCAがレニングラード大ホールに乗り込んでの録音は実に素晴らしい音質です。クリアーでトゥッティの響きは厚く、かつての鋼のような音色を彷彿させます。もちろん革命歌も管楽器もロシアの味わいが豊かで満足です。ただしムラヴィンスキーのような厳しさは全く無く、むしろ指揮者の持つ楽天性のようなものを感じさせます。ですので、ショスタコーヴィチは暗くて嫌だという方には是非お勧めしたいです。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1999年録音/ブリリアント盤) ロシアのバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。1楽章は地味ですが、不穏な空気感が良く出ています。2楽章はコントロールが効いていて、緊迫する部分でも過去のロシアの団体の緊迫感溢れる爆演タイプとはだいぶ異なります。3楽章のヴィオラは静寂に徹していて余り歌わせません。元ヴィオラ奏者だったバルシャイなので意外でした。終楽章も2楽章と同様にハーモニーの美しさ重視なので、圧倒される感じは受けません。全体を聴き終えた印象ではやや物足りなさを感じますが、その後の新時代の演奏の先駆けなのかもしれません。録音が新しいので音質は優れます。 

所有しているディスク枚数も少ないですし、この曲の場合にはムラヴィンスキーにステレオ録音が残されていない為に、自分としてはどのCDをとっても「帯に短し、襷に長し」といったところです。そこで、もし誰かにお勧めするならオーケストラにロシアの味わいが感じられて、録音の良いものという理由からアシュケナージ/サンクトペテルブルク・フィル盤が残ります。

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2022年4月17日 (日)

クリストフ・エッシェンバッハ指揮NHK交響楽団 マーラー 交響曲第5番


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最近は演奏会へ行く機会が減りましたが、これだけは聴き逃せないと出かけたのが今日のN響定期でした。現役の指揮者で一番好きなエッシェンバッハが指揮するマーラーの5番です。
東京芸術劇場の1階席という条件が幸いして、素晴らしい管弦楽の響きを楽しめました。昨年のマエストロの「復活」ではNHKホールだったので残念ながら、響きの凄さが届いてきませんでしたので。

さて、N響の5番を聴くのは20年以上前のデュトワ以来の記憶(汗)ですが、うねるような激しさと管弦楽の色彩感が素晴らしかったデュトワとは全く違った今回のエッシェンバッハの演奏です。一言で言って虚飾のない、曲に真摯に向き合う演奏。テンポの激変や派手な表情づけは避け、サウンドも弦楽の上に管楽を乗せるドイツ的な音作りです。なので良く鳴っていてもハーモニーが美しく、騒々しく成りません。でも演奏の底力も聴き応えも充分にあります。管の各ソロは非常に上手いですし、弦も上手い。しいて言えばファーストVnはもう少し艶っぽさを望みたかったかも。その点でチェロは最高でした。音にも表情にも惚れ惚れされっぱなし。TOPの辻本さんが前日の演奏の後に「マエストロに楽器をいい子いい子された」と言っていたのがわかります。(笑)

この曲はかつてパーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送響とサントリーで演奏したのを生で聴きましたが、それは手練手管の限りを尽くして、面白いこと極まりない造り物めいた(でも素晴らしい)演奏でしたが、今日のエッシェンバッハはそうした印象は全く受けずに、ドイツ音楽としての王道を堂々と行き、結果としてマーラーの音楽を一段上に引き上げて格調の高ささえ感じさせる(でも熱量はかなりの)素晴らしさでした。

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2022年4月13日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番ホ短調 Op.93 名盤

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奇しくもこのブログでショスタコーヴィチの交響曲を取り上げ始めたのとロシアのウクライナへの軍事侵攻とが重なってしまいました。今も毎日届く悲惨な報道が終息するのは一体いつになることでしょう。 

それにしてもショスタコーヴィチの多くの作品は、聴いていると余りの緊張感で息が出来なくなり、凍り付くような感覚に襲われてしまいます。それというのも、この人はソヴィエト時代に生きた音楽家として、独裁政権により弾圧される恐怖や戦争の悲惨さを常に感じながら作曲を行っていたからに他ならないでしょう。 

これまでも書きましたが、自分はショスタコーヴィチの音楽をことさらに愛好するわけではありません。けれども現在のウクライナのような悲惨な状況を見ていると、なにか「聴かねばならない」という気持ちにさせられます。 

交響曲第10番ホ短調 作品93はショスタコーヴィチが1953年に作曲した交響曲です。 

ショスタコーヴィチは第二次大戦が終わって直ぐに交響曲第9番を作曲しましたが、その曲を聴いたスターリンがベートーヴェンの第九のような作品を期待していたのに全く違う、軽く、ふざけたような作品であった為に激怒したことでジダーノフ批判の原因となってしまい、しばらく作品の発表が出来なくなります。その為、第9番の発表から交響曲第10番が発表されるまでには8年の間が空きました。 

ショスタコーヴィチは弟子に宛てた手紙の中で「戦争三部作の真の完結編は,第9番ではなくこれから作る第10番だ」と書いています。また、作品発表後の討論会では「私は人間的な感情と情熱とを描きたかった」「この作品は欠点が多いがそれでも可愛いものだ」と述べています。

一方で、『ショスタコーヴィチの証言』では「あれは、スターリンとスターリンの時代について書いたものであった」「第2楽章は音楽によるスターリンの肖像である」とも書かれています。 

曲の初演は1953年にムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルによって行われましたが、ソヴィエト国内では、またしても作品の評価は賛否両論に分かれたそうです。

個人的には第7番や第8番のほうが優れた作品だとは思いますが、それでも聴き応えのある交響作品の一つであることは間違いないです。 

<曲の構成>
ショスタコーヴィチのドイツ語のイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われます。この音型は、「スターリンの肖像」とされた第2楽章までは登場しませんが、第3楽章で現れると第4楽章で頻繁に使われることから、スターリンの体制が終焉し、解放された自分自身を表現しているのだという説も有ります。 

第1楽章 モデラート ホ短調 3/4拍子 ソナタ形式全曲の半分近くを占める長大な楽章ですが、独裁による弾圧への恐怖、戦争の悲惨さが一貫して感じられます。 

第2楽章 アレグロ 変ロ短調 2/4拍子 スケルツォ『ショスタコーヴィチの証言』によれば、「音楽によるスターリンの肖像である」とされている短い楽章です。また、第1主題はムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の冒頭に似ていて、暴君の圧政を表したものと読み取れます。実際に音楽が暴れまくります。 

第3楽章 アレグレット ハ短調 3/4拍子 三部形式
ワルツですが、どことなく暗さや不安な雰囲気を持ち、気持ちが晴れることは有りません。 

第4楽章 アンダンテ-アレグロ ロ短調-ホ長調 6/8 - 2/4拍子 ソナタ形式
序奏は低弦による暗い音楽ですが、主部に入ると力強く明るく転じます。それが展開部以降は狂気さえ感じさせて、コサック軍団の荒々しい疾走となり、その頂点でD, S, C, Hがトゥッティで鳴り響きます。何度もこの音型が繰り返されると、最後は輝かしく強奏されて終わります。 

それでは所有しているCDをご紹介しますが、それほど多くは有りません。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。後述するムラヴィンスキーの壮絶な演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。長大な第1楽章では、激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、一方で弦楽の冷たい響きには、どこかロシアの土の香りが漂います。第2楽章のスピード感と緊張感も圧倒的です。終楽章も同様に凄いです。ただし録音については年代を考慮しても、高音域が硬く、強調されていて古さが感じられるのは残念です。 

Shostako10-xkh0yps7l_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976年録音/ERATO盤:メロディア原盤) レニングラード大ホールでのライブで、タコ・マニアのみならず、多くの人にこの曲の最高の演奏と評される名盤です。弦楽による凍り付くような悲しみの深さは底無しであり、そこには神秘感が一杯に漂います。そして金管や打楽器の凄まじい音も言葉には到底出来ず、壮絶の極みと言えます。それは単なる大音量とはまるで次元が異なります。この凄演に迫るのは、せいぜいコンドラシン盤ぐらいでしょうか。つくづく凄い時代であったと思い知らされます。録音も当時のムラヴィンスキーのライブとしては良好で、中低域の厚さやバランスも悪くありません。これは‘76年3月3日の演奏記録ですが、他に録音品質が落ちるという3月21日の演奏も存在します。 

Shosta51phcu7smul_ac_ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1981年録音/グラモフォン盤) カラヤンはショスタコーヴィチの録音はこの第10番しか残していません。オイストラフに「ショスタコーヴィチの交響曲を演奏するなら何番が良いか?」と尋ねた時の答えがこの曲だったというエピソードが有ります。1969年のベルリン・フィルのソヴィエト公演の際にはショスタコーヴィチ本人とムラヴィンスキーの前で演奏しました。ショスタコーヴィチは「これほど美しく演奏されたのは初めてです」と感想を述べ、ムラヴィンスキーは「実に感動しました。しかしあなたは自身の演奏をレコードで聴くべきです」と述べました。二人とも本心ではどのように思っていたのか興味津々というところです。カラヤンの録音にはそのソヴィエトでのライブ、‘66年および’81年のグラモフォン盤と3種有りますが、所有するのは最後の録音です。世界一の名器を鳴らしに鳴らした派手な演奏ですが、作曲者とムラヴィンスキーの感想を思い出しながら聴くと面白いです。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集の演奏はナショナル響が大半ですが、ロンドン響が4曲、モスクワ・アカデミー響が1曲あります。この第10番はロンドン響が担当しています。ロシアやアメリカのオケのように金管が突出しない暗い響きは地味ですし、凍り付くような空気感やロシアの大地の土臭さも薄目ですが、全体のスケール感や気宇の大きさは素晴らしいです。これはロストロポーヴィチの作曲者の音楽への理解と敬愛以外の何ものでもないと思います。録音も優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1996年録音/ブリリアント盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人バルシャイの残した交響曲全集に含まれる録音です。さすがにムラヴィンスキーやコンドラシンの壮絶さには及びませんが、作品への共感が滲み出た演奏はやはり感動的です。このドイツの優れた放送楽団にもバルシャイの意図が充分に浸透されていて、管弦楽の響きには冷たさや鋭さを持ちながら、こけおどしに陥らない緊迫感と迫力ある演奏を充分に楽しませてくれます。録音も優れていますし、それも含めればこの曲のお勧めディスクになります。 

以上ですが、この中からたった一つ選ぶとすれば、やはりムラヴィンスキー盤となります。また録音の優秀なものを選ぶならバルシャイ盤となります。

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2022年3月19日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番ハ短調 Op.65 名盤 ~スターリングラード交響曲~

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ロシアがウクライナへ軍事侵攻してからは、ロシアの国の様々な個人や団体への制裁が加えられていますが、それはロシア国民の目を覚まさせて体制を転換させる手段としてやむを得ないことだとは思います。

音楽の世界でも、ロシア作曲家の作品の演奏を取りやめるのをよく見かけて悲しい思いに駆られます。とくにショスタコーヴィチの作品までが規制対象に成りかけるのを見ると、それは違うんじゃないかと考えてしまいます。戦後まもなくはともかく、戦争悲劇や独裁政治体制を批判したショスタコーヴィチの音楽こそ、いま演奏されるべきだと思うからです。そこで、先の第7番に続いて第8番の交響曲を取り上げることにしました。 

この曲は第二次大戦中に、交響曲第7番(「レニングラード」)の次に書かれた交響曲です。第7番と同様に「戦争」を描いていて、終戦後に作曲された第9番も含めて「戦争三部作」と呼ばれます。しかしこの第8番は、前作の第7番と比べると余りに内容が暗く、健全なるソ連にそぐわないと多方から批判されてしまいます。しかし擁護派は、そうした保守派の価値判断の硬直性を指摘したことから、ショスタコーヴィチは友人への手紙の中に「この作品に対する議論は盛り上がったが、私の優位に終わった」と書いています。 

ところが、続く第9番もやはり内容が暗かったことから、ソ連共産党による前衛芸術に対する統制(いわゆる“ジダーノフ批判“)の対象となり、1960年まで演奏禁止となってしまいます。 

この作品は、モスクワにある「創作の家」で1943年の夏に僅か二か月余りで書き上げられました。『ショスタコーヴィチ自伝』によると、曲の完成直後にショスタコーヴィチはこの作品についておよそ次のような解説をしたとあります。 

「交響曲第8番には、多くの内的、悲劇的、劇的な葛藤がある。けれども全体は、楽観主義的な、人生肯定的な作品である。第1楽章は極めてゆっくりと進行し、極めてドラマチックな緊張を持ちクライマックスに達する。第2楽章は、スケルツォ的な要素の行進曲であり、第3楽章は活発でダイナミックである。第4楽章は痛々しく沈んだ性格を持つ。第5楽章は、様々な舞曲や民謡風の旋律を持った明るく喜びにみちた牧歌的な音楽である。

この第8番には、これまでの自分の仕事に含まれていた主義主張のようなものが今後の発展方向をみいだしているような気がする。この新作は、ごく簡単に言い表すと、たった二つの言葉で、「生きることは美しい」という風に表現出来る。あらゆる暗くて陰気なものが消え去り、美しいものが勝つ。」 

この解説によれば、世評に言われた“暗い音楽“よりはずっと、明るく肯定的な音楽であると、本人が考えていた可能性は有ります。ただし、暗く、厭世的な音楽が目の敵とされた独裁体制の下ですし、これは表向きの説明であることが十分に考えられます。そもそもこの自伝自体、ソヴィエト国家の監修のもとに編纂されたものです。 

一方で、後にソロモン・ヴォルコフにより編纂されたあの有名な『ショスタコーヴィチの証言』によれば、この曲は、人類史上でも稀有なほど凄惨な戦いとなった「スターリングラード攻防戦」の犠牲者や圧政で死んでいった人や苦しんでいる人たちのためのレクイエムだと本人が述べたとあります。 

曲の初演は1943年11月にモスクワで、ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団によって行われました。作品はそのムラヴィンスキーに献呈されました。国外では翌年、世界各地で「スターリングラード交響曲」の名称で演奏されました。 

<曲の構成>

1楽章 アダージョ-アレグロ-アダージオ ハ短調

2楽章 スケルツォ、アレグレット 変ニ長調

3楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ホ短調

4楽章 パッサカリア、ラルゴ 嬰ト短調

5楽章 ロンド・ソナタ形式 アレグレット-アレグロ-アダージオ-アレグレット ハ長調 

それではこの曲の愛聴CDをご紹介してみたいと思います。 

Shostako8-737 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1960年録音/BBC盤) まずは初演者のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルです。これはこの曲のイギリスでの初めての公開演奏会のライブですが、注目したいのはこのコンビがロンドンで行った、あのチャイコフスキーの第4番のグラモフォン録音から僅か一週間後の演奏であることです。一般的には後述の‘82年の演奏が圧倒的に有名ですし、タコ・マニアも大抵はあちらを高く評価します。けれども、このロンドン・ライブはステレオ録音で、年代が信じられないぐらい音が明瞭で生々しく、中低域も厚くバランスの良い音質です。しかも肝心の演奏は壮絶極まりなく、聴いていて椅子からのけぞり落ちそうですし、静寂部分では恐ろしいほどの緊張感に背筋が凍りつくようです。客席の咳の音が始終聞こえるのを指摘する書き込みも見受けられますが、自分にはこの凄演の前には全く気になりません。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1967年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。古い録音でリマスターの影響も有り、高音域がかなり強調されていますが、トーン・コントロールを使えば充分に鑑賞できます。そして何よりも演奏の持つムラヴィンスキー並みのキレ味と緊張感に圧倒されます。実際の戦禍を経験して来た演奏家達にとっては、平和な時代になてから生まれた演奏家とは、この曲に向かう意気込みがまるで別物のように思えるのは当然なのでしょう。激しく鋭い金管の咆哮も我々の耳に響くのではなく、心の底に突き刺さるように響いて来ます。 

Shostako8-51m74gnnxvl_ac_ キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1967年録音/Altus盤) 前述のメロディア録音と同じ年に行われたモスクワ・フィルの来日ツアーでのライブです。録音は古いながらもNHKの録音はバランスが良く、むしろ聴きやすいです。何よりも実演ならではの演奏の緊迫度が凄まじく、セッション録音を遥かに凌駕します。その分、アンサンブルの乱れやミスは少なからず散見されますが、そんなことは少しもマイナスにはなりません。打楽器の強打や低音部の底力や激しさは、とても人間業とは思えません。この演奏もまたムラヴィンスキー盤のように聴いていて椅子からのけぞり落ちそうです。この実演を会場となった東京文化会館で聴いた日本の聴衆はどう受け止めたのでしょう。 

Shostako8zki4ufzl_ac_sl1417_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1982年録音/Altus盤) これはレニングラード大ホールでのライブですが、タコ・マニアの大抵の人が最高の演奏だと評する名盤です。但し最初にリリースされたフィリップス盤ではピッチが半音高くなっていました。やがてピッチ修正盤も幾つか出ましたが、現在ではAltus盤が最も音の良いディスクだと定評が有ります(海外盤ではalto盤も充分鑑賞は出来ます)。確かにムラヴィンスキーのライブとしては音質も優れていて、中低域の厚さやバランスも良いです。表現の深さや完成度、そして金管や打楽器の音の壮絶さは相変わらずです。初演者がほぼ40年かけて最後に到達した孤高の境地だと言えるでしょう。しかし、個人的には‘60年ロンドン・ライブの激しさに、より強く惹かれる気がします。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1991年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、98年に東京で開催されたショスタコーヴィチ・フェスティバルの際に聴いた第7番の実演が思い出されます。このナショナル響との演奏はスケールと気宇の大きさが見事です。オーケストラは技術的にも優秀ですし、長く監督を務めたのでお互いの信頼感が大いに感じられます。ロシアの大地の土臭さは感じさせませんが、冷たい空気、寂寥感を良く出せています。録音も優れています。所有しているのは写真の全集盤です。 

Shostako8-81f7tvjuntl_ac_sl1500_ アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン響(1992年録音/グラモフォン盤) 長大な1楽章をかなりゆっくりと広がりを持って演奏します。弦楽の音が余り冷たく無く、肌のぬくもりを感じさせるのはプレヴィンらしいです。2楽章も同様で、旧ソ連の団体の凄味のある音とはだいぶ違います。インターナショナルなショスタコ演奏の先駆けなのかもしれません。従って、この演奏から「戦争の悲劇」という情緒的、文学的な要素は余り感じられません。それでも金管群はとても上手いですし、この曲を純音楽的に聴きたいという人には向いているのでは無いでしょうか。ロンドン響のくすんだ響きが美しく録られた録音も心地よいです。 

Shostako8-998 ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(1994年録音/フィリップス盤) 新盤が出たので旧盤にはなりましたが、これはオランダのコンセルトヘボウで行われた録音で、重心が低く中低域が厚いフィリップスの音造りが聴き応え充分ですし、強奏でも音の迫力と響きの美しさのバランスが抜群です。演奏も1楽章から淡々と流れながらも、音楽に虚無感が染み渡っています。つくづく旧レニングラードの団体であると思い知らされます。頂点に向かってじわじわと盛り上げてゆくゲルギエフの手腕の見事さにも舌を巻きます。弱音の美しさはこの人のもっとも得意とするところで文句なしです。2、3楽章の躍動感と緊迫感、4楽章の静寂、終楽章の面白さと、どれも素晴らしいです。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1994-95年録音/ブリリアント盤) バルシャイもまたショスタコーヴィチ演奏の権威の一人です。これは交響曲全集に含まれる録音ですが、ドイツの優れた放送楽団にバルシャイの意図が充分に浸透されていて、非常にシリアスな趣に溢れます。管弦楽の響きは鋭さを持ちながらも威圧的なまでにはならず、音色も美しく、冷た過ぎることがありません。その分、ムラヴィンスキーやコンドラシンと比べると、幾らか緊迫感に不足する印象が拭い切れないのはやむを得ません。しかし完成度の高い良い演奏であるのは間違いなく、特に終楽章などは非常に雄弁で意味深いです。 

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パーヴォ・ベルグルンド指揮ロシア・ナショナル管(2005年録音/PentaTone盤) 言わずと知れたシベリウスのスペシャリストであるベルグルンドですが、ショスタコーヴィチも得意の様です。これはモスクワでのセッション録音ですが、面白いのはロシアの楽団が所謂ロシア的な金管の強奏を見せていない点です。例えれば、フィンランドの楽団によるシベリウスの1番や2番程度の鳴らせ方なのです。一方でオーケストラから意味深い響きを引き出す神技を持つこの人ならではの演奏でもあります。弱音による悲哀や虚無感の表出が素晴らしいです。伝統的なロシアンスタイルの演奏を好む方にはどう受け止められるか分かりませんが、独自のスタイルとして非常に感銘を受けます。録音も優秀です。

所有しているCDは以上ですが、この中から特に好きなものを上げるとすれば、ムラヴィンスキーの‘60年ロンドン・ライブと’82年レニングラード・ライブ、そしてコンドラシンの‘67年東京文化会館ライブ、この3つです。もちろんこれ以外のもっと新しい、この曲を既に”古典作品”として捉えた演奏も良いとは思うのですが、やはり”歴史の当事者”たちのこの曲の演奏には、胸に迫るものが痛いほどに感じられてなりません。

<補足>
ベルグルンド指揮ロシア・ナショナル管盤を後から追加しました。

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2022年2月23日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番ハ長調Op.60 名盤 ~レニングラード包囲戦~

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ショスタコーヴィチはポスト・マーラーの最大の交響曲作曲家と言われますし、その通りだと思います。ショスタコーヴィチの愛好家は、自ら「タコ・マニア」と称してはばからず、その思い入れも半端無く、ある意味マーラー・マニア以上かもしれません。自分もこの人の15曲の交響曲は一通り聴いていますが、マニアにはまだまだ程遠いです。

特に好きだと言えるのは、やはり5番、それにこの7番です。この2曲はマニアでない一般の音楽ファンが、最初に聴くべき名曲であると思います。この2曲以外は、マニア度がぐっと増しますが、私は8、11、12、13番あたりが好きです。 

ともかく交響曲第7番は一大傑作です。この作品には有名なエピソードがあり、それを知らなくても充分楽しめますが、作品の成立する背景を知ることで作品への共感が数倍増すのも確かです。 

この曲は、第二次世界大戦の際に、ドイツ軍に包囲されたレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)における、いわゆる“レニングラード包囲戦“の真っただ中で作曲されました。その900日近くにわたる包囲により、市民の餓死者は100万人を超えたとも言われています。すでにドイツ軍の包囲で飢餓が始まっていた1941年の9月にショスタコーヴィチは、市のラジオ放送でおよそ次のように語ります。

「1時間前、私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。私は、一度も故郷を離れたことのないレニングラードっ子です。今の厳しい時を心から感じています。レニングラードこそは我が祖国、故郷、我が家です。市民の皆さんも私と同じ思いで、生まれ育った街並み、愛しい大通り、美しい広場、建物への愛情を抱いておられるでしょう。この作品を皆さんの前で発表することを誓います。」

この放送は多くの市民に感動を与え、ドイツとの抗戦意欲を奮い立たせたとされます。 

作曲の完成後、レニングラードでの初演に先立って、19427月に疎開をしていたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルにより当時の臨時首都であったノヴォシビルスクにて初演が行われました。そして翌8月には、カール・エリアスベルク指揮、ラジオ・シンフォニー(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)の演奏により、ついにレニングラードでの初演が行われました。演奏会の為に前線から多くの演奏家たちが呼び戻され、奇跡的に演奏会が実現したのです。演奏会の当日は空襲の標的にされないように灯りも消され、ドイツ軍とソビエト軍が激しい砲撃の応酬を行う音が聞こえていたにもかかわらず、市民は演奏に聴き入っていたそうです。 

ソビエトはこの作品をナチスのファシズムへの対抗の為にプロパガンダに利用します。初演を国家的なイベントとした政府は、ショスタコーヴィチにスターリン賞を授与します。更には反共産国であるアメリカにも楽譜を秘密裏に届けて演奏させることを目論み、トスカニーニの指揮によりアメリカ初演が全世界に放送されました。 

そうしたことから、大戦後には批判にもさらされてしまいますが、‘70年代に出版された「ショスタコーヴィチの証言」によれば、ショスタコーヴィチはこの曲について「ファシズム、それはもちろんだが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である。つまり、第7番はファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いているのだ。」そう語ったと描かれています。 

ショスタコーヴィチが「ファシズムに対する戦いと勝利、そして故郷レニングラードに捧げる」としたこの曲は、通称「レニングラード」と呼ばれて、交響曲第5番と並ぶ人気作品となりました。 

<曲の構成>
第1楽章「戦争」 アレグレット ハ長調 ソナタ形式

まず、“人間の主題”が生き生きと力強く開始されます。次に“平和な生活の主題”が美しく落ち着いた雰囲気で奏でられます。やがて、スネア・ドラムのリズムが始まり、“戦争の主題”がそのリズムに乗って奏されます。この主題は敵の侵入を表すという説もありますが、自分にはなんだか田舎の予備役兵か義勇軍が、えっちらおっちら集まって来た行進のように聞こえます。とにかく、この主題は何度も繰り返され、ついには金管群による大迫力の音でソビエト軍とドイツ軍が激突する激しい戦闘シーンが描かれます。しかし、いつしか音楽が止み、静けさが戻ると、犠牲者への慰めが奏でられ、そしてコーダで再び“戦争の主題”が現れます。 

第2楽章「回想」 モデラート、ポコ・アレグレット ロ短調 スケルツォ
ショスタコーヴィチはこの楽章について、「楽しい出来事や過去の喜びを、穏やかな悲しみと憂愁が霧のように包み込んでいる。」と説明していて、とても変化に富んでいます。 

第3楽章「祖国の大地」 アダージョ ニ長調
ショスタコーヴィチはこの楽章について、「作品の劇的な中心を成している。」と説明しました。悲痛な嘆きのようなコラール主題で開始され、その後に穏やかな長い旋律が現れます。中間部はロシアの広大な大地を騎馬軍団が疾走するような緊迫感のある曲想です。 

第4楽章「勝利」 アレグロ・ノン・トロッポ ハ短調-ハ長調
前楽章から連続する地面の揺らぎのような低音とともに序奏が始まり、第一部となる“勝利”を表現するモチーフが展開されます。第二部は“作品の輝かしい帰結”と称され、遅いテンポの音楽が継続します。それは戦争の惨禍や無情さを訴えかけるようです。第三部は重厚、壮大な盛り上がりとなり、嵐のような緊迫感に包まれます。その頂点で“人間の主題”が奏され、勝利を高らかに宣言して感動的に終ります。 

※ 昔、武田薬品のCMでシュワちゃんのBGMに「ちーちん、ぷいぷい」と1楽章の戦争の主題が使われたのには驚かされました。タコ・マニアからは「ふざけるな!」とお叱りを受けそうですが、それぐらいポピュラーだということです。 

それでは愛聴するCDをご紹介します。 

Shosta414b05dd6wl_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1953年録音/BMG盤:メロディア原盤) まずは初演者のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルです。古いモノラル録音で、当時のライブ収録としては普通の音質ですが、この壮大な管弦楽作品を聴くにはいかんせん音が貧し過ぎます。弦楽の音は硬く、金管の音は割れています。しかし凄まじいばかりの緊張感は半端なく、単なる「記録」に留まらない大きな感銘を与えてくれます。米Vangard Classics盤でも持っていて、音は幾らかハイ上がりですがBMG盤と大差はありません。 

Shosta-kondra011 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1975年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンは世界で初めて、ショスタコーヴィチの交響曲全集をメロディアに録音しますが、これはヴェネチアがライセンスで出したものです。ムラヴィンスキーにも引けを取らないキレ味と凄まじいまでの緊迫感がある演奏です。そうなのです。これは「戦争」なのですね。命がけの戦いですから、壮絶なのは当たり前です。録音は明瞭ですが音質が硬く刺激的で、当時のロシアの楽団に共通する金管の咆哮は相当に耳に応えます。けれどもこれは絶対に聴いておくべき演奏です。 

Shosta514gkxbefbl_ac_ マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(1988年録音/EMI盤) レニングラード・フィルのムラヴィンスキー時代直後の録音ですので、まずオーケストラが非常に素晴らしいです。引き締まった響きと鉄壁のアンサンブルは健在で、ムラヴィンスキーの副指揮者を務めたヤンソンスもスケール大きく、落ち着いた指揮には風格さえ感じさせます。ムラヴィンスキーほどの鋭利さこそ有りませんが、演奏の切れ味の良さは充分です。レニングラード生まれのヤンソンスには、この曲を知り尽くした感が有ります。緊迫感、疾走感も見事ですし、フォルテシモ部分の響きは厚く聴き応えが有ります。これはノルウェーのオスロで行われたEMI録音ですが、音の明瞭さと柔らかさのバランスがとても良いです。 

Shosta61ss0qshvcl_ac_ レナード・バーンスタイン指揮シカゴ響(1988年録音/グラモフォン盤) バーンスタインの二度目の録音で、この人の指揮するマーラーのように遅いテンポでスケール巨大な演奏です。ダイナミックスの幅も極めて広いです。第1楽章では戦争の主題が純音楽的に奏されていて、明るい響きがどことなく楽天的に感じられます。戦闘シーンの迫力は相当なものです。第2楽章も遅くリズムは粘り、しつこさがさながらマーラーのようです。第3楽章の荘重さは素晴らしいです。第4楽章もやはり遅くスケールは大きいですが、切迫感は今一つです。フィナーレも音響的には確かに凄いのですが、バーンスタインがこの曲に本当に共感しているかどうかは疑わしいです。世評の高い演奏ですがそれほど好みません。 

Shosta61q5nks5gdl_ac_sx425_ ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのこの曲の実演は、‘98年に東京で開催されたショスタコーヴィチ・フェスティバルの際に、確か新日フィルか東フィルの演奏会で聴きました。その指揮姿を思い出すのは楽しいです。このナショナル響との演奏はおおらかな雰囲気で、あまり深刻調にはなりません。しかし音のスケールと気宇の大きさはさすがです。当時の主兵のオーケストラですので相性はとても良いと思います。アメリカの楽団ですのでロシアの大地の土臭さは余り感じさせませんが、冷たい空気感などの雰囲気を中々良く出せていると思います。写真は単独盤ですが、所有しているのは全集盤です。

Shosta3-img_1351 ルドルフ・バルシャイ指揮ユンゲ・ドイッチュ・フィル/モスクワ・フィル団員(1991年録音/BIS盤) ナチスドイツによるソヴィエト侵攻50年記念日に、ドイツの若手演奏家が終結した臨時オーケストラによりライプツィヒで行われたライブです。モスクワ・フィルが加わっていることもあり、技術レベルは高いです。しかし何より、この演奏には悲惨な戦争認識と平和への想いの強さが感じられて胸に響きます。1楽章のトゥッティでのスネアが強過ぎるのが気になりますが、ライブゆえの傷でしょう。3楽章は美しく感動的です。終楽章も気迫に溢れ、コンドラシン時代を思わせる金管の響きが迫力満点です。終結部の壮大さにも圧倒されます。録音も良く、実際のホールに居るような臨場感が素晴らしいです。

Shosta-6110ipi39il ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1992年録音/ブリリアント盤) バルシャイのショスタコーヴィチ交響曲全集に含まれます。ドイツの優秀な放送オケだけあり、響きが美しく刺激的にならず、音色も冷た過ぎないので聴き易いです。1楽章の前半はどことなく乗り切らない印象も受けますが、中間部以降は充実して迫力満点です。2楽章は平均的ですが、3楽章は美しく感動的です。終楽章の緊迫感と迫力も素晴らしいのですが、バルシャイであれば前年のライプツィヒでの記念ライブの感動的な演奏と比べると少々分が悪いです。

Shosta51ugjy39s5l_ac_ エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送響(1993年録音/Daphne盤) スヴェトラーノフというと主兵のロシア国立響との一連の爆演の印象が強いですが、このスウェーデン放送響への客演は爆演とは違います。むしろ弱音部を始めとした美しさが印象的です。もちろんフォルテシモでの壮大なスケールの大きさは健在ですし、とりわけ終楽章の終結部は筆舌に尽くしがたいほどです。このオーケストラの優秀さは良く知られるところで、この演奏も素晴らしいです。むろんライブゆえの小さな傷がないわけではありませんが少しも気になりません。録音も優秀です。

Shosta230001134 ウラディーミル・アシュケナージ指揮サンクトペテルブルグ・フィル(1995年録音/DECCA盤) このCDには1941年のショスタコーヴィチのラジオ放送の一部が収録されていて、実際の声を聴くことが出来ます。演奏に関しては流石にサンクトペテルブルグ・フィル(旧レニングラード・フィル)の響きは相変わらず凄味があり素晴らしいです。ただ不思議なことに全体を覆う雰囲気が、例えば戦争の持つ悲惨さや暗さよりも、明るさや美しさの方が勝っているように感じられます。その点はアシュケナージのピアノにも通じる、ある種の楽天性が出ているのかもしれません。しかし終楽章の切れ味と迫力、終結部の壮大さは聴き応えがあります。DECCAによる優れた録音も貢献度大です。

Shosta71zqsdpn7l_ac_sl1000_ ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管/ロッテルダム・フィル(2001年録音/フィリップス盤) ロッテルダムにおけるライブで、後述の新盤が出たので旧盤にはなりましたが、忘れてしまうには惜しい名演です。第1楽章の戦争の主題が徐々に盛り上がってゆき、破滅へと向かう劇的な変化の描き方が単なる音響効果に終わらずに秀逸です。2楽章、3楽章も曲想の雰囲気の変化と情緒がとても豊かです。終楽章も繊細さと壮大なスケールの大きさが両立していて見事です。録音もライブ収録にしてはセッション収録的な明瞭な音が楽しめます。

Shostako61mk5ouompl_ac_ マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトへボウ管(2006年録音/RCO盤) ヤンソンスはこの曲を得意にしていて、3回は録音をしています。これはその2回目の録音で、コンセルトヘボウでのライブです。オーケストラの音の厚みが素晴らしく、優れた録音がその響きを満喫させてくれます。解釈、指揮ぶりはレニングラードPO盤と変わりないですが、切迫感はやや劣るように感じます。これは単に響きがまろやかなだけでは無いでしょう。どちらも素晴らしいですが、個人的にはレニングラードPO盤を上位に置きたい気がします。

Shosta635212019429 ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィル(2008年録音/SIGNUM盤) 同楽団との二度目の録音で、スイス、ジュネーヴでのライブです。どうしても前任のムラヴィンスキー時代と比較されるので気の毒でしたが、実際はこの楽団の実力は少しも落ちていないどころか、時代とともに演奏精度は逆に上がっていると思います。1楽章は、ゆったりと開始して徐々にテンポを速めながら戦闘と破滅になだれ込む解釈が興奮を誘い、3楽章の深遠なまでの美しさも特筆されます。但し、なんと後半のヴィオラの長い旋律と弦のコラールがカットされています。これは問題です。ユーリ、血迷ったか!それでも白眉は終楽章で、地響きを立てるような管弦楽に耳がくぎ付けとなります。終結部も壮大です。音の柔らかさと迫力のバランスが極上の録音も最高です。

Shosta81lo5eafmpl_ac_sl1500_ ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(2012年録音/Mariinsky盤) ゲルギエフにとって二度目の録音となりますが、前回と異なり入念なセッション録音です。録音は実際のホールで聴くような臨場感のある音造りで極めて優秀です。その為か音響的には旧盤を上回る聴き応えを感じます。ところが聴き進むうちに、微に入り細に入り様々に表現し尽す手腕に段々と煩わしさを感じてしまいます。演奏の「勢い」「流れ」においては旧盤の方が勝るような気がします。これはやはりライブとセッション録音の違いでしょうか。しかし音そのものは新盤が上ですし、中々に甲乙がつけがたいというのが正直なところです。

所有しているCDは以上ですが、この中から特に好きなものを上げるとすれば、マリス・ヤンソンス/レニングラード・フィル盤です。バルシャイ/ユンゲ・ドイッチュ・フィル&モスクワ・フィル盤も感動的な点ではナンバーワンです。テミルカーノフ/サンクトペテルブルグ・フィル盤は、第3楽章のカットが惜しまれます。それさえ無ければ充分ナンバーワンに成り得ました。

あとは番外として、歴史的なムラヴィンスキー/レニングラード・フィル盤は上げざるを得ないでしょう。

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2022年2月 2日 (水)

マリス・ヤンソンス レニングラード・フィル 1986年来日ライブ盤 ~蘇る名演奏~

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マリス・ヤンソンス指揮
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
1986年10月19日 サントリーホールにおけるライブ録音
(Altus盤)

これは1986年のレニングラード・フィルの来日ツアーの際に、ムラヴィンスキーの代役としてマリス・ヤンソンスが指揮をした演奏会のライブ録音で、ようやく一昨年秋にCDリリースされて陽の目を見たという、れっきとした「新盤」です。(直ぐに購入をしていながらも、ご紹介は約1年遅れ。トホホ。。)

それはともかく当時まだ40代に入って間もないマリス(お父さんのアルヴィド・ヤンソンスもまたレニングラードで活躍した名指揮者なので”ヤンソンス”だけだと間違えます)は、この当時すでにレニングラード・フィル(レン・フィルと略して呼ぶ方もおられるがこの名称は軽くて好みません)の副指揮者でしたが、代役とはいえツアー指揮者を任せらエれたのは大抜擢です。ちなみにムラヴィンスキーが来日できなくなったのは、ソヴィエトの体制に非協力的であった為に嫌がらせを受けたという説も囁かれています。

自分はマリスに関しては決して熱心な聴き手では無いですが、少なくとも知名度で比較すれば父のアルヴィドを大きく越える大指揮者となったマリスの数少ないレニングラード・フィルとのライブが、しかも日本での一夜のコンサートの録音がそのまま聴けるというのは実に有難いです。

それではこの貴重な2枚CDセットを聴いてみたいと思います。

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
この日のプログラムは前半がショスタコーヴィチ、後半がチャイコフスキーです。どちらもムラヴィンスキーの得意の曲で、特にショスタコの5番は晩年まで何度も繰り返し演奏されたので、レニングラード・フィルは目をつぶっても演奏が出来たほどではないでしょうか。この日の演奏も冒頭の音からムラヴィンスキーが指揮しているのではないかと思う程の緊張感で始まります。あの切り裂くほどの切れ味という点では流石にムラヴィンスキーには及びませんが、若きマリスの集中力も相当なものです。展開部の凄まじい迫力も絶好調で、ここは全盛期のムラヴィンスキーを彷彿させます。2楽章も緊張感と重量感を兼ね備えていて、その鋭い音に魅了されます。3楽章にも氷のような冷たさではなく、幾らか温もりが感じられるので別の魅力が有ります。終楽章は重量感を感じさせて開始します。しかし直ぐにギアを切り替えて疾走します。レニングラード・フィルの凄みさえ有る鉄壁の合奏力は健在です。後半も演奏の彫りの深さは抜群で、どこまでがムラヴィンスキーの力かマリスの力なのかは分かりませんが、そのムラヴィンスキーの幾つかの凄演に迫る素晴らしい演奏であることは確かです。

チャイコフスキー 交響曲第4番
1楽章のファンファーレがムラヴィンスキーのグラモフォン盤を想わせる鋭い音なのに喜びます。さすがにあそこまで戦慄を憶えることは有りませんが素晴らしい切れ味です。続いて第一主題に入るとかなり速めのテンポで進みます。かなり煽っていて前のめり気味なので、個人的にはもっとじっくりと苦悩に満ちた表現が欲しいように思います。展開部以降は切迫感と鋭い音による相当な熱演となっていて素晴らしいです。2楽章もあっさりと進みますが、さすがはロシアの名門オケだけあり、そこはかとなくロシア情緒を味合わせてくれます。3楽章のピチカートは鉄壁のアンサンブル能力が遺憾なく発揮されていて聴きものです。終楽章は快速テンポによる手に汗握る演奏でフィナーレまで一気にたたみ掛けます。ムラヴィンスキーはグラモフォン盤の後にライブ録音が残されていないことから、それを彷彿させるような凄い演奏に大満足です。NHKによる録音も極上で、2曲とも実際にサントリーホールのS席で聴くような臨場感が嬉しいです。

2曲を比較すると、個人的にはショスタコーヴィチの方に強く感銘を受けました。しかし、一夜のコンサートということを考えれば全体で味わうべきでしょう。この演奏を実際に会場で聴かれた方は運が良いと思います。

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2022年1月26日 (水)

チャイコフスキー 後期三大交響曲 ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー劇場管 ~サル・プレイエルでのライブ~

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交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
交響曲 第5番 ホ短調 作品64
交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団
録音:2010年1月25日(4番)、26日(5番)、29日(6番)
サル・プレイエルにおけるライヴ(Mariinsky盤) 

ゲルギエフはチャイコフスキーの交響曲を幾度となく録音していますね。ウィーン・フィルとの後期の3曲の録音が有名ですが、早い時期のマリインスキー管との6番やロンドン響との1番から3番の録音なんかも有りました。特にウィーン・フィルとの第5番は古今の多くの録音の中でも最も好きな演奏です。

ところで映像メディアでは2010年にパリのサル・プレイエルでライヴ収録された手兵との(それが~一番大事♬)全集が出ていましたが、どういうわけかCDでは出されていませんでした。それが2018年の年末になり、ようやく後期三大交響曲集として2枚CDセットで出たのです。喜んで購入しましたがそのままずっと棚上げ状態で、じっくりと聴き込んだのは何と何と最近のことです。まぁ、レコード会社に文句を言えた義理ではありませんね。。。(汗)

しかし、この演奏は実に素晴らしいです。後期三大シンフォニーに限って言えば、これまでは4番、6番が圧倒的に素晴らしいムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(グラモフォン盤)、そして6番が極めてユニークかつ素晴らしいポリャンスキー/ロシア国立管盤(シャンドス盤)の二つが特に印象に残ります。それに全集録音のスヴェトラーノフ/ロシア国立管のモスクワ録音と東京ライブの2種も上げられます。
それに対して、ゲルギエフ/ウィーン・フィル盤では5番が最高ながら、4番、6番がもう一歩でした。ですのでこのCD化は大歓迎です。

個々の曲に触れておきます。

交響曲第4番 
ウィーン・フィルとの共演盤から8年を経ての再録音となります。映像音源からCD用に再編集したものとしては音質は優れています。元々ゲルギエフのロシア物の演奏は必ずしも土臭いわけでもありませんが、曲のそこかしこから漂うロシアの雰囲気や荒々しい迫力はやはりウィーン・フィルとの演奏とは異なります。更に8年の時の経過は決して短くは無いようで、演奏解釈の巾と深みが格段に増しています。旧盤との比較云々のレベルではなく、この曲のベスト盤の一角を争うほどに素晴らしい演奏だと思います。

交響曲第5番
ウィーン・フィルとのザルツブルクライブ盤から12年ぶりの録音です。ゲルギエフのこの曲での振幅の極めて大きなドラマティックな表現力はウィーン・フィルとの共演でも最高に魅力的でしたが、その後のマリインスキー管との2005年ストックホルムライブ(海賊Harvest Classics盤)で、やはりロシアのオーケストラのチャイコフスキーは良いなぁと大いに感じさてくれました。このパリライブではドラマティックさが更に増していて、加えてオーケストラのロシア的な音と味わいにとことん魅了されます。録音も各楽器のエッジがスカッと効いている優秀録音です。

交響曲第6番「悲愴」 
「悲愴」は三度目の録音です。以前の録音より更に音楽の幅と深みが感じられます。特に終楽章の破滅的な雰囲気はこれが最高です。三種の中では、やはりこの新盤に最も魅力を感じます。ライブ収録ですがエッジの効いた音の明瞭度が際立ちます。ちなみに2019年に東京で開催されたチャイコフスキー・フェスティバルの時にサントリーホールで聴いたこのコンビの「悲愴」は更にスケールの大きさと深みがあり正に最高でした。

ということで、3曲ともが各曲のベスト盤を争える高いレベルであることと、録音の優秀さを加味すると、これからは三大交響曲集として第一に選びたいと思います。強いて言えば、二枚CDでは無く、1曲づつ3枚にして欲しかったですが、ほとんどが2枚で出ているのでやむなしです。

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2022年1月23日 (日)

ボロディン 弦楽四重奏曲第1番&第2番「ノクターン」 ~ボロディンによるボロディンの名盤~

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このところ毎日寒いですね。私の住む神奈川県では滅多に雪は降らないので助かりますが、雪国ではさぞ大変なことと思います。

そんな真冬にはやはりロシア音楽が似合います。あの名曲「ノクターン」として知られるボロディンの弦楽四重奏曲第2番は随分と前に記事にしたことが有りますが、いつ聴いてもうっとりとさせられる名曲中の名曲ですよね。

サンクトペテルブルク生まれのボロディンですが、民族としてはジョージア(グルジア)人で、当時のジョージアはロシアに併合されていたのでロシア人とされました。父親はジョージアの皇太子でしたが、気の毒なことに認知をされずに育ちます。それでも経済的には恵まれて、優れた教育を受けることが出来ました。

前の記事(関連記事を参照)では、ボロディン弦楽四重奏団の最初のDECCA録音のみをご紹介しましたが、この団体はその後に2度の録音を行っています。何といってもボロディンの名を冠に掲げる団体ですので、演奏はどれも最高です。

このカルテットは1945年にモスクワ音楽院の4人の学生によって結成されましたが、ボロディン弦楽四重奏団と名前を改めたのは1955年のことです。特に初代の第1ヴァイオリン奏者であったロスティスラフ・ドゥビンスキーは知る人ぞ知る名ヴァイオリニストで、この人は後に祖国から亡命してしまいますが、新たにボロディン・トリオというピアノ三重奏団を結成して、チャイコフスキーやラフマニノフのピアノトリオにおいておよそ最高の演奏録音を残しています。

ドゥビンスキーに代わって1976年に二代目の第1ヴァイオリンに就任したミハイル・コぺルマンもまた素晴らしい演奏家です。この時代にはピアノのリヒテルと共演してショスタコーヴィチやシューマン、シューベルトのピアノ五重奏曲で名盤を残しています。

現在でもこの団体は活動していますが、当然メンバーはすっかり入れ替わり、全く別の団体と言って良いのかもしれません。

ではボロディン・カルテットの演奏するボロディンをご紹介します。

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ボロディン弦楽四重奏団(1962年録音/DECCA盤) このディスクは第2番のみです。第1ヴァイオリンをドゥビンスキーが弾いています。現在聴き直してみると、意外にあっさりと流れるように演奏していますが、考えてみればこの曲はコテコテの厳寒のロシアというよりも「夏の爽やかなロシアの夜」みたいな曲想ですので、これはこれでやはり素晴らしいと思います。それでいてドゥビンスキーの歌いまわしの上手さは特筆もので、ロシアの情緒をいっぱいに感じさせていて流石です。DECCAの録音は少々古くても優れていて、4人の楽器の明瞭さとバランスも良く、気持ち良く音楽を味わえます。このディスクのカップリングは、彼らの演奏するショスタコーヴィチの第8番と、ヤナーチェク四重奏団の演奏するドヴォルザークの「アメリカ」です。

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ボロディン弦楽四重奏団(1964年録音/シャンドス盤:原盤メロディア) これはモスクワでの録音で、1番、2番の収録です。ここでも第1ヴァイオリンはドゥビンスキーです。1楽章は’62年盤よりも僅かにテンポが遅くなり、じっくりと落ち着いた印象を受けます。ドゥビンスキーの歌いまわしの上手さは相変わらずで、ハイポジションで奏されるノクターンの主題など全く見事なものです。情緒感や哀愁の表出も更に深さを増しています。他のメンバーとのからみ合いも更に美しく成ったように思えます。シャンドス盤には録音年のクレジットが有りませんが、調べた限りでは1964年のモスクワ録音と思われます。メロディアの録音は悪くありません。DECCA盤盤よりも幾らかオフマイク気味ですが充分良い音で曲を楽しめます。なおカップリンクされた第1番についても雰囲気の有る見事な演奏で文句無しです。

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ボロディン弦楽四重奏団(1980年録音/EMI盤:原盤メロディア) 3度目の録音では第1ヴァイオリンが二代目のコぺルマンに代わりましたが、他の3人は変わっていません。1楽章は’64年盤よりも更にテンポがゆっくりとなり、雰囲気豊かに美しく演奏されています。録音も良いのでこの楽章に関してはベストかもしれません。2楽章も音のからみあいが美しく、’64年盤とまずは互角です。3楽章はテンポが遅くなり主題をたっぷりと歌う意図が感じられますが、何となくムード的でもたれ気味に感じられます。特に第1ヴァイオリンがハイポジションで奏でる旋律の箇所では先代の域にまでは達していないように思います。4楽章も高度なアンサンブルながら、要所で演奏の鋭さにおいては’64年盤に敵わない気がします。その反面、カップリンクされた第1番の方は、むしろ’64年盤以上かもしれません。

この3つのディスクは、どれもが素晴らしく大きな優位差はありません。ですので極端に言ってしまえば、どの録音を聴いても充分に満足出来ます。ただ、何が何でも一つに絞れと言われたら、ドゥビンスキーが率いる’64年盤を取ります。’80年盤は何となくムード的で楽し過ぎる気がするものの、’64年盤には演奏の奥底にロシアの悲哀が隠れているように感じられてならないからです。その決定的な要因は第1ヴァイオリニストの格の違いということに尽きてしまうのでしょう。

<関連記事>
ボロディン 弦楽四重奏曲第2番「ノクターン」

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2022年1月13日 (木)

シュトラウス・ファミリー ニューイヤー・コンサート 名盤/愛聴盤 

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もう松の内どころか成人式も終わり、いまさらニューイヤー・コンサートでも無いですが、毎年元日恒例ウィーンのニューイヤー・コンサートは日本では夜のゴールデンタイムに現地からの衛星生中継を観られるのが大変有難いですね。

私も毎年観ています。ただし新年の晩酌が回ってしまい、ワルツの心地好い調べと共に途中で寝込んでしまうのが高齢です。あ、”恒例”でした(汗)。しばらく寝ていて最後のラデツキー行進曲で眼が覚めるのも恒例です。

さて、そのニューイヤーコンサートのライブCDが短期間であっという間にリリースされるのも恒例となりました。凄いですね~!
もっとも私はそのCDを購入することはほとんど有りません。やはり、リアルタイムのライブ感が楽しいので(寝てるくせに!誰も寝てはならぬ!)、後から聴き直し(観直し)たいとはそれほど思わないのです。

でも、シュトラウス・ファミリーのワルツ、ポルカは好きですし、それらのCDは幾つか愛聴しています。ちょっとご紹介してみます。

Js416w1h931ml_ac_「シュトラウス・ファミリー・コンサート」 クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィル(1951~53年録音/DECCA盤) 戦前に始まったウィーンのニューイヤーコンサートを最初に指揮したのはクレメンス・クラウスでした。これはDECCAへのセッション録音ですが、アナログレコード3枚分が、CDだと2枚に収められています。演奏は古き良きウィーンそのものと言える、極めて味わい深いもので、聴いていて耳がとろけてしまいそうです。クラウスが凄いのか、それともこの時代のウィーン・フィルが凄いのか、あるいは両方か、まぁ間違いなく両者の魅力なのでしょう。モノラル録音ですが、DECCAの優秀な録音はその魅力を味わうのに何の支障もありません。なお、実際のニューイヤーコンサートを指揮した最後の年である1954年のライブ録音もオーパス蔵からリリースされていますが、放送音源であることからアナウンサーの実況中継や賑やかな聴衆の手拍子がかなり入っていて、個人的には煩わしいです。しかし、気にしないよという方には楽しめるのではないでしょうか。

Js172「シュトラウス・コンサート」 ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィル、ヒルデ・ギューデン(S)(1956-57年録音/DECCA盤) クラウスと同じ生粋のウィーン子であるクリップスがDECCAに残したセッション録音盤です。曲数は少ないですが、「春の声」「青きドナウ」「皇帝ワルツ」など名曲が入っています。なにせ’50年代のウィーン・フィルの美しい音をステレオ録音で楽しめるのは嬉しいです。さすがにクラウスの深い味わいには及びませんが、この数年後にカラヤンがDECCAに残したセッション録音よりはずっとウィーンの懐かしい味が感じられます。余り目立ちませんが、忘れられてしまいたくない素晴らしいディスクです。ウィーン娘のギューデンは「オーストリアの村つばめ」、「春の声」で歌っていて、そのウィーン訛りの歌声にはしびれてしまいます。

Js813xgn1x7l_ac_sl1500_「ウィーンの休日」 ハンス・クナッパ―ツブッシュ指揮ウィーン・フィル(1957年録音/DECCA盤) ワーグナーとブルックナーの演奏にかけては比類無い大指揮者のクナですが、このウインナワルツ集と「くるみ割り人形」などを収めたポピュラーコンサートの2枚もまた格別に楽しい名盤です。どの曲も通常の指揮者のテンポと比べれば随分と遅く、一聴するともたついている印象を受けるかもしれませんが、このせせこましさの微塵も感じさせない浮世離れしたゆったり感こそが、クナでしか味わえない魅力です。そして当時のウィーン・フィルの甘く柔らかい音を聴くことが出来ます。

Js741「ヨハン・シュトラウス祭コンサート」 ウイリー・ボスコフスキー指揮ウィーン・フィル(1975年録音/Salzburger Festspiele盤) これはザルツブルク音楽祭でヨハン・シュトラウスⅡ世の150年目の誕生日に行われた演奏会のライヴ録音です。「ラデツキー行進曲」のカットが惜しまれますが、「ジプシー男爵」序曲、「皇帝ワルツ」「ウイーンの森の物語」「美しく青きドナウ」など有名曲が多く入っているのが嬉しいです。演奏もまだまだ古き良きウィーンを感じさせる味わいの深さが有ります。オーストリア放送協会による録音ですが、自然で優れていて同時期のDECCAによるセッション録音と比べても遜色有りません。ライブならではの楽しさはこちらが数段上ですので、とても貴重なディスクだと言えます。

Js61god9elyal_ac_「ニューイヤーズデイ・コンサート・イン・ウィーン」 ウイリー・ボスコフスキー指揮ウイーン・フィル(1979年録音/DECCA盤) ボスコフスキーがクラウスから引き継いで最初にウィーンのニューイヤーコンサートを指揮をしたのは1955年ですが、それから四半世紀近くも指揮をしました。その最後となった1979年のライブ録音がCD化されています。そういう意味では貴重な記録ですが、演奏は正直やや重たるく感じられないことも無く、楽しさでは’75年のザルツブルク音楽祭ライブの方が上です。プログラムもポルカが多く取り上げられていて、有名なワルツが少な目なのは、聴き手にとっては好悪が分かれると思います。所有するのは写真の2枚セットですが、1枚もので再リリースされていて1曲だけ少ないようですが大差は有りません。

Js71fmif7kell_ac_sl1417_ 「ニューイヤー・コンサート1980-1983」 ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル(1980-83年録音/グラモフォン盤) ニューイヤーコンサートでボスコフスキーの後任となったのは何とアメリカ人のマゼールでした。最もマゼールは’82年にウィーン国立歌劇場の総監督に就任します。それだけウィーンでは評価をされていたのでしょう。’80年から’86年まで7年間連続してニューイヤーの指揮台に立ち、その後も何度も指揮をしていますが、これは最初の4年間の録音から有名曲ばかりを集めて編集されたCDです。ワルツは幾らかカッチリとし過ぎている印象も受けますが、ポルカやマーチの生き生きした演奏はとても楽しいです。

Js619abbmvywl_ac_「ニューイヤー・コンサート・イン・ウィーン」 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル、キャスリーン・バトル(S)(1987年録音/グラモフォン盤) あの帝王カラヤンが指揮したニューイヤー・コンサートだなんて今では夢の様な話です。ディスクは1枚に収められていますが、「こうもり」序曲、「青きドナウ」「春の声」「皇帝ワルツ」と有名どころは抑えられているので曲目には大きな不満は有りません。カラヤンというだけで聴きものには違いないのですが、演奏としてはいかにも”帝王風”の堂々とした風格を感じる反面、余りにリズムが重過ぎに感じられます。ウインナ・ワルツのあの浮き浮きと心が弾むような楽しさには正直乏しいと言わざるを得ません。救いはバトルの歌う「春の声」で、上手いこと上手いこと。デリカシーに溢れた美しい歌声にしばし言葉を失います。

Js81mxxi8icil_ac_sl1500_「ニューイヤー・コンサート1989」 カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル(1989年録音/SONY盤) カラヤンが指揮した2年後にはクライバーが指揮台に上がるなんて、なんとまぁ夢の様な時代だったのでしょう!クライバーは’89年の後に’92年にも指揮をしていて、どちらもCD化されています。どちらか言えば、’89年の方が一般的に知られた曲目が多いようです。演奏はもちろんクライバーらしい活力に満ち溢れた素晴らしさです。細部ではニューイヤー・コンサートには珍しいぐらいクライバーの強引さを感じる表現も見受けられますが、そこがこの人の魅力ですので悪いわけではありません。ただし団員達がどう感じていたかは分かりませんけれども。とにかくウィーン・フィルをここまでドライブして引き摺りまわせる指揮者が果たしてこれから出て来るものでしょうか?

Js30338「ニューイヤー・コンサート1992」 カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル(1992年録音/SONY盤) クライバーの2度目のニューイヤーになったせいか、’89年と比べると知名度において劣る曲目が多いように思います。ところがこの人が指揮をすると、どんな曲目でも韋駄天のようなスピード感と生命力に溢れる演奏となり、聴き手に息つく暇を与えません。完全にカルロス・クライバーのニューイヤー・コンサート化してしまいます。「雷鳴と電光」など典型的です。ただ、その代償としてワルツなどではのんびりとした優雅さが幾らか損なわれている気がしなくも有りません。とにかく凄いですね。こんな指揮者はそうそう居ません。’89年のディスクと’92年のディスクは当時もちろん別々にリリースされましたが、今では両方合わせて3枚CDセットでも出ていますので、それを求めるのも良い方法です。

Js518rfei0vrl_ac_ 「ニューイヤー・コンサート2005」 ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル(2005年録音/グラモフォン盤) マゼールはニューイヤーコンサートで’86年まで連続7回指揮をした後も、’94、’96、’99年と指揮を務めました。そして6年ぶりに指揮をして、結局これが最後と成りましたが、ボスコフスキー、クラウスに次いで3番目に多く指揮台に立ったことになります。この前の年の年末にスマトラ島沖の大津波災害が起きたことから、コンサートから募金を行ったこと、フィナーレ恒例の「ラデツキー行進曲」が演奏されなかったりと異例のニューイヤーでした。しかしマゼールはかつてよりもずっとリラックスして大らかに指揮していますし、得意のヴァイオリンも披露しています。有名曲は少ないですが、どの曲を聴いても本当に楽しくなってしまいます。

Js480「ニューイヤー・コンサート2010」 ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン・フィル(2010年録音/DECCA盤) プレートルがニューイヤーを最初に指揮したのは2008年で、この時83歳で過去最高齢のニューイヤー指揮者となりましたが、その演奏の若々しさと洒落っ気が実に楽しく魅了されました。評判が良かったからか、その2年後に再び指揮をしたのですが、相変わらず楽しい演奏となっています。プレートルはウィーン・フィルの来日公演で代演指揮者として演奏した際に「エロイカ」を聴きましたが、非常に素晴らしかったです。音楽を知り尽くした自然体の指揮ぶりは一見して、ただの好々爺に見えますが、やはり長い経験が物をいうのでしょうね。このニューイヤーでも、得も言えぬ魅力と味わいに溢れています。とにかく毎年リリースされるニューイヤー・コンサートのCDを購入することは滅多にありませんが、プレートルだけは例外でした。もちろん2008年のCDも出ています。

どれも楽しいディスクですが、やはり別格なのはクレメンス・クラウス盤ですね。どう逆立ちしてもこれ以上の演奏は出てこないのでは無いでしょうか。あとはカルロス・クライバー盤です。89年、92年どちらも揃えたいです。

最近のニューイヤーライブ盤は、お好きな指揮者のものを購入されれば良いと思いますし、そもそも映像ディスクの方が楽しいという方も多いでしょう。

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2022年1月10日 (月)

お知らせとお願い

当ブログは開設以来13年間変わらず、記事へコメントを頂く際に、ハンドルネームのみの記載で投稿が可能、コメントの事前承認無しでの公開、をポリシーに管理を続けて来ました。それは音楽愛好家の誠意を信じてのことからです。けれども投稿書き込みを自由放任してきたことから、一部に当ブログを「掲示板」と勘違いされて、管理人の意向やお願いを無視した投稿や、他の投稿者や管理者に対する礼節を欠いた投稿を招いてしまう結果となってしまいました。

ブログの原点である「楽しく交流を行う場」を守るためにも、当面しばらくの間はコメントの投稿に①メールアドレスの入力義務化(必要に応じて確認メールをお送りします)②管理人の承認後の公開、とさせて頂きます。

なにとぞ、ご理解、ご協力下さいますよう宜しくお願い致します。

ハルくん(管理者)

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2022年1月 1日 (土)

2022年 謹賀新年 ご挨拶

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新年おめでとうございます。

昨年中は誠に有難うございました。

本年もクラシック音楽の話題をメインに皆様と楽しく交流が出来たらと思います。

このブログをスタートした10数年前とは状況が異なり、リアル音楽活動で日々追われてしまって新しい記事のアップも間隔が空いてしまいがちですが、これからも出来るだけの記事アップを目指すつもりです。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!

2022年 元旦

フーテンのハルくん

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2021年12月25日 (土)

ベートーヴェン 交響曲第9番 マタチッチ/チェコ・フィル盤 ~チェコ語による第九~

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毎年12月になると各地で第九が演奏されます。クラシックのコアなファンの中からは「年末の第九なんてのは日本だけの話だ。やめた方が良い。」などと批判的な声も聞かれます。けれども「のだめカンタービレ」「ピアノの森」を観た、それまでクラシックにそれほど興味の無かった人がクラシックファンに成るように、「年末の第九を一度は聴いてみようかな」と考えた人が、そのうち何人かでもクラシックのファンに成れば、それは素晴らしいことです。大いに結構ではありませんか。

さて、昨年の12月にはカール・ベームの第九のバイロイト・ライブを取り上げましたが、今年はとても珍しいチェコ語で歌われた第九の演奏です。これは、かつて日本でもNHK交響楽団に客演して数々の伝説の演奏を残した名指揮者ロブロ・フォン・マタチッチが1980年にチェコの「プラハの春音楽祭」のフィナーレで行った演奏会のライブです。

マタチッチ/N響の実演は残念なことに、ワーグナーの楽劇からの抜粋コンサートを一度聴いただけですが、幸いにNHKホールでも1階の真ん中で聴けたことから、それは素晴らしい響きが鳴っていました。あのホールのN響の演奏で、あれ以上凄い音は聴いたことが有りません。

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このプラハでの第九はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ・フィルハーモニー合唱団、ベニャチコヴァー(S)、ソウクポヴァー(Al)、プシビル(T)、プルーシャ(Br)という、オール・チェコの演奏家により演奏されています。CDはフランスのハルモニア・ムンディからリリースされていますが、制作はチェコのPRAGAのようです。

第1楽章は割と速めのテンポで進みます。マタチッチはあの顔の割には(笑)概してテンポは遅くありません。たとえ得意のブルックナーでもです。しかし何の曲を指揮しても、演奏の男っぽさ、豪快さは、あの顔通りです(再笑)。思わせぶりなルバートや音のタメ、パウゼなどはほとんど無く颯爽と進みますが、その音楽から噴き出してくる生命力、熱量の大きさは尋常ではありません。

第2楽章は比較的速いテンポですが、リズムにはキレの良さが有りますが、随所にマタチッチらしい豪快さも感じられます。

第3楽章も、この楽章にしては速いですが、神々しい雰囲気が堪りません。何という深い味わいなのでしょう。

第4楽章は冒頭から気迫に溢れますが、歓喜の歌をトランペットが高らかに吹くところは華やかですが、やや耳障りです。そして、この演奏の最大の聴きものは、チェコ語で歌われる歓喜の歌ですが、初めて聴くとやはり違和感が有ります。ところが、二度、三度と聴いてみると不思議と慣れてしまいます。何しろマタチッチとチェコ・フィルという名コンビの第九が聴けるのですし、これはこれで良しとしましょう。

録音に関しては、原音は分かりませんが、チェコのデジタルリマスターはスプラフォンにも共通していますが、高音域が強調される傾向が有ります。このCDも例外では有りません。本物のチェコ・フィルの音はこんなにキンキンと明るくはありません。全体は明瞭で優れた音ですが、それだけがマイナスです。

ということで、今年を締めくくりたいと思います。皆様、この一年大変お世話になりました。
どうか良いお年をお迎えください!

<関連記事>
ベートーヴェン 交響曲第9番 名盤 ~第九ざんまい~

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2021年12月16日 (木)

ブラームス 交響曲全集 クリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・コンツェルトハウス管

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クリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・コンツェルトハウス管(2019-20年録音/BERLIN CLASSICS盤)

現役の指揮者で一番好きな人はと言えば、実はティーレマンでもゲルギエフでもラトルでもヤルヴィでも無く、誰あろうクリストフ・エッシェンバッハなのです。

そのきっかけになったのは、2005年にサントリーホールでシュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管を指揮したブラームスの交響曲第4番の奇跡的な演奏会に接したことからです。それは、あのフルトヴェングラーがドラマティックさの限りを尽くした壮絶なまでの演奏スタイルで古典的造形性を完全に失っていたのに対して、エッシェンバッハは同様なスタイルで有りながらも造形性をギリギリのところで保つという正に離れ業を成し遂げていたからです。(この時のライブは独ヘンスラーからCDリリースされています)

ところがエッシェンバッハは録音に恵まれているとは言えず、ブラームスのシンフォニーもアメリカのヒューストン交響楽団との全集録音が有るだけです。しかしこの演奏はアメリカの楽団が録音したブラームスシンフォニー全集としては第一級のものだと思います。
ですので、マエストロがドイツの楽団を指揮して再録音を果たしてくれる日を待ち遠しく思っていました。ようやく、それが実現したのです。

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団は、かつてベルリン交響楽団という団体名でした。西ドイツにも同名の団体が有りますが、こちらは東ドイツの団体で、設立は1952年と新しいです。当時の東ベルリンで設立されて、歴代の指揮者にはクルト・ザンデルリングも名を連ねます。ブラームス指揮者の神様であるザンデルリンクの二度目のシンフォニー全集もこの楽団との録音でした。そして前任者のイヴァン・フィッシャーの後継として2019年にエッシェンバッハが首席指揮者の座に就きました。

さて、それでは曲ごとの感想です。

第1番は、基本のテンポはだいぶ遅めです。2000年にハンブルクで北ドイツ放送響を指揮したライブが海賊レーベルEn Larmesから出ていて、それも遅めでしたが、今回は更にゆったりとした印象です。エッシェンバッハの指揮は正に王道そのもので、厳格なイン・テンポを守るわけでは有りませんが、不自然にテンポを変えて姑息な印象を与える様な真似は一切有りません。実に堂々たるブラームス演奏です。金管も中々に鳴らせていますが、常にベースとなる弦楽の上に音を載せて、全体を美しく溶け合わせているので、とても心地好いです。その響きは北ドイツ風の暗く厚い音では無く、もう少し中部ドイツ的な透明感が有るように思います。第2楽章も同様に大変美しく静かに流れゆきます。ヴァイオリン独奏はコン・ミスのス―ヨン・キムが弾いていますがまずます及第点といったところです。第3楽章もゆったりと美しく、その落ち着いた雰囲気で終楽章に入って行きます。導入部にはさほど劇的な効果は求めず、それを期待すると肩透かしをくらうかもしれません。むしろ牧歌的なほどです。あの主題も落ち着いて歌われます。展開部に入ってからも中々アクセルを踏むことなく、高齢者ドライバーの暴走とは無縁です。安全運転ですが、美しい景色を眺めて楽しみながら走っているような安心感が有ります。それでも少しづつ、少しづつ盛り上げて行くパースペクティブの良さは流石です。終結部でも下手にテンポを煽ったり、金管を無理やり強奏させたりせずに全く持って大人の貫禄です。

第2番も基本テンポは遅めで、ゆったりとした構えは堂々たるものです。透明感ある響きが美しく牧歌的な幸福感を感じさせます。4曲の中で、美しい響きを造り出すのが最も難しいこの曲ですが、流石はドイツのオケとマエストロの手腕です。第2、第3楽章も同様に美しいです。終楽章ではいたずらに煽るような真似はしない非常にスケールの大きい指揮が本領を発揮して、単なる姑息な爆演とは次元の異なる気宇の大きい演奏で大変な充実感を与えてくれます。

第3番は、1楽章から相当遅いテンポで恰幅の良さが際立ちます。ザンデルリンクの旧盤のような立派さです。もっともオーケストラの音の厚みと質は流石にSKドレスデンには及びません。ですので、あれほどの充実感を感じられるわけではありません。2楽章、3楽章はやはり遅いテンポでゆったりと非常に味わい深く歌わせています。特に3楽章からこれほどまでに寂寥感を感じさせてくれる演奏は稀かもしれません。終楽章もスケールの壮大さが圧倒的です。それが異形さを感じさせることも無く、ブラームスの音楽の範囲内に収まっています。

第4番も基本テンポは遅めでじっくりと進みます。歌わせ方には非常に神経が行き届いています。僅かに教え込んだ跡が感じられなくも無いですが気になるほどではありません。1、2楽章はとても美しいです。3楽章はやたらと煽るのではなく地に足を付けた恰幅の良い演奏です。終楽章では変奏が進むに連れてじわりじわりと高揚してゆく様が聴き応えあります。それでも、2005年東京ライブではフルトヴェングラーを想わせる激しさが有ったのに対して、こちらはずっと落ち着いた円熟の演奏となっています。

全曲を聴き終えてみますと、やはり素晴らしい全集です。どっしりと雄渾な演奏ですが、決して枯れているわけでは無く、秘めたる情熱を感じます。エッシェンバッハの指揮には、とって付けたような演出や姑息さを感じさせることは全くありません。本物の巨匠だと思います。
惜しまれるのは繰り返しますが楽団の響きです。ドイツ的な素晴らしい音ですが、SKドレスデンやゲヴァントハウス管など最上級の団体にはあと一歩及ばない印象です。しかし、少なくともベルリン・フィルのような近代的で輝かしい音色よりもずっとブラームスに適しています。

録音に関しては、同じオーケストラで録音したザンデルリンクの再録音盤は余りにもホールトーン的な音造りでしたので、個人的には今回のエッシェンバッハ盤の音造りを好みます。ちなみに1番と3番がライブ録音。2番と4番はコロナ禍における無観客ライブ録音とのことです。

ということで、数多あるブラームスの交響曲全集の中でも座右に置きたいセットの一つとなりました。近年の中ではティーレマン/SKドレスデン盤、バレンボイム/SKベルリン盤と比べて、オーケストラの響きの点では後塵を拝しますが、演奏としてより好むのはこのエッシェンバッハの新盤です。

最後に一言だけ。あのどうしようのないジャケット・デザインは何とかならなかったものでしょうか。。。

<関連記事>
他の指揮者のブラームス交響曲全集に関してはこちらより
ブラームス 交響曲全集 名盤 ~古典派の肉体にロマン派の魂~

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2021年12月 7日 (火)

ハンドルネームでのご投稿のお薦め

先にある方より、実名での投稿をご提案頂きました。確かにマナー違反の抑制効果は有ると思います。

けれども、私としては実名にこだわる必要は無いという考えです。その理由は、特に女性などでは実名での投稿に躊躇われる方がおられると思いますし、そうした方が投稿そのものを躊躇われてしまうからです。この場では、そうしたことを気にすることなく交流する場としたいと思います。

もちろん実名でのご投稿もご自由なのですが、皆さんが実名で投稿をされていると、やはりハンドルネームでの投稿を躊躇う空気が生まれると思います。ですので、なるべくハンドルネームでのご投稿をお薦め致します。

これは私からのお願いです。

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«ブラームス 交響曲全集 ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン