2020年7月 4日 (土)

ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」全曲 名盤 ~ベートーヴェン生誕250年記念~

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今年はベートーヴェンの生誕250年の年に当たり、本来であればベートーヴェン・イヤーとして多くの音楽イベントが行われるはずでした。ところが新型コロナウイルスのおかげでことごとく取り止めとなってしまい残念です。そこで久々にベートーヴェンを取り上げることにしました。歌劇「フィデリオ」です。

19世紀前半のドイツオペラでは後輩のウエーバーの「魔弾の射手」の人気が高く、「フィデリオ」はいまひとつなんて方もおられますが、とんでもない、大傑作だと思います。

「フィデリオ」は16世紀のスペインが舞台で、不当に牢獄に投獄された政治家フロレスタンを、妻のレオノーレが男に変装してフィデリオと名乗り、勇敢にも刑務所に潜入して夫を助け出すという話です。原作者はフランスの劇作家ジャン=ニコラ・ブイイで、フランスの作曲家ピエール・ガヴォーのオペラ「レオノール、または夫婦の愛」のために書き下ろされました。舞台設定はスペインとされていますが、実際はフランス革命後の恐怖政治の真っ只中のフランスが舞台です。昔のスペインの出来事ということに置き換えて、当時の異様な社会が描かれました。

この台本は何人もの作曲家に取り上げられましたが、ベートーヴェンも「自由解放と夫婦愛」というテーマに共感して、ドイツ語訳の台本で作曲に取り組みました。但し、「フィデリオ」には三つの稿が有り、第1稿と第2稿ではタイトルも「レオノーレ」でした。更に序曲を毎回新しく書いたので4種類(数が合わない!?)存在します。その作曲の経緯を追ってみるとベートーヴェンの苦心の跡がよく分かります。

第1稿「レオノーレ」1805年版(全3幕)
ベートーヴェンが楽譜に記したタイトルは、原作の「レオノーレ、または夫婦の愛」でしたが、この原作を使用したオペラが既に上演されていたため、劇場はそれらと区別するために「フィデリオ」のタイトルで上演しました。序曲には「レオノーレ」序曲第2番(のちの呼称)が使用されています。公演は失敗に終わりますが、当時ウィーンがフランス軍に占領されていたために、観客の大半がフランス兵でドイツ語が理解出来なかった為だという説も有ります。

第2稿「レオノーレ」1806年版(全2幕)
ベートーヴェンは、すぐに作品の改訂を行います。一部の曲をカットして2幕構成へ書き替えました。大きくは第1幕と第2幕がまとめられて第1幕となり、第3幕はほぼそのまま第2幕となりました。序曲は新しく作曲されました(「レオノーレ」序曲第3番)。この時もベートーヴェンは「レオノーレ」のタイトルで上演を希望しましたが、またしても「フィデリオ」として上演されます。公演はまずまずだったようです。

第3稿「フィデリオ」1814年版(全2幕)
その後、8年が過ぎ、1814年に再び上演されることになり、台本と音楽の両方を改訂した第3稿が完成します。第1稿と比べて遥かに流れが簡潔になり、音楽も迫真性を増しています。楽譜のタイトルも正式に「フィデリオ」として、新しい序曲を作曲しました(「フィデリオ」序曲)。この上演は大成功を収め、以後「フィデリオ」はこの第3稿で演奏されます。

人気の高い「レオノーレ」序曲第3番は本来、第3稿には含まれませんが、マーラーが指揮した時に第2幕第2場への間奏曲として演奏をしました。マーラーの死後には定着しませんでしたが、のちにフルトヴェングラーがこのやり方を復活させてから一般的と成ります。オリジナル重視で演奏されない場合も多いですが、ウィーンでは伝統的に演奏されています。

なお「レオノーレ」序曲第1番はベートーヴェンの死後に楽譜が遺品として発見されたもので、作曲の経緯も不明です。そもそも第1番から第3番までの番号はベートーヴェン自身によるものではなく、後世に付けられたものです。

歌劇「フィデリオ」のあらすじ
第1幕 セヴィリアの郊外。高い城壁に囲まれた牢獄の中庭
 正義の政治家フロレスタンは刑務所長ピツァロの不正を暴こうとして策略にかかり不当に牢獄に囚われている。フロレスタンの妻レオノーレは男に変装してフィデリオと名乗り、牢番の助手となって潜入して夫の行方を探る。
所長ピツァロが登場すると、政敵フロレスタンへの勝利に高笑いし、牢番にフロレスタンの処刑を命じる。しかし牢番がレオノーレの助言で囚人たちを日光浴に出すと、囚人は喜び、自由への希望に満ちて「囚人の合唱」を歌う。

第2幕 陰鬱で暗い地下牢 
 フロレスタンは地下の独房で鉄鎖に縛れ、絶望して「ああ、なんと暗いところだろう」と歌う。その囚人こそが夫だと知ったレオノーレは処刑のために地下牢に来たピツァロに正体を明かし、我が身を投げ出して夫の処刑を止めようとする。
そのとき、フロレスタンの友人である大臣フェルナンドの到着を知らせるラッパが響く。大臣はピツァロの不正と悪事を裁き、すべてが解決する。
解放されて自由の身となった囚人たちと民衆によりレオノーレの勇敢な愛を讃える大合唱となって幕が下りる。

それでは「フィデリオ」の愛聴盤のご紹介です。このオペラでは、演奏史的にもフルトヴェングラーとベームの二人の巨匠が中心になります。

51kf2btjhrl__ac_ ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン国立歌劇場(1950年録音/EMI盤) ザルツブルク音楽祭におけるライブ録音です。演奏の傷はそれなりに有りながらも、フルトヴェングラーの実演の凄さを聴ける点で価値が大きいです。残念なのはオリジナル録音テープが契約上の問題から放送局で消去されてしまい、複製テープからでしか聴けないことです。歌は比較的良く聴き取れますが、全体にザラつきが多く管弦楽の音はかなり貧しいです。レオノーレのフラグスタートはこの人のオバさん声さえ気にならなければ貫禄の名唱です。フロレスタンはパツァークが歌っています。レオノーレ序曲第3番は演奏され、そこからたたみ掛けてフィナーレに向かう迫力がすさまじいです。しかし最後まで聴き通すと耳が可哀そうな音はやはり如何ともし難いです。

71unv8z1bpl__ac_sl1300_ ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1953年録音/EMI盤) こちらはEMIによるセッション録音ですので、モノラルながらも音質の点で‘50年の録音より遥に上です。これなら充分鑑賞に耐えられます。ライブ信奉者からは“気が抜けた演奏“などと不評ですが、そんなことはありません。迫力は有りますし、造形的にも優れ、重厚でスケールの大きな演奏が素晴らしいです。フルトヴェングラー晩年のシンフォニー演奏を好む人には第一にお勧めします。レオノーレのメードル、フロレスタンのヴィントガッセン以外の声楽陣も極めて優れています。もちろんレオノーレ序曲第3番は演奏されています。セリフが入らないのは好みですが、妥当なところです。

Fidelio-furt ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1953年録音/キング・インターナショナル盤) EMIによるセッション録音の直前にアン・デア・ウィーン劇場で行われたライブの録音です。これまでイタリア盤しか出ていませんでしたが、来月国内リマスター盤が出ることになったので予約しました。聴後に感想を書き加えます。

71rbtt2bg9l__ac_sl1200_ カール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場(1955年録音/オルフェオ盤) 第二次大戦で焼け落ちた国立歌劇場が再建された記念公演のライブです。流石はベームというかライブでも古典的で堅牢な造形性ときりりと引き締まった統率力が抜群です。モノラルながら録音状態も良く、この名演奏が不満なく楽しめます。管楽器が僅かに引っ込み気味ですが、逆に弦楽器がとても美しく録られています。二幕に入ると実演のベームならではの緊張感と迫力が増して思わず惹き込まれます。レオノーレはメードル、フロレスタンはデルモータで、他の声楽陣も優れています。もちろんレオノーレ序曲第3番は演奏されています。

81e2b3flexl__ac_sl1500_ カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツオペラ(1963年録音/ポニーキャニオン盤) 日生劇場のこけら落としのために来日したベルリン・ドイツオペラの「フィデリオ」がベームの指揮で行われました。ニッポン放送による優秀なステレオ録音が残され、この記念碑的な演奏を楽しめます。オーケストラこそ‘55年盤には及びませんが、声楽陣と合唱に関しては遜色のない素晴らしさです。主役のレオノーレのルートヴィッヒ、フロレスタンのキングともに最高で、これだけ高いレベルの演奏を生で聴けた日本の聴衆はつくづく幸せでした。一幕から既に熱いですが、後半に入ると更に熱くなり迫力が増してゆく点で最高です。レオノーレ序曲第3番もしっかりと演奏されます。

411fvsjdtkl__ac_ カール・ベーム指揮ドレスデン国立歌劇場(1969年録音/グラモフォン盤) これはドイツの名門歌劇場を使ったセッション録音ですので、全てにおいてバランスが良く、安心して楽しめます。ただし、ベームがこのオケを振ると余りにガッチリし過ぎて響きが筋肉質に感じられるきらいが有ります。ですので、もう少し音に柔らかさを求めたい気がしてしまいます。G.ジョーンズのレオノーレ、キングのフロレスタン、他の声楽陣も皆素晴らしいです。レオノーレ序曲第3番は演奏されています。

Donpasqualesayaomartinivalentinonaxos811 カール・ベーム指揮バイエルン国立歌劇場(1978年録音/オルフェオ盤) ベームの長き“フィデリオの旅”の総決算となった演奏がライブ録音されています。それまでの緊張感みなぎる演奏とはやや印象が変わり、音楽が実に深く、風格やスケールの大きさを強く感じます。演奏が緩くなった訳でもなんでも無く、ベームはやはりベームです。ベーレンスのレオノーレ、キングのフロレスタン他の声楽陣には優秀なメンバーが揃っていますし、名門歌劇場のオーケストラも大変上手く、この素晴らしい演奏が優れた録音で楽しめるのは最高です。レオノーレ序曲第3番もしっかりと演奏されています。

71rxmhyrsol__ss500_ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場(1962年録音/グラモフォン盤) カラヤンにとっても「フィデリオ」はやはり特別なオペラです。ベームと並んで数多くの演奏を行ないました。そのカラヤンが壮年期にウィーンで指揮した公演がライブ録音されているのは幸せです。モノラルですが録音もこの時期になるとかなり優れています。演奏はライバルのベームほどガッチリはしていなく、良く言えば自由でしなやか、悪く言えば統率の緩さが有ります。けれども如何にも劇場の実演という感興を楽しめて良いです。レオノーレはルートヴィッヒ、フロレスタンはヴィッカースです。レオノーレ序曲第3番は演奏されます。

51qnmo3zel ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1970年録音/EMI盤) カラヤンは全盛期に主兵のベルリン・フィルを使って多くのオペラのセッション録音を残しました。これもその一つですが、演奏は緻密を極め、かつ重厚な迫力で管弦楽が響き渡ります。序曲のシンフォニックな演奏にオペラ幕開けのイメージが湧かずに面食らいますが、本篇に入ると安定したテンポでスケールが大きく音楽の美しさを味わえます。歌が入ると生の舞台の躍動感を彷彿させるようになり楽しめますが、歌無しの部分ではあたかも純粋な管弦楽曲を聴いているようです。特に第二幕第二場では圧倒的な大迫力です。なんだか、その前にレオノーレ序曲第3番が含まれていない“うっ憤”を晴らしているかのように聞こえます。レオノーレはデルネッシュ、フロレスタンはヴィッカースです。

91wfulxuarl_ac_sx679_ オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1962年録音/EMI盤) クレンペラーのシンフォニー演奏と共通して、ゆったりとしたイン・テンポで一貫して悠然とスケール大きく音楽を進めます。このマエストロにかかってはこの自由解放ドラマも余り人間臭くは無くなります。ルートヴィッヒのレオノーレ、ヴィッカースのフロレスタン、フリックのロッコをはじめ声楽陣は優れています。フィルハーモニア管の響きにこそ深みや含蓄は有りませんが、この時代のEMIにしては海外盤で聴く限り録音も良好です。但しこのタイプの演奏でレオノーレ序曲第3番を含まないのはがっかりです。カラヤンとクレンペラーはフルトヴェングラーに逆らいたくて演奏をしなかった訳でも無いでしょうが。

61dsehltwql__ac_ レナード・バーンスタイン指揮ウィーン国立歌劇場(1978年録音/グラモフォン盤) バーンスタインもウィーンで大変愛されて、指揮台に度々上がりました。ベートーヴェンのシンフォニー全集と共に「フィデリオ」の録音が残されたのは嬉しいです。全体的にゆったりとした構えの演奏ですが、随所にウィーン・フィルと歌劇場合唱団の美しい響きがバランス良く克明に刻まれているのが最大の魅力です。セッション録音の良さが生かされています。レオノーレはヤノヴィッツ、フロレスタンはルネ・コロで文句ありませんし、マルツェリーネのルチア・ポップも最高です。レオノーレ序曲第3番もしっかりと演奏されています。

さて、演奏だけを比べればベーム/ウィーン国立歌劇場の1955年盤が好きなのですが、録音状態も含めた総合点ではベーム/バイエルン歌劇場盤を取ります。それにしてもベームの「フィデリオ」をウィーン、ベルリン、ドレスデン、バイエルンという名門オペラハウスの演奏で聴けるのはつくづく幸せです。ベーム以外ではバーンスタイン/ウィーン国立歌劇場が好きです。フルトヴェングラーについては来月まで待ちましょう。


第1稿(1805年版)「レオノーレ」のCD
さて、番外で第1稿(1805年版)のCDも上げましょう。         
近年は原典主義に立ち返り、第1稿や、時には第2稿で演奏されることが有ります。第1稿には幾つかのCDが出ていますが、第2稿は原典版と最終版の間で割を食っている感じでCDは出ていないようです。  
511hz8yi1l__ac_ ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)シュターツカペレ・ドレスデン(1976年録音/Berlin Classics盤) 第1稿で所有しているのは、ブロムシュテットがドレスデンで音楽監督をしていた時代にルカ教会でセッション録音されたものです。エッダ・モーザー、テオ・アダム、カール・リッダーブッシュ、ヘレン・ドナートといった層々たる歌手を揃えられたのは東ドイツのシャルプラテンと西側のEMIとの共同制作だったからでしょう。このオーケストラのいぶし銀の音色を忠実に捉えている録音はベーム/ドレスデン盤を上回ります。演奏も手堅いもので、ブロムシュテットの同楽団との交響曲全集の素晴らしさを知る方には、そのままイメージをして貰えれば良いです。この第1稿は通して聴くと、全体的に長く散漫に感じられますが、カットされてしまった美しい部分も有り、第3稿「フィデリオ」とはまた別のオペラを聴くような気にもなれて、案外楽しめます。このCDは現在、廉価盤のBrilliantレーベルからも出ていますしお勧めです。

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2020年3月 2日 (月)

マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ短調 <クック補筆全曲版> ~新たなる時代への習作~

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マーラーはリヒャルト・ワーグナーのように交響曲という形式から離脱したわけではありませんが、その形式に留まりつつも内容を極限まで肥大化させ、ある意味では交響曲の形式を破壊してしまいました。しかしその創造性たるや驚くべきものがあり、第1番から第9番まで(「大地の歌」を含めて)の交響曲は全てが傑作の名に恥じません。

しかし最後の第10番は、作品が完成する前にマーラーが世を去ったために未完に終わりました。ほぼ書き上げられていた第1楽章アダージョのみが国際マーラー協会による「全集版」として収録・出版されています。

第10番のマーラーの未完の遺稿は5楽章構成から成っていて、第1楽章と終楽章が第9番と同様に緩徐楽章となっています。第2楽章と第4楽章にはスケルツォ的な音楽が置かれ、中間の第3楽章に「プルガトリオ(煉獄)」もしくは「インフェルノ(地獄)」と題される短い曲が置かれています。これらはあくまでデッサンですが、仮に完成していたとしても両端楽章の構成は変わりようが無いと思います。第1楽章はもちろん素晴らしいですが、第5楽章も聴きものです。たとえ良く言われるように補筆版のオーケストレーションの音が薄いとしてもです。

第10番は調性上では第9番以上に無調的な不協和音が多く用いられていて、シェーンベルクはこれを「和声の革新」と称賛しました。しかし、その割には初期の交響曲を想わせるモチーフが幾つも登場して来るのは面白いです。

マーラーの音楽は第8番と第9番とで頂点に達しましたが、第10番にはシェーンベルクなど新時代の音楽家の技法を必ずしも評価していなかった、あるいは「どのように評価してよいか分からなかった」マーラーの葛藤が感じられ、新しい音楽への迷いが感じられます。それまで彼は新時代の音楽の騎手、トップランナーとして走り続けてきましたが、いつの間にか自分が音楽の進化の足取りに後れを取っているのではないかと不安になり苦しんでいるような、そんな印象を受けてなりません。過去の曲のモチーフが登場するのも、前時代のロマン派音楽を引き摺っている自らへの自虐的な皮肉なのかもしれません。

この作品への創作上のブレーキは、そうした新時代の音楽へ思うように進んでゆけない自分へのいら立ちにも有ったのではないでしょうか。完成には程遠いままに終わってしまったこの作品に、あえて「新たなる時代への習作」と記したのはそういう理由からです。

ところで、この曲のスケッチに、妻アルマへ対する言葉が至るところに書き残されていることは有名です。
第3楽章には「死!変容!」、「憐れみ給え! おお神よ! なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」、「御心が行われますように!」と書かれています。
第4楽章には「悪魔が私と踊る、狂気が私にとりつく、呪われたる者よ!私を滅ぼせ、生きていることを忘れさせてくれ! 生を終わらせてくれ、私が……」、「完全に布で覆われた太鼓、これが何を意味するか、知っているのは君だけだ! ああ! ああ! ああ! さようなら、私の竪琴! さようなら、さようなら、さようなら、ああ、ああ、ああ」と書かれています。
そして、曲の締めくくりとなる第5楽章のコーダの上には「君のために生き! 君のために死ぬ! アルムシ!」と書かれています。“アルムシ”とはアルマの愛称です。

作曲当時、アルマは湯治先で建築家グロピウスと出会って親密な関係となり、その為にマーラーとアルマの関係はぎくしゃくしたものとなります。これらの書き込みからは当時のマーラーの悲嘆の大きさが伺い知れ、このことが第10番の音楽に反映されているとよく言われます。もちろん精神的な痛手を受けていたことは明らかですが、この曲が未完に終わったことはあくまで音楽的な要因が大きいような気がします。
マーラーは、完成することのできなかった第10番のスコアを焼却するように、アルマに言い残したそうです。しかし、アルマは楽譜を破棄せずに保管していました。

従って、この曲がどこの誰だかわからない人間の手が入った楽譜で演奏されるマーラーの心情を考えると、補筆版を喜んで鑑賞する気にはなれません。自分が基本的に愛聴するのは第1楽章のみです。そもそもマーラー演奏のスペシャリストであるバーンスタインも、テンシュテットも、クーベリックも、ベルティーニも誰一人として補筆完成版を演奏しようとはしませんでした。

補筆版は何人かの音楽学者により編集が行われましたが、イギリスのデリック・クックによるものが最も評価されて多く演奏されています。
一応、所有する補筆版のCDをご紹介します。

414tt2rfqzl_ac_ サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル(1999年録音/EMI盤) 第9番までなら余り食指を動かされない?ラトルの盤を持っています。案の定、あの第1楽章は深刻さの無いままに、実にあっさりと流れます。ここには後期ロマン派の情念の人としてのマーラーは居ません。新時代の人としてのマーラーが居ます。それなら良い演奏ではないのか?とお叱りを受けそうですが、近年のベルリン・フィルの明るい音は自分の耳には何とも合わないのです。第2楽章以降も同様に、各楽器パートの明瞭で上手いことは確かですが、音楽からは明るい陽射しがまばゆいかのような印象を受けます。

41npxv64fml_ac_ ダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィル(2007年録音/グラモフォン盤) バーンスタインやテンシュテットがウィーン・フィルを指揮して残した第1楽章だけを比べると、ずっとスマートな演奏に感じますが、管弦楽の音色の美しさとそこに情感がそこはとなく漂うのは流石ウィーン・フィルです。それに近年のセッション録音だけあって録音は優秀で、極上のハーモニーが再現されます。第2楽章以降のアンサンブルも強固で文句は一切有りません。ワルツ的な部分の洒落た味わいもこのオケならではです。もしもクック補筆版を聴くとすればCDには余り選択肢が有りませんが、自分にはこれ1枚有れば充分です。

<関連記事>マーラー 交響曲第10番より「アダージョ」 名盤

 

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2020年1月28日 (火)

N響定期公演 クリストフ・エッシェンバッハ指揮 マーラー 交響曲第2番「復活」

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もう1月も終わりだというのに、今頃になって12日のN響1月定期公演について書きます。(汗)

クリストフ・エッシェンバッハ指揮でマーラーの交響曲第2番「復活」でした。マエストロはピアニスト出身ですが、前時代的ともいえる巨大な音楽を造れる希少な存在で大好きです。どこかで「不器用な棒」と評されているのを見かけたことがありますが、器用な棒は良くも悪くも「器用な音楽」になりがちなので、この人はこれで良いと思います。

ところでこのNHKホールのステージには今から40年前に自分が上がって、「復活」を演奏したことが有ります。当時の「青少年音楽祭」(ジュネス)で尾高忠明氏の指揮でした。自分はヴィオラメンバーでしたが、青春の最高の思い出の一つです。

今日の演奏はいかにもエッシェンバッハらしい巨大なマーラーで素晴らしかったです。低弦による冒頭の出だしからもの凄い凄みが有りました。その後もN響が音楽に没入して演奏しているのがよく分かります。終楽章の行進曲の重量感もただ事ではなく、現代でこんなマーラーを振る人はちょっと居ないでしょう。圧巻でした。

ただ、2階真ん中より後方の席で聴いたので、音はどうしても遠いです。それは分かっていて購入したのだが、たとえこの曲でもNHKホールの広さはいかんともし難かったです。それだけがやや残念でした。

<関連記事>
マーラー 交響曲第2番「復活」名盤 エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管ほか

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2020年1月 1日 (水)

2020年 新年のご挨拶

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明けましておめでとうございます!

昨年は愛犬クッキーちゃんにイノシシの着ぐるみを被せて新年のご挨拶をさせて頂きましたが、今年は我が家の三姉妹、チョコ、モカ、パイより皆様にご挨拶です。もっともデグーですので正確には🐁とは異なりますが、まぁ親戚ということで!

「ハルくんの音楽日記」新年のご挨拶も11年目となりました。
近年は地元音楽家協会の運営、コンサートの企画などで大変忙しくなってしまい、新しい記事のアップも大変スローになっています。しかし継続することに意義が有ると信じて、これからも地道に続けてゆきます。

本年もどうぞよろしくお願い致します!

2020年 元旦
ハルくん

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2019年12月19日 (木)

G.F.ヘンデル オラトリオ「メサイア」 名盤

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毎年12月になると第九と並んで頻繁に演奏されるのが、ヘンデルの「メサイア」ですね。タイトルは「メシア(救世主)」の英語読みですが、チャールズ・ジェネンズという人が受難週の演奏会のために聖書を元にしてイエスの生涯をテーマとした台本(歌詞)を書きました。
その後、ヘンデルがジェネンズの台本を使ったオラトリオをアイルランドの慈善演奏会のために作曲しました。1741年のことです。

作品は三部から構成されます。
第1部: メシア到来の預言と誕生、メシアの宣教
第2部: メシアの受難と復活、メシアの教えの伝播
第3部: メシアのもたらした救い〜永遠のいのち

「メサイア」は翌年1742年4月にダブリンで初演されて聴衆から大喝采を受けました。更にその翌年にはロンドンで初演されますが、この時は宗教的な内容の作品を劇場で演奏するのは神に対する冒涜であるという非難を受けたことから、その後は余り演奏されませんでした。
しかしヘンデルは捨子養育院での慈善演奏会で「メサイア」を毎年演奏したので、次第に評価が高まりました。

「メサイア」の初稿の編成はシンプルなものでソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱と合唱、それに弦楽オーケストラで、それ以外には「Glory to God /神に栄光があるように」でトランペットのソロが有るだけでした。その後、ロンドン初演でオーボエとファゴットが追加され、更に何回にも亘って改訂・再演された為に楽譜には何種類もの版が有ります。

19世紀半ばになると500人のオーケストラと2000人の合唱によって上演されたり、やがては4,000人にのぼる合唱団によって上演されました。こうした巨大な編成による演奏は20世紀になっても続けられましたが、ヘンデルの原作から離れ過ぎているという批判も起きました。

第2部最後の「ハレルヤ」(俗に“ハレルヤ・コーラス”)は超有名で、ロンドンで演奏された際に国王ジョージ2世が、「ハレルヤ」の途中で起立したために、聴衆も皆続いて立ち上がったという逸話がありますが、これはどうやら史実ではないようです。

いずれにしても「メサイア」はヘンデルの唯一の宗教オラトリオですが、「ハレルヤ」以外にも美しい曲がずらりと並んでいて、バッハの受難曲やミサ曲と並ぶ、宗教音楽の傑作です。

それでは愛聴盤をご紹介します。LP盤時代にはエードリアン・ボールト指揮ロンドン交響楽団の壮麗な演奏を愛聴しましたが、今はヘンデルのオリジナルに近いピリオド編成の演奏を好みます。

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クリストファー・ホグウッド(指揮)オックスフォード・クライスト・チャーチ聖歌隊、エンシェント室内管弦楽団、ジュディス・ネルソン(ソプラノ)、エマ・カークビー(ソプラノ)、キャロライン・ワトキンソン(コントラルト)、ポール・エリオット(テノール)、デイヴィッド・トーマス(バス)(1979年録音/DECCA盤)
ピリオド楽器による「メサイア」の初期の録音ですが、ホグウッドがこの曲が作曲された時代に実際に上演された版を忠実に再現することを目指した力作だったので、今聴いても新鮮さは全く失われていません。主兵のエンシェント室内管はもちろん優れていますし、合唱のソプラノパートを歌う聖歌隊がまた大変に美しいです。もちろんセッション録音なので選抜した少人数が歌ったのを音編集している可能性は否定できませんが、とにかく少年合唱ならではの清純さが滲み出ていて心を打たれます。これをプロの女性コーラスと比べてどうのこうの言うのは野暮というものです。ソリストも万全と言いたいところですが、ネルソン、カークビー、ワトキンソン、エリオットに比べてバスのトーマスのみがやや平凡です。録音は残響が豊かなので実際に大聖堂で聴いている気分を得られます。これは敬虔さと音楽美が両立した不滅の名盤だと思います。

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スティーヴン・クレオバリー(指揮)ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団、 ブランデンブルク・コンソート、リン・ドーソン(ソプラノ)、ヒラリー・サマーズ(アルト)、 ジョン・マーク・エインズリー(テノール)、アラステア・マイルズ(バス)(1994年録音/Briliant盤)
オックスフォードに対抗するのはやはりケンブリッジ、ということでは有りませんが、ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団は、少年と成人男声だけの聖歌隊スタイルで500年以上の歴史を持ちます。これはちょうど先月亡くなった英国宗教音楽の大御所クレオバリーが指揮してオランダの聖ペテロ教会で行った演奏会の録音です。ディスク化するには条件的に難しいライブですが、ここではむしろ生演奏の緊張感がプラスに働いていて、些細な傷など全く問題とならない感動的な演奏となっています。4人のソロイスト版で、皆素晴らしいですが、看板のコーラスの魅力と言ったら言葉になりません。むろんプロのコーラスに比べれば精度やテクニックで劣りはしますが、その敬虔な歌声には抗し難い魅力が有ります。ブランデンブルク・コンソートの演奏も見事で、テクニック、音色、躍動感、すべてが完璧です。録音も優秀ですし、これはかけがえのない名盤だと思います。

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アンドリュー・パロット(指揮)タヴァナー・プレイヤーズ&合唱団、エマ・カークビー(ソプラノ)、エミリー・ヴァン・エヴェラ(ソプラノ)、マーガレット・ケイブル(メゾ・ソプラノ)、ジェイムズ・ボウマン(カウンターテノール)、ジョゼフ・コーンウェル(テノール)、デイヴィッド・トーマス(バス)(1988年録音/EMI盤)  
パロット主兵の古楽器団体、タヴァナー・コンソート&プレイヤーズの演奏ですが、重々しくならない適度なテンポで、各パートをクリアに響かせて、対位法的な動きを非常に面白く聴かせています。彼らのバッハの受難曲やミサ曲の演奏には峻厳さが余り感じられないのが不満でしたが、ヘンデルのこの曲ではその「軽み」がむしろプラスに作用していて、大変に魅力的です。ホグウッド盤と同じくソプラノはソリスト二人が分け合いますが、主にアリアをカークビーが、レチタティーヴォやそれ的なところをエヴェラが受け持っていて、ホグウッド盤よりもカークビーの出番が多いのは嬉しいです。徹底したピリオド奏法の器楽演奏も優秀ですが、とにかく全ての音がクリアに耳に聴こえてくるのはセッション録音の成せる業で、これはライブ収録では到底不可能です。逆に言えば、自分の家で純音楽的に鑑賞するのであれば最上の名盤なのかもしれません。

さて、この三種類のCDはどれも素晴らしく外せないものばかりですが、個人的な好みで言えば、少年合唱の加わったホグウッド盤とクレオバリー盤を聴くときに最も幸せを感じます。

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2019年12月15日 (日)

ブラームス国際コンクールのピアノ部門第一位のピアニスト三原未紗子さん NHK-FM リサイタル・パッシオに出演

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ブラームスが毎年夏になると訪れたことで知られるオーストリアの避暑地ペルチャッハで開催されるブラームス国際コンクールの今年のピアノ部門で第一位の栄冠に輝いたピアニスト三原未紗子さんが、今夜のNHK-FM 金子三勇士さん司会のリサイタル・パッシオに出演します!
https://www4.nhk.or.jp/r-passio/
NHK-FM放送
放送時間:12/15(日) 20:20-20:55
再放送:12/20(金) 09:20-09:55

※三原さんの演奏をぜひ生演奏で聴きたくなったという方のために近日開催される公演の案内です。

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2019年12月14日 (土)

伊藤悠貴&上原彩子デュオ・リサイタル ~オール・ラフマニノフ~

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国内外で大活躍の若手チェリスト伊藤悠貴さん。すでに日本を代表するチェリストの一人となりました。

今年の春に紀尾井ホールで開いたリサイタルでは話題のピアニスト藤田真央さんとの共演で圧巻のオール・ラフマニフ・プログラムを披露してくれましたが、来年もまた全てラフマニノフで構成します。そして共演するピアニストは、あの上原彩子さんです!

注目すべきはプログラムになんと交響曲第2番のアダージョのチェロ&ピアノ編曲版が入っています!いったいどんな風になるのか楽しみですね♬

2020年5月15日(金)13:30開演で、会場は横浜みなとみらい大ホールです。

平日のアフタヌーンコンサートですが、たとえ仕事を放り投げても聴きに行かねばなりません!(笑)というわけでチケット発売初日の昨日、さっそくGETしましたが、既にかなり売れていました。興味のある方は大急ぎで購入されるのが宜しいかと思います!

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2019年12月11日 (水)

シューマン 交響曲第2番 名盤 ~苦難から歓喜へ~

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シューマンの交響曲でポピュラーなのは1、3、4番です。それは、どの曲にもシューマンらしいロマンティックで美しいメロディラインが沢山盛り込まれていて親しみ易いからでしょう。それに比べると2番は趣が異なり、短い動機や経過句ばかりが目立ち、明確なメロディラインが余り登場しません。そのことが一般的な人気の無さに繋がっているのだと思います。

しかし、この作品がつまらないか、というとそんなことは無く、逆にマニア好みの秀作です。特に第3楽章の悲劇的で美しい曲想には抗し難い魅力が有ります。その深々とした雰囲気に浸っていると、何となくブルックナーのアダージョでも聴いているな気分にもなります。2番は日本では演奏会で余り取り上げられませんが、ヨーロッパではむしろ2番と3番の演奏機会が多いのだそうです。ジョージ・セルのように明らかに2番を多く取り上げるマエストロも存在します。

一方で第2楽章のような難所も有ります。延々と続くヴァイオリンのスピッカートはシューマンのソナタや室内楽にもしばしば見られますが、大編成でこれを要求されると優秀なオーケストラでないと音がゴチャゴチャに聞こえてしまいます。それもまたマニアの耳を楽しませるのかもしれませんが。

シューマンはこの曲を既に精神疾患に悩まされていた1845年末から約1年間を費やして作曲しましたが、その間にも幻聴や耳鳴りのために作曲を一時中断し、双極性障害の症状も現れるようになっていました。しかし完成したこの曲の終楽章の輝かしさを耳にすると、苦難と危機を克服して書き上げることが出来た“歓喜の歌“にも思えます。

さて、それでは愛聴盤をご紹介してみたいと思います。

51hiagsyixl__ac_ ジョージ・セル指揮クリーヴランド管(1957年録音/ERMITAGE盤) 2番を好んで演奏したセルには全集盤が有りますが、これはマニアには知られたルガーノでのライブ録音です。さすがと言うか、実演でもクリーヴランドの鉄壁の合奏力は揺らぎなく、切れの良さと緊迫感が素晴らしいです。難を言えば金管楽器の音色が明晰過ぎてシューマン特有のくすんだ響きからは遠い点です。

Cci00034 フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1960年録音/Berlin Classics盤) シューマンゆかりのライプチヒのゲヴァントハウス管の演奏です。60年代初頭当時のこの楽団の古風な音色が魅力です。弦楽の厳格な弾き方は旧東ドイツ特有のものです。コンヴィチュニーの指揮はややゆっくり目に感じますが堂々と立派なもので現代のスマートな演奏とは一線を画します。聴くほどにじわじわと味わいの増す好きな演奏です。

91tjgjdkunl__ac_sl1500_ ジョージ・セル指揮ベルリン・フィル(1969年録音/Testament盤) セルにはもう一つライブ録音が有り、ベルリン・フィルへの客演と興味深いものです。しかしこの時の演奏は非常に素晴らしいです。クリーヴランドのそれと比べてもアンサンブルは遜色なく、しかもドイツ的にブレンドされたまろやかな響きが大変に魅力的です。録音がそれほどパリッとしない分、逆にアナログ的な印象を受けて聴いているうちに全く気にならなくなります。

  P2_g3245420w ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮ドレスデン国立管(1972年録音/EMI盤) シュターツカペレ・ドレスデンの全盛期の音は柔らかく厚みが有り、いぶし銀の響きが最高です。EMIと東独エテルナとの共同制作の録音がそれを忠実に捉えています。演奏はことさら劇的に聴かせることは無く極めてオーソドックスで、全集の中では余り目立ちませんが、やはり良い演奏です。

Cci00034b ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1979年録音/SONY盤) 導入部がゆったりと開始されたかと思うと、主部は速めのテンポで闊達になります。曲の各部の気分による変化を明確につけているのは良いのですが、幾らか小賢しさを感じないでもありません。オケのふくよかで柔らかい音は魅力的で、この曲に適しています。うるさいことを言わなければ中々に良い演奏だと思います。

231 ズービン・メータ指揮ウイーン・フィル(1981年録音/DECCA盤) DECCAの録音が捉えたウイーン・フィルの音がとにかく美しく、透明感が有りながらも薄さは無く、極上の響きを味わえます。メータの指揮は健康的で躍動感が有りますが、オケを適度に歌わせていて魅力的です。3楽章では静かに深く沈み込んで行く雰囲気を十全に醸し出しています。但し全集の中では1番、3番当たりの方が出来は良いように思います。

61iou1uvhyl__ac_sl1015_ レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1985年録音/グラモフォン盤) バーンスタインもまた第2番を好んで演奏した一人です。ロマンティシズムに溢れ、緩急とディナーミクの振幅の幅の大きな表現です。3楽章など一瞬マーラーかと思うほどです。その為に古典的な造形感は失われていて、聴き手の好みは分かれるかもしれませんが、ウイーン・フィルの気迫あふれる力演は説得力が有り、非常に聴き応えを感じます。

Schuman_vonk_654 ハンス・フォンク指揮ケルン放送響(1992年録音/EMI盤) ケルンの大聖堂を想わせるような響きです(なんて陳腐な言い方??)。ふくよかで目の詰んだ響きがいかにもドイツ的で、シューマンの音楽に適しています。フォンクの指揮も全体にゆったりと陰影を生かした表現で中々に素晴らしいです。終楽章の彫の深いリズムと表情も秀逸です。フォンクの残した全集には中々の名演が揃っています。

Iimg1200x10681536227310sqqwqs195512 ジョゼッぺ・シノーポリ指揮ドレスデン国立管(1993年録音/グラモフォン盤) 同じSKドレスデンの演奏でも、サヴァリッシュよりもゆったり気味でスケール感が増していて堂々とした印象です。管楽器などのソロの質の高さではサヴァリッシュの録音の時のメンバーの方が上なのですが、流石に20年の差は大きく、こちらは録音の優秀さでカバーしています。

M44045296582_1 リッカルド・ムーティ指揮ウイーン・フィル(1995年録音/フィリップス盤) 颯爽としたテンポで駆け抜けるいかにもムーティらしい生命力のある演奏です。全体的にアンサンブルが非常に優れますが、それでいてメカニカルに感じないのは流石はウイーン・フィルです。また3楽章には深い味わいを感じさせます。それにはウイーン・フィルの美音を十全に捉えた録音も大きく貢献していると思います。

Cci00036 クリストフ・エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送響(1998-9年録音/RCA盤) 北ドイツ放送響の厚みの有る暗い響きがシューマンの音楽にぴったりです。おまけにエッシェンバッハの指揮がじっくりとした構えでそれに輪をかけます。三楽章の悲劇的な雰囲気はバーンスタインに並びますが、どこまでも沈滞した感じが最高です。終楽章でさえ決して開放的では無く、暗さを感じさせるのがユニークです。この人の全集録音の中でも最も優れていると思います。

190759434123 クリスティアン・ティーレマン指揮ドレスデン国立管(2018年録音/SONY盤) 来日の際にサントリーホールで行われた全曲チクルスのライブ録音です。後期ロマン派的な重厚感のあるスタイルで、会場で聴く生演奏は素晴らしかったと想像しますが、こうしてCD化されてみると歴代の層々たる名盤にはやや聴き劣りしてしまいます。とはいえ中では2番の演奏が最も気に入っています。

以上、中々の名演奏が並びますが、個人的には最もユニークかつ聴きごたえの有るエッシェンバッハ盤がお気に入りです。次点としてはバーンスタイン盤というところでしょうか。

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2019年10月15日 (火)

藤田真央 ピアノ・リサイタル

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今日は紀尾井ホールへ話題のピアニスト藤田真央のリサイタルを聴きに行きました。このホールで彼の演奏を聴くのは、今年の3月にチェリスト伊藤悠貴のリサイタルのピアニストとして聴いて以来、半年ぶりです。その時の演奏会では二人の音色のコラボレーションが無類の音の美しさを醸し出していました。 今回もまた素晴らしい演奏でした。あのもの凄く柔らかい手の動きから弱音も強音も本当に美しい音が出てきます。 彼の音色感覚には独特のセンスを感じますが、後半のショパンのスケルツォ全曲では大胆な加速やルバートも効かせて凄く魅力的でした。 そのスケルツォも第一番から第三番までをほとんど切れ目なく一気に弾いてしまうのは凄いです。第4番の前だけハンカチで汗を拭いていました。プログラム前半のモーツァルトのソナタ第10番やベートーヴェンのソナタ「テンペスト」も良かったですが、自分としてはスケルツォを取ります。 アンコールは4曲。その最後のドビュッシー「月の光」では静寂感、薄明感に魅了されました。 彼と共演した伊藤悠貴が「彼は天才」と言っていましたが本当ですね。

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2019年9月 5日 (木)

カール・オルフ 世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 名盤 ~ボイエルンの歌集~

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ボイエルン修道院

19世紀初め、南ドイツのバイエルン地方にあるボイエルン修道院の書庫から11世紀から13世紀の間に書かれたとみられる古い詩歌を集めた写本が発見されました。それらは修道院を訪れた若い旅人や修道僧たちが書き遺したものと考えられますが、内容は、酒、恋愛、男女の営み、社会風刺などと極めて世俗的なものが多いのが特徴で、ラテン語、古イタリア語、ドイツ語、古フランス語などの様々な言語で書かれています。

それらが『カルミナ・ブラーナ』(ボイエルンの歌集)という題名で編纂され、1847年に出版されました。それを基にドイツのカール・オルフが作曲したのが同名の有名な世俗カンタータです。

それは“楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる独唱と合唱の為の世俗的歌曲”という長い副題が付けられた舞台形式によるカンタータで、ソプラノ、テノール、バリトン独唱、混声合唱、少年合唱、管弦楽、さらに本来は舞踊を伴うという大作です。

作品は3つの主要部分から構成されています。
第1部『初春に』 うららかな春の気分と愛が歌われる
第2部『酒場で』 酒場での男の欲望が歌われる
第3部『愛の誘い』 男女の愛と性欲が歌われる
更にその前後に置かれたプロローグとエピローグでは、「人間は常に運命に支配されて翻弄されるだけである」と歌われます。

曲は原始的なバーバリズム溢れるリズムとシンプルな和音が特徴で、歌詞はラテン語が主体ですが、一部にドイツ語と古いフランス語が用いられています。 初演は1937年にフランクフルトの劇場でベルティル・ヴェツェルスベルガーの指揮により行われました。

オルフは1935年から1951年にかけて“トリオンフィ”(勝利3部作)と呼ばれる舞台演奏用の作品を作曲していて、この「カルミナ・ブラーナ」はその第1作目にあたり、第2作の男と女の愛の現場を描いた「カトゥーリ・カルミナ」、第3作の愛の結実と結婚を描いた「アフロディーテの勝利」へと続きます。しかし演奏頻度においては圧倒的に「カルミナ・ブラーナ」が勝ります。

冒頭の「おお、運命の女神よ(フォルトゥナ)」は激しいリズムと緊迫感から、スポーツイヴェントの選手入場やドラマや映画のシーンで多く使われので、曲名を知らない方でも必ず耳にしていると思います。 オルフの代表作であり20世紀の音楽作品の傑作の一つと言えます。

ということで、恒例の愛聴CDのご紹介ですが、まずは「勝利三部作」のCDから始めます。

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フェルディナント・ライトナー指揮ケルン放送響/合唱団(1973-74年録音/Acanta盤) 作曲者オルフと親交の厚かったライトナーが、オルフの監修の下に製作した三部作全曲の録音です。初回は分売でリリースされましたが、有難いことに現在ではまとめて発売されています。三部作ともドイツ的な重厚さと素朴さが魅力であり、現代のスマートで颯爽とした演奏とは印象が異なります。「カルミナ・ブラーナ」も、じっくりとしたテンポによる風格が素晴らしく、この曲のリファレンスとしてかけがえのない価値を放ちます。録音も優れています。これが廉価盤で購入できるとは実に有難いですね。

以降は「カルミナ・ブラーナ」単独盤です。

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オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・ドイツオペラ管(1967年録音/グラモフォン盤) ヨッフムもまたオルフ演奏に定評が有り、早々とモノラル期に行った録音に続く再録音盤でした。この録音にもオルフが立ち会っていたようです。長い間ベストセラーとして君臨しましたが、現在聴いてもエネルギッシュでドイツ的なバーバリズム全開の魅力は「カルミナ・ブラーナ」では絶対に外すことの出来ない名盤中の名盤です。これから聴かれる方はまずはこの演奏を。但し、あえて指摘するとすればバリトンのフィッシャー=ディースカウは抜群に上手いもののコントロールされ過ぎの印象です。録音の鮮度はやや落ちていますが、バランスは良く聞きごたえは有ります。

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ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプチヒ放送響(1959年録音/エテルナ盤) ケーゲルは元々合唱を得意とする指揮者なのでこの曲にはうってつけです。洗練され過ぎることの無い、粗削りで素朴な味わいはヨッフム以上ですし、魔術的、呪術的という言葉が最も似合うように感じます。現代的で無いところが、逆にこの演奏の最大の魅力となるのでは無いでしょうか。録音は流石に古さを感じますが、鑑賞には問題ありません。ケーゲルは70年代に再録音を行っていますが、そちらは未聴です。

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リッカルド・シャイー指揮ベルリン放送響(1983年録音/DECCA盤) 全体の速いテンポと切れの良いリズム感が魅力です。ですので、この現代的でスマートな演奏を好む方は多いのではないでしょうか。しかしドイツのオケを使っているにもかかわらず、暗さよりも明るさを強く感じる響きと、軽快で健康的に過ぎるように聞こえるのが個人的には幾らかマイナスです。声楽陣も独唱、合唱ともに洗練されていて非常に美しい反面、荒々しい力強さを感じることは有りません。

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ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響(1984年録音/Profile盤) ライヴ収録ですが、さすがは名職人ヴァントですので緻密な完成度の高さに感心させられます。テンポは速くも遅くもなく中庸。響きについても良くコントロールされていて素朴さこそ有りませんが、さりとて洗練され過ぎることもなく無く、やはり中庸です。そのあたりもヴァントらしいと言えば、いかにもヴァントらしい立派な良い演奏なのですが、個人的には正直もう少し個性や主張が欲しくなります。管弦楽はもちろんのこと声楽陣、合唱とも優秀です。

ということでオルフ自身の監修、立ち合いで録音されたライトナー盤とヨッフム盤が貫録勝ちというところです。ただしオルフは他にもサヴァリッシュの録音やショルティの演奏会など色々と立ち会ったようですので、それが決め手だということではありません。

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2019年8月18日 (日)

クレド交響楽団演奏会~ジェラール・プーレさんのブラームス ヴァイオリン協奏曲~ 

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昨日は本当に暑かったですね~(大汗)
しかし夏休みも残り2日。勝どきの第一生命ホールまで足を伸ばしてフランス国宝級のヴァイオリニストであるジェラール・プーレさんのブラームスのコンチェルトを聴きに行きました。オケはクレド交響楽団というアマチュア団体です。

「ドン・ジョバンニ」序曲と「真夏の夜の夢」序曲の2曲のみが前半で短めでしたが、これが素晴らしい演奏でした。慶応高校と大学1年のメンバーが中心らしいですが、上手さにビックリです。さすがは”陸の王者慶応”!

指揮者は豊平 青さん。慶応ワグネルではヴァイオリン奏者ですが、プーレさんに師事したことがあるので、今回は師弟共演ということです。しかし前半を聴けば類まれな音楽の才能に恵まれた若者だということが直ぐに分かります。

さて、その後半のお目当てのブラームスですが、師弟の信頼関係はもちろんのことオーケストラの素晴らしさと相まって、プーレさんは気合と集中力全開の演奏でした。元々大きな音でゴリゴリと弾かれないのは師のシェリング譲りだと思いますが、音のニュアンスの豊富さと粋な味わいは絶対に他の誰にも真似ができません。それが指揮者とオケにある時は寄り添い、ある時は思い切りよく自在に弾き切り、正に千両役者。国宝級だと思う所以です。ご年齢がもう81歳だなんて一体誰が信じられるでしょう!

素晴らしい演奏会でした。プロのオケでもそうそう出会えない感動を与えてもらいました。音楽は素晴らしい!そして実に深い!

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2019年8月 4日 (日)

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調Op.26 名盤

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マックス・ブルッフはケルン生まれのドイツの作曲家で、ブラームスより5歳年下です。早くから才能を示して、ヴァイオリン協奏曲第1番は特に人気が有り頻繁に演奏されました。もっとも、この作品はブルッフが28歳の年に初演されて好評でしたが、それでも満足出来ずにヨーゼフ・ヨアヒムに助言を求めて二年後に改定版を発表しました。そのかいあってヨアヒムが独奏した演奏会は大成功に終わりました。

ブルッフの曲は魅力的な旋律を持つことが特徴で、作品をとても親しみやすいものにしています。「旋律は音楽の魂である」「旋律を歌うのに不向きなピアノにはさほど興味を持てない」という発言もしていたそうです。彼はロマン派の中でも古典的な志向が強かったので、メンデルスゾーンやシューマン、ブラームスには非常に敬意を払い、反対にリストやワーグナーには敵対心を持ちました。
ひところはかなりの人気を博していましたが、ブラームスが交響曲第一番でセンセーショナルな成功を収めてからは、その陰に隠れてしまい、後年はごく少数の作品を除いてすっかり忘れ去られました。いつまでもヴァイオリン協奏曲第一番が最も知られていることにも不満を感じていたようです。

さて、そのヴァイオリン協奏曲第一番は現在でもよく取り上げられますし、人によっては古今のヴァイオリン協奏曲の五指に数えるかもしれません。僕も大好きですが、ブラームス、ベートーヴェン、シベリウス、チャイコフスキー、メンデルスゾーン・・・と自分の五指からは残念ながら漏れてしまいそうです。しかしブルッフの特徴である美しい旋律を凄く楽しめますし、その一方で胸が高まるような高揚感も持っています。第二楽章は単に美しいだけでなく、自然や神への祈りが深く感じられて感動的ですし、第三楽章はブラームスのヴァイオリン協奏曲の終楽章にも匹敵する躍動感が最高です。確かに時代の波にも消し去られなかっただけある名曲です。

なお、ブルッフには現在ではほとんど演奏されないヴァイオリン協奏曲第二番と第三番がありますが、幻想曲風な第二番、管弦楽がシンフォニックな第三番とも一聴に値するものの、第一番を超えたとはお世辞にも言えません。むしろヴァイオリン協奏曲スタイルの「スコットランド幻想曲」の方がずっと美しい名曲です。

それではCD愛聴盤をご紹介します。

51hffygjmrl_1_20190728222201 クリスティアン・フェラス独奏、ワルター・ジェスキント指揮フィルハーモニア管(1958年録音/EMI盤) フェラスが意外に表現意欲旺盛に、かつロマンティックに弾いているのに驚きます。気迫もかなり感じられます。ところがEMIの録音がステレオながら古く感じられてがっかりです。フォルテ部分もリミッターをかけたかのように盛り上がらず、拍子抜けをしてしまいます。

81uf1ctim3l__sl1500_ ヤッシャ・ハイフェッツ独奏、サー・マルコム・サージェント指揮新ロンドン響(1962年録音/RCA盤) ハイフェッツとしては最後期の録音で、かつての魔人的な凄みこそ失われたものの、テクニックと音色の冴えはまだまだ衰えません。それどころかどんなに速い部分でも音符の一つ一つに意味が有ります。第二楽章も颯爽としている割に味が有ります。しかし白眉はやはり第3楽章で、疾風のごとく駆け抜ける演奏の切れ味は凡百の演奏家の追随を許しません。この曲の演奏として必ずしも一番好きということでも無いのですが、絶対に外せない名演というところです。

03_1103_01 ユーディ・メニューイン独奏、サー・エードリアン・ボールト指揮ロンドン響(1971年録音/EMI盤) メニューインはこの曲を最低3回は録音していて最後の録音となります。第1楽章など良く歌わせますが、技術の衰えが酷く耳を覆います。ところが第2楽章に入ると味わいが深まって思わず聴き惚れます。続く第3楽章も技術の衰え何のそのと堂々と弾かれるのですっかりこの人のペースにハマってしまいます。ボールトの指揮もメニューインを引き立てていて素晴らしいです。

51oltnnhi5l チョン・キョンファ独奏、ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィル(1972年録音/DECCA盤) 若きキョンファのシベリウスと並ぶ名ディスクは長く自分のリファレンスとして君臨しています。余計な甘さ、脂肪分が無く引締まった音の美しさ、切れの良い技巧とリズムが最高です。第二楽章のしみじみとした味わいと祈りの気分も素晴らしいです。ロイヤル・フィルは往々にして音の薄さを感じさせますが、この演奏では全くそんなことが無く、非常に立派で厚みが有る音を聴かせています。これはケンペの実力でしょう。

51s5mzw9dql アルテュール・グリュミオー独奏、ハインツ・ワルベルク指揮ニュー・フィルハーモニア管(1973年録音/フィリップス盤) グリュミオーは美音でロマンティックに歌わせますが、決して粘着質にベタベタとなったりはしません。あくまでさらりと爽やかな印象を与えるのが、この曲には向いています。この人はライブ録音では意外と音程などに怪しい部分が見受けられますが、このセッション録音では完璧です。ワルベルクの指揮も素晴らしく充実して聴きごたえがあります。

91ca63d7s3l__sx522_ レオニード・コーガン独奏、ロリン・マゼール指揮ベルリン放送響(1974年録音/DENON盤) 1960年頃までのコーガンは凄まじいまでの切れ味が凄かったですが、70年代ともなると凄みがだいぶ失われました。しかしこの人はロマンティックに走るわけではなくヴィルトゥオーゾのスタイルを変えなかった為に、その魅力も失われて来たのはやむを得ません。この録音でも第二楽章の祈りが弱く感じられるなどのマイナスが有りながら、それを終楽章で挽回できないというのが残念です。

41zvv7wej4l サルヴァトーレ・アッカルド独奏、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管(1977年録音/フィリップス盤) パガニーニの印象の強いアッカルドですが、案外とドイツ物を録音しています。速いパッセージではいかにもヴィルトゥオーゾ的に技巧をひけらかしますが、緩徐部分ではロマンティックに歌い上げます。独奏の音色は明るく、ほの暗い情緒感はさほど望めないところをオーケストラのいぶし銀の音がしっとりとバランス良くカヴァーしています。また、このディスクの大きなメリットは第2番、第3番、スコットランド幻想曲が全て収められていることです。

51swsllgv2l アンネ=ゾフィー・ムター独奏、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) ムターのデビュー時の録音です。僅か16歳でこれほど高度な演奏をするのには驚嘆します。ただし常に大きなヴィヴラートを利かせたグラマラスな弾き方がこの曲として相応しいかどうかは聴き手の好み次第です。カラヤンとベルリン・フィルのグラマラスな演奏も同様です。どんなにシンフォニックで立派でもこういうヘビー級で爽やかさに欠けるこの曲の演奏というのは自分の好みからは全く外れてしまいます。

41f2mc3gbel チョン・キョンファ独奏、クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1990年録音/EMI盤) キョンファ円熟期の再録音です。技巧的にさほど衰えは感じられませんが、若いころの鋭い切れ味は減少しました。その分ロマンティックさが増しました。テンシュテットの指揮も同様でスケールも大きいですが、終楽章ではややもたつきにも感じられます。EMIの録音の影響もあり、ロンドン・フィルの音がモノトーンっぽいのは残念です。個人的にはキョンファであればケンペとの旧録音がずっと好きです。

81pczsd46sl__sl1410_ マキシム・ヴェンゲーロフ独奏、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管(1993年録音/TELDEC盤) 若きヴェンゲーロフの録音ですが、当時の実力のほどが充分に伺えます。美しい音と高いテクニックで余裕をもって弾き切っています。ロマンティシズムも兼ね備えていますが、くどくならない程度に上手く歌っています。半面、終楽章での切れの良さも素晴らしいです。マズアとゲヴァントハウスはここでも厚みのある音で独奏を堂々と支えていて、アッカルド盤での演奏に負けません。

41chx8vajel 諏訪内晶子独奏、サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズ(1996年録音/フィリップスン) 諏訪内さんのデビューCDでしたが、高い技術で危なげなく弾き切っています。やや細身に感じられる音色も奇麗です。端正な歌いまわしは清潔感に溢れます。但しここまで真面目に弾かれると人によっては面白みに欠ける印象を受けるかもしれません。しかしそのクールさがこの人の魅力です。オケは元々室内合奏規模ですが、ここではメンバーを増強しているようで、響きもそこそこ厚く鳴っていて、問題ありません。

51kuoh9xyl 五嶋みどり独奏、マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィル(年録音/SONY盤) これはライブでの録音です。五嶋みどりは流石というか、ライブとは思えないぐらい高次元の完成度です。ただ逆にスリリングさを生み出すほどに追い込んでいる印象は受けません。これは贅沢な不満です。ベルリン・フィルの音は立派この上ないですが、この曲には厚く重すぎて余り向いていないように思います。それにヤンソンスの指揮と独奏に所々隙間を感じるのは自分だけでしょうか?とは言え一般的には高い評価を受けるであろう演奏です。

ということで、マイ・フェイヴァリット盤を上げるとすれば、迷うことなくチョン・キョンファ/ケンペ盤に決まりです。他にハイフェッツ盤は折に触れて聴きたいと思います。

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2019年7月15日 (月)

プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」 東京文化会館/新国立劇場共同制作”オペラ夏の祭典2019-20”

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昨日は東京文化会館と新国立劇場の共同制作によるプッチーニの歌劇「トゥーランドット」を観に上野の東京文化会館へ行ってきました。
この演目はびわ湖ホールと札幌でも公演される予定らしく、日本のオペラ公演の今後の一つの興行の在り方を示す画期的なプロジェクトだと思います。

総合プロデュースは指揮者の大野和士ですが、演出、美術、衣装にスペインのバルセロナ出身のスタッフが担当し、オーケストラはバルセロナ交響楽団です。
最初はどうしてわざわざスペインからオケを呼ぶ必要が有るのか疑問を持ちましたが、今日の演奏を聴いてみて納得が出来ました。大野が監督をしているこのオーケストがこの演目に欠かせなかったからです。それほど素晴らしかったです。音の重心が低く、ずしりとした重み、厚みが有り、非常に骨太でひ弱さが有りません。繊細な美しさも充分持っていますが、それが弱さに繋がらずに、あくまで逞しさを感じさせます。実はそれは新国立劇場に入る幾つかの在京オケにいつも感じてきた弱点だからなのです。

それにしても大野和士の指揮は流石でした。いくら主兵のオケといえども、ダイナミックさと繊細さのバランスが絶妙で、かつ、このオペラの近現代的な斬新な音を普段CDで聴いている以上に素晴らしく再現していました。

声楽陣も主要役柄は皆素晴らしく、最も気に入ったのはカラフのイリンカイでした。充分な声量と豊かな情感を備えた素晴らしいテナーです。「誰も寝てはならぬ」は感動的でした。
タイトルロールのテオリンも良かったですね。この大変な役を聴きごたえ充分で不満はありません。リューの中村恵理さんもとても良かったです。第一幕のアリアでは正直それほどでもありませんでしたが、三幕の自刃のアリアでは情感が籠りに籠り大粒の涙を誘いました。
新国立劇場、藤原歌劇団、びわ湖ホール合同の合唱団はとても力強く厚みが有り、オーケストラと一体になりこのオペラの一つの醍醐味をたっぷりと味合わせてくれました。少年合唱はとても上手かったのですが、何というか合唱コンクールのように聞こえたのがちょっとでした。例の「やーまのおてらの鐘がなる~」(笑)のところは同じ綺麗でももっと神秘的な雰囲気が欲しかったです。

最後に演出については、ことさら前衛的でもなく、オーソドックスさと現代的な感覚とのバランスが良かったように思います。演出には保守的な自分でも充分楽しめたのは良かったです。

このような質の高いプロジェクトならば、目の玉の飛び出る高額チケットの海外歌劇場の引っ越し公演よりもむしろ大歓迎です。

 

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2019年7月 8日 (月)

プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」全曲 名盤 ~誰も寝てはならぬ~

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イタリアオペラでヴェルディとプッチーニのどちらが好きかと聞かれても、ちょっと決められないというのが正直なところです。しかし旋律の美しさに心を奪われるのは、やはりプッチーニです。
プッチーニのオペラは所謂「お涙頂戴」的な作品が多いので、当時の聴衆に大変人気が有りました。けれども円熟期のオーケストレーションに関しては近現代の和声や響きを大いに感じます。忘れてならないのは「トスカ」以降の作品はすべて20世紀に入ってからのものだということです。そしてその最後の作品こそが歌劇「トゥーランドット」です。

「トゥーランドット」は、18世紀初めにラ・クロワが出版した『千一日物語』の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に登場する姫で、その物語を基にイタリアのゴッツィが戯曲を書き、その題材から生まれた最も有名な作品がプッチーニの「トゥーランドット」です。

1926年にミラノ・スカラ座でアルトゥーロ・トスカニーニの指揮により初演されましたが、そこまでには多くのアクシデントがありました。
台本固めに紆余曲折したために作曲もかなり滞っていましたが、ようやくオペラの完成が近づき、ミラノ・スカラ座でトスカニーニの指揮により初演されることに決まりました。ところがプッチーニは激しい喉の痛みと咳で、医者に癌と診断されます。手術が施されましたが、突然の心臓発作で息を引き取ってしまいます。

作品は第三幕後半の召使リューが自刃する場面までで未完成に終わりました。そこで遺されたピアノスケッチをプッチーニの息子から依頼された作曲家アルファーノが補作を行って総譜を完成させます。ところがトスカニーニはそれに不満で、補作の約400小節のうち100小節以上をカットしてしまいます。アルファーノは激怒しますが、結局は押し切られて削除されました。

こうして向かえた初演で、トスカニーニはリューの自刃の場面で突然指揮を止め、聴衆に向かって「マエストロはここまでで筆を絶ちました」と言うと指揮台を降ります。翌2日目からは補作部分も演奏されました。
この初演以降、トスカニーニによるカットが入った版が広く使われて、アルファーノの初稿版は、1982年まで演奏されることが有りませんでした。
アルファーノの補作部分にはプッチーニの霊感が感じられないという指摘をしばしば目にします。確かに事実だと思いますが、それが果たしてアルファーノの責任なのか、あるいは既に力を使い切ったプッチーニのスケッチそのものにあるのかは分かりません。それに、そうだとしても、リューの自刃の場面で話が尻切れトンボに終わるよりは、やはり結末までたどり着けたほうが良いと思うのです。

一方で、作曲家ベリオが指揮者シャイーの委嘱により、最後をプッチーニのピアノ譜の原作通りピアニッシモで終わらせる補作版を書いています。当然管弦楽の響きにアルファーノよりも新しさが有るのと、余韻を持って幕を閉じるのは凄く良いと思います。

いずれにしても「トゥーランドット」には単に中国の古謡や民謡が使われているだけでなく、多種多様な管楽器や打楽器が用いられ、斬新な調性や和音による響きが満載されています。そこからはドビュッシー、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、オルフなど様々な“新しい音”を容易に感じ取れることと思います。

<主要登場人物>
トゥーランドット姫(ソプラノ)
皇帝アルトゥーム(トゥーランドットの父)(テノール)
ティムール(ダッタン国を追われた元国王)(バス)
王子カラフ(ティムールの息子で身分と名前を隠している)(テノール)
リュー(ティムールと王子に仕える若い娘の召使)(ソプラノ)
ピン、ポン、パン(皇帝に仕える三大臣)

<物語>
舞台:古代の中国北京
第1幕 宮殿(紫禁城)前の広場で役人が群衆に向かい「トゥーランドット姫に求婚する者は、姫の出題する3つの謎を解かなければならない。もし解けない場合には、その男は斬首される」と宣言する。
謎解きに失敗したペルシアの王子が処刑されるのを、戦に敗れて国を追われ放浪中の身であるダッタン国の王子カラフが見ている。そこにトゥーランドット姫が現れるが、カラフは一目見てその美しさの虜となる。ティムール、リューが思いとどまるよう説得するが、カラフは自分が新たな求婚者となることを宣言してしまう。

第2幕 群衆が万歳を叫ぶ中、皇帝アルトウームとカラフの前にトゥーランドット姫が冷やかな表情で出てくる。 姫は、どうして自分が謎を出し、求婚を断ってきたのかの訳を述べる。「かつてロウ・リン姫は、異国の男性に騙され、絶望のうちに死んだ。自分は彼女に成り代わり世の全ての男性に復讐を果たす」と。
そしてカラフの謎解きが始まるが、彼は与えられた三つの謎を全て解いてしまう。
謎を解かれたトゥーランドット姫は皇帝に「私は結婚などしたくない」と哀願するが、皇帝は約束を守るよう娘に翻意を促す。そこでカラフは姫に「それでは私もたった一つ謎を出そう。明日の夜明けまでに私の名が分かれば、私は死んでもよい。」と提案をする。

第3幕 街にトゥーランドット姫の命令が下る。「今夜は誰も寝てはならぬ。男の名を解き明かすことができなかったら住民は皆死刑とする」と。しかしカラフは「姫も眠れぬ一夜を過ごしていることだろう。夜明けには私は勝利するだろう」と高らかに歌う。
ティムールとリューが、求婚者の名前を知る者として捕えられ連れてこられる。名前を白状するようにリューは拷問を受けるが、彼女は口を閉ざして、衛兵の剣を奪い取り自刃する。全員が驚き嘆いてその場を立ち去り、トゥーランドット姫とカラフだけが残る。
カラフは姫に熱く口づけをする。姫はリューの献身を目の当たりにしてからは冷たい心に変化が生れ、彼を愛するようになる。そこで王子は自分の名がカラフであると教える。姫は「彼の名前がわかった」と人々を呼び戻す。
トゥーランドットとカラフが皇帝の前に進み出て、姫が「彼の名前は『愛』です!」と宣言する。群衆は愛の勝利を讃えて「皇帝万歳!」と高らかに歌い幕となる。

それではCD愛聴盤をご紹介します。オペラの核心的な役柄はトゥーランドット、カラフ、リューの三人です。これが主要三役で、その他は二の次と言っては語弊がありますが、それよりも指揮と管弦楽の出来栄えが極めて重要だと思います。

41v0rr4vkslアルベルト・エレーデ指揮サンタ・チェチーリア音楽院管(1955年録音/DECCA盤) この盤の売りは、やはりカラフを歌うマリオ・デル・モナコです。これほど男性的で圧倒的に力強いカラフは他に居ません。半面余りに男臭さが過ぎて姫に同情するような優しさ、弱さが薄く感じられるかもしれません。トゥーランドットのボルク、リューのテバルディも好演です。エレーデの指揮とオケの音が美しくイタリア的カンタービレで味のある演奏が楽しめます。録音年の割に案外と明瞭なステレオ録音なのはさすがDECCAです。

51hppb4x9l トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座歌劇場(1957年録音/EMI盤) 名匠セラフィンがスカラ座との録音を残しているのは嬉しいのですが、モノラルなのにはがっかりします。二年前のDECCA録音がステレオで遥に音が良いのですから。カラスのトゥーランドットは極めて表情豊かですが、いささかやり過ぎに感じます。フェルナンディのカラフも表情豊かですし中々に検討しています。リューのシュワルツコップは意外の配役ながら流石の説得力で胸を打ちます。とにかくセラフィンの指揮とスカラ座が素晴らしいだけに残念な録音です。

81b05jc0mxl__sl1500_ エーリッヒ・ラインスドルフ指揮ローマ歌劇場(1959年録音/RCA盤) この盤の売りはトゥーランドットのニルソンとカラフのビョルリンク、リューのテバルディと主要三役が充実している点です。録音もステレオです。但しせっかく名門ローマ歌劇場が使われているのにラインスドルフの指揮がイタリア的な輝かしいカンタービレに不足するのはやや残念です。

51hscw1knl フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ指揮ローマ歌劇場(1965年録音/EMI盤) 主要三役の総合点ではこの盤を最も好みます。トゥーランドットのニルソンは更に凄みを増して最高ですし、カラフのコレッリも輝かしい声質が大きな魅力です。リューのスコットもまた素晴らしいです。そのうえモリナーリ=プラデッリがローマの名門歌劇場オケと合唱団から引き出す、まるでライヴ演奏のような迫真性のある輝かしい音が胸に迫り来ます。録音の鮮度こそ幾らか落ちてはいますが、全体のバランスが良いので聴き易く十分楽しめます。

71jcakeoh6l__sl1400_ ズービン・メータ指揮ロンドン・フィル(1972年録音/DECCA盤) この盤の売りはカラフのパヴァロッティでしょう。「誰も寝てはならぬ」もハマり歌唱です。ただし、声質が優しいので、少々無鉄砲なところのある情熱的なカラフのキャラクターとしては幾らか物足りなさを感じます。トゥーランドットのサザーランド、リューのカバリエは中々の健闘です。メータは昔からこの作品を得意にしていますが、ロンドン・フィルから非イタリア的で近現代的な音を引き出すアプローチで成功していると思います。

51646dpjpnl リッカルド・シャイー指揮サンフランシスコ歌劇場(1977年録音/Gala盤) これは正規盤ではありませんが、複数の海賊レーベルから出ているライブ録音です。録音はところどころに幾らか不安定なところは有りますが、かなり優れています。若きシャイーのエネルギーに満ち溢れた指揮が大きな魅力です。市中のシーンなど「カルミナブラーナ」を彷彿させる速いテンポで切れが良く興奮を誘います。ただしトゥーランドットのカバリエは、冷徹さや凄みには欠けます。カラフのパヴァロッティはメータ盤と同じく一長一短です。

6165dllnqhl ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル(1981年録音/グラモフォン盤) いかにもカラヤンらしいオーケストラと合唱が主役のユニークな演奏です。ウィーン・フィルの輝かしい音響と柔らかな美しさの両立に圧倒されます。といって歌手にも手を抜くことは一切無く、むしろカラヤンの音楽にピタリとはまる起用に感心します。リッチャレッリのトゥーランドットは意外でしたが、女性的なイメージが強く感じられてこれはこれで良いです。ドミンゴのカラフは強烈さこそナンバーワンの座は譲るかもしれませんが、充分に力強く、かつ感情がこもり素晴らしいです。

71o4ilqtehl__sl1025_ ロリン・マゼール指揮ウイーン国立歌劇場(1983年録音/SONY盤) これはウイーン歌劇場でのライブ録音であり、生舞台の臨場感が味わえます。マゼールの指揮は管弦楽の扱いが最も20世紀音楽を強く意識させられる演奏であり、それでいてゆったりとした構えで情感が豊かなのがユニークです。さりとて歌手陣も非常に素晴らしく、エヴァ・マルトンのトゥーランドットはニルソン張りに凄みが有り、かつもう少し女性を感じさせます。カレーラスのカラフも感情豊かな人間味の溢れる王子で、有名なアリアなども強く心に訴えかけます。リッチャレッリのリューも好演です。物理的な音響としてではなく、感動が胸に迫る点では古今随一の演奏だと思います。

べリオ補作版(映像によるDVD)
41ad97423al ヴァレリー・ゲルギエフ指揮ウイーン・フィル(2002年収録/TDK盤) ザルツブルグ音楽祭でのライブ収録ですが、はっきり言って現代的な舞台演出が余り好きではないので、これならむしろCDの音だけを楽しみたいです。もし映像であればメトロポリタンで収録されたゼッフィレッリ演出の方が好きです。

これらの中で特に愛聴するのは、モリナーリ=プラデッリ指揮ローマ歌劇場盤、カラヤン指揮ウイーン・フィル盤、マゼール指揮ウイーン歌劇場盤、この三つです。
残念なのはトスカニーニによる録音が無いことです。晩年にあれほど多くの録音を残したマエストロが残さなかったのは、やはり自らが関わり合いながらも未完に終わったということで録音する気になれなかったということなのでしょうか。

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2019年6月18日 (火)

日本フィル横浜定期演奏会 ~日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念公演~ 

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先週土曜は横浜のみなとみらいホールで日本フィルの定期演奏会を聴きました。というのも愛してやまないシベリウスのヴァイオリン協奏曲の独奏者がペッカ・クーシストだったからです。

彼が19歳で母国フィンランドのシベリウスコンクールの覇者となり、直後に録音されたCDは愛聴盤で、現在でもこれが最高だと思っています。その記事は、シベリウス ヴァイオリン協奏曲 名盤 から。

しかし、その彼の生演奏が聴けるとは思いませんでした。

これは日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念公演なので、指揮者もフィンランドのピエタリ・インキネンでした。

「フィンランディア」に続いて演奏された協奏曲では、クーシストは黒いマントのような服装で現れて案の定個性的でした。
しかしそのヴァイオリンはCDでの演奏を彷彿させる、派手さや甘さを排除して北欧の澄んだ空気のように極めて透徹した完璧なシベリウスです。
オーケストラも歴史的にシベリウスに定評のある日フィルですが、この日も美しく澄んだ音でシベリウスの世界を再現してくれていました。

盛大な拍手にこたえてのアンコールは、この人らしくフィンランドの200年前のフォークダンス曲です。フィドルらしさを出して、しかしクラシカルでもありとてもユニークでした。
アンコール2曲目はバッハの無伴奏パルティータから「クーラント」です。静寂感を一杯に漂わせた独自の表現で聴衆を魅了させました。

この日のメインはシベリウスの第5番で、これも良い演奏でしたね。流石に金管はわずかに危ないところが有りましたが、その分弦楽と木管のハーモニーが綺麗で楽しみました。開始して間もなく第二ヴァイオリンの一番後ろでクーシストが弾いているのに気づきました。一人で譜めくりしながら、シベリウスを楽しんで弾いているのが遠目にも良く分かります。

この人やはり良いなあ。

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