2022年10月 1日 (土)

ワーグナー 歌劇「タンホイザー」全曲 名盤 ~タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦~

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「さまよえるオランダ人」に続くワーグナーの5作目となるオペラは「タンホイザー」です。正式には「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」という長いタイトルを持ちます。 

当初、ワーグナーは「ヴェーヌスベルク」というタイトルを付けましたが、知人の医師のアドヴァイスで改題します。というのも、ヴェーヌスベルクとは医学用語で「恥丘」だったのですね。確かに「ヴィーナスの丘」と言いますものね(汗)。 

「タンホイザー」は、ワーグナー作品で最もポピュラーかもしれません。”吟遊詩人”でも12世紀から13世紀のドイツでミンネジンガーと呼ばれる詩と音楽に優れた騎士を主人公とした話です。台本はワーグナー自身の作ですが、二つの中世伝説をワーグナーが繋ぎ合わせました。 

その一つは13世紀に実在した詩人騎士タンホイザーに関する伝説です。彼は性の快楽を知ろうと愛欲の女神ヴェーヌスの洞窟に1年ほど籠もりますが、悔い改めようとローマ教皇に懺悔します。しかし結局は再びヴェーヌスの洞窟に帰ってしまうという話です。 

もう一つは同じ13世紀にテューリンゲン地方の城で行われたとされる、負けた者は命を落とす(怖い!)という歌合戦に関する伝説です。歌合戦に参加したハインリヒは敗れそうになったことから、魔術師の力で勝利を得ようとしますが、それを見破られてしまい敗れるという話です。 

実は、このタンホイザーとハインリッヒは同じ人物だったとの説があり、それにワーグナーが創作のヒントを得たとも言われます。 

<版について>
「タンホイザー」の楽譜には様々な版が有るので、少し追ってみたいと思います。 

ドレスデン版
1845年にドレスデンの宮廷歌劇場(現在のゼンパー・オーパー)でワーグナーの指揮、演出で初演されますが、成功とは言えませんでした。第3幕にヴェーヌスは再び登場せず、エリーザベトの遺体を運ぶ葬列も出て来ず、それを照明や鐘の音で象徴的に表現した為に解り難く、聴衆に理解されなかったようです。
その為、ワーグナーは様々な変更を加えます。特に重要なのは、第3幕最終場にヴェーヌスが再登場するようにしたことです。それらの修正を行った楽譜は、1860年にドレスデンのミュラー社から発行され、その楽譜とその後継譜が現在「ドレスデン版」と呼ばれます。 

パリ版
その後、ワーグナーはナポレオン3世から「タンホイザー」をパリ・オペラ座で上演するように命令されます。そこで台本をフランス語に翻訳し、音楽も大幅に改訂します。第1幕の初めの場面では、序曲から切れ目無しでバッカナールと呼ばれるパリで流行りのバレエが続くようにしました。その他にも、全幕のオーケストラ部分に変更を加え、第2幕「歌合戦」の構成にも手を加えました。これがパリ版です。但し1861年に行われたパリでの初演時には、パート譜にカットや簡略化などが多く施されたので、「パリ版」とは異なるものだったそうです。 

ウィーン版
パリ版で施した音楽の改訂を生かそうと、ワーグナーはそれを再びドイツ語版に戻した上で、ミュンヘンでハンス・フォン・ビューローの指揮により演奏されます。そして1875年にはハンス・リヒター指揮によりウィーン宮廷歌劇場で演奏されます。この時には、序曲が終わって、引き続いてバッカナールが開始される形に書き変えました。他にも些細な変更は行われています。従って、「パリ版」と「ウィーン版」には違いが有ります。 

パリ版のスコアは、「タンホイザー」の改訂版としてワーグナーにより準備され、このウィーン上演よりも前にベルリンのフュルストナー社へ送られていました。「パリ版」とは、このフュルストナー社による改訂版の楽譜とその後継譜を指します。ところが出版社が発行をワーグナーの死後まで先延ばしにしたため、「パリ版」にはウィーン上演における修正が反映されていません。その為に、新全集版では、1875年のウィーン版を最終稿としています。 

もっとも、ワーグナーはウィーン版でも満足していなかったらしく、愛妻コージマの日記によれば、ワーグナーは死の前にも「私はまだ、この世に「タンホイザー」という借りを残したままだ」と語り、更に手を加える意思が有ったようです。 

このようなことから、演奏者がどの版で上演するかはまちまちで、どれかの版を単純に選択するだけでなく、部分的に混合されることも珍しくありません。 

しかし何はともあれ、この「タンホイザー」と、次の「ローエングリン」は、それまでの「歌劇」から新たな「楽劇」へと移りゆく過渡期における重要な作品ですね。 

<登場人物>
タンホイザー:ヴァルトブルク城の騎士(テノール)

ヴェーヌス:ヴェーヌスベルクに住む快楽の女神(メゾ・ソプラノ)

ヘルマン1世:テューリンゲンの領主(バス)

エリーザベト:ヘルマン1世の姪、タンホイザーの恋人(ソプラノ)

ヴォルフラム:ヴァルトブルク城の騎士でタンホイザーの親友(バリトン)他 

<あらすじ>
1幕 
ヴェーヌスベルクの洞窟

騎士タンホイザーはヴェーヌスベルクの洞窟に籠って、快楽の女神ヴェーヌスと愛を交わしている。けれども快楽に飽きてきたタンホイザーは、人間の世界へ戻りたがっている。それをヴェーヌスは「裏切者!」と怒り、タンホイザーが帰ることを許さない。しかしタンホイザーが"聖母マリア"に祈りを捧げると、ヴェーヌスの姿は消え去り、ヴェーヌスベルクの世界も無くなる。 

ヴァルトブルク城近くの谷間

タンホイザーは、美しい谷間に居る。人間の世界に戻って来られたことに感謝し、神に祈りを捧げる。
そこに領主ヘルマンの一行が通りかかり、皆は長い間姿を消していたタンホイザーを見て喜ぶ。しかし、罪の意識が深いタンホイザーは、それを直ぐに受け入れられない。しかし親友のヴォルフラムが「エリーザベトのもとに帰れ!」と叫ぶと、タンホイザーはかつての恋人を思い出し、城に戻ることを決意する。

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ヴァルトブルク城「歌の広間」

エリーザベトが、「私の胸は高まっています。」「あの人はもうここから離れません!」と、タンホイザーへの思いを歌い上げる。
そこにタンホイザーが現れる。エリーザベトが「今までどこにいたの?」と尋ねても、タンホイザーは答えを胡麻化そうとするが、二人は再会した歓びを歌い上げる。

やがて騎士や貴族たちが大行進曲で登場する。続いてヘルマンが「歌合戦」の開催を宣言し、テーマは「愛」とされる。
先ずヴォルフラムが「愛の純粋さ」を歌い上げる。タンホイザーは「官能的な愛」を訴え、ヴァルターは「徳」を、ビテロルフは「名誉」を訴える。ところがタンホイザーがヴェーヌスベルクの洞窟にいたことが分るとヘルマンは巡礼を命じる。冷静さを失ったタンホイザーは「ヴェーヌス讃歌」を歌い上げてしまう。
皆は彼を非難して「追放処分」を主張するが、エリーザベトが「タンホイザーの償いのチャンス」を懇願する。タンホイザーは後悔の念に駆られ、ヘルマンはタンホイザーに「ローマに巡礼し、償いをするように」と命じる。 

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ヴァルトブルク城近くの谷間

聖母マリア像の前で祈りを捧げているエリーザベト。彼女を密かに愛しているヴォルフラムが見守り「夕星の歌」を歌う。

やがて巡礼を終えた人々の列が通るが、タンホイザーの姿は無い。エリーザベトは「マリアよ、願いを聞いてください!」「私は死んでもかまいません!」と祈りを捧げる。 

そこに、ローマで赦しを得られなかったタンホイザーが帰って来る。タンホイザーははるばるローマへ行って、救われなかった話を歌う(「ローマ語り」)。そして、絶望してヴォルフラムにヴェーヌスベルクへの道を尋ねる。ヴォルフラムは引き留めるが、タンホイザーはやけになり、ついに「ヴェーヌス」の名を叫ぶ。すると突然明るくなり、ヴェーヌスが現れる。

ヴェーヌスの誘いにのってタンホイザーは旅立とうとするが、ヴォルフラムがそれを止め、エリーザベトの名を叫ぶと、タンホイザーは我に返る。するとヴェーヌスの姿も消えて無くなる。 

やがて、タンホイザーの為に命を捧げたエリーザベトの亡骸を運ぶ葬列が近づいて来る。タンホイザーは、その棺桶に崩れて息絶える。そこへローマからの行列が到着し、特赦が下りたことを知らせて幕が下りる。 

それでは所有するCDをご紹介したいと思います。 

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アンドレ・クリュイタンス指揮バイロイト祝祭管/合唱団(1955年録音/オルフェオ盤)
バイロイトでも活躍したクリュイタンスのライブで、基本はウィーン版での上演です。バイエルン放送協会のモノラル録音ですが、音は同じ年のクナッパーツブッシュの「オランダ人」とどっこいという印象です。歌手はかなり明瞭に録られていますが、管弦楽はリマスターの影響か高音域に強調感が有り、中低音域が薄く感じられるのは残念です。それでもバッカナールの躍動感と熱狂ぶりは素晴らしく、クリュイタンス得意の「ダフニスとクロエ」を想わせます。ヴィルヘルム・ピッツ指揮の合唱も感動的で素晴らしいです。ヴィントガッセンのタンホイザーは流石の素晴らしさで、Fディースカウのヴォルフラムもはまり役です。ブロウェンスティーンのエリーザベト、ヴィルヘルトのヴェ―ヌスも優れています。録音は古くても「タンホイザー」の魅力を一杯に味わえる名演の一つと言えます。    

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フランツ・コンヴィチュニー指揮ベルリン国立歌劇場管/合唱団(1960年録音/EMI盤)
EMI(西独エレクトローラ社)と東独エテルナの共同制作で録音されました。もちろんステレオ録音で、1950年代のライブ録音と比べれば音質は格段に優れます。ドレスデン版による演奏ですが、コンヴィチュニーの指揮は武骨で古武士のような佇まいで、それが妙に中世のドイツを感じさせてくれます。シュターツカペレ・ベルリンの響きはいかにも東独らしく暗く渋く、当時のゲヴァントハウス管のような男性的で豪快な音に唸らされます。ハンス・ホップのタンホイザー、Fディースカウのヴォルフラムは文句無しですし、グリュンマーのエリーザベト、フリックのヘルマン、シェヒのヴェ―ヌスも万全なうえに、ヴンダーリヒがヴァルターとして登場します。熱狂度においては各種のライブ盤に敵わないかもしれませんが、完成度とドイツ的な響きと味わいは傑出しています。 

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ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイロイト祝祭管/合唱団(1962年録音/フィリップス盤)
聖地バイロイトでのライブですが、フィリップスによるステレオ録音だけあって、明瞭さと臨場感のある優秀な音質なのが嬉しいです。管弦楽、合唱、歌手のバランスもベストです。サヴァリッシュは「タンホイザー」を得意としたようでかなりの舞台で指揮していますが、速いテンポでサクサクと進みながらも稚拙な印象は無く、少しも飽きさせません。その点、ベームのワーグナーと似ています。歌手では何と言っても円熟したヴィントガッセンのタンホイザーが最高です。アニア・シリアのエリーザベト、ヴェヒターのヴォルフラム、グラインドルのヘルマン、と充実した配役陣ですが、バンブリーのヴェ―ヌスもエキセントリックな雰囲気が良く出ています。ヴィルヘルム・ピッツ指揮の合唱はもちろん素晴らしいですが、行進曲ではサヴァリッシュの速いテンポに幾らかズレるのもライブらしくてご愛敬です。基本的にウィーン版により演奏されています。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場管/合唱団(1963年録音/グラモフォン盤)
ワーグナーのオペラを精力的に録音したカラヤンですが、セッション録音を唯一残さなかったのが「タンホイザー」です。ですので、このウィーン国立歌劇場でのライブ録音が残っているのは貴重です。オーストリア放送協会によるモノラル録音ですが、音質が良いのも嬉しいです。バイロイト、ドレスデンのドイツ勢と比べると、いかにもウィーンらしい音の艶と流麗な美しさが有るので、このオペラの一つの特徴をより楽しむことが出来るのですが、それはまたカラヤンの特徴でもあります。パリ版で演奏しているのもカラヤンらしいです。序曲から気合がみなぎっていて、トロンボーンで奏される主題の迫力には圧倒されます。バッカナール、行進曲なども熱く燃えていて興奮を誘います。それらと甘く柔らかい弦楽とのコントラストが何とも言えない魅力です。歌手に関して、バイラーのタンホイザーとブラウエンスタインのエリーザベトは悪くは無いですが、むしろヴェヒターのヴォルフラム、フリックのヘルマン、ルートヴィヒのヴェーヌスに貫禄を感じます。合唱は録音の影響なのか、幾らか弱く感じます。アンサンブルも甘いです。 

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オトマール・スイトナー指揮バイロイト祝祭管/合唱団(1964年録音/GOLDEN Melodram盤)
スイトナーもまた「タンホイザー」を得意としていた様ですが、正規録音は残されていません。ですので、この聖地でのライブ録音は貴重です。ウィーン版により演奏されています。モノラル録音で、歌手の声がピークで音割れしていますが、音質そのものは前年のカラヤン盤と遜色の無い良質のものなのが嬉しいです。管弦楽とのバランスも良いです。スイトナーはモーツァルトでは快速テンポを取ることが多いですが、ブルックナーなど後期ロマン派では逆にゆったりとした演奏が多い気がします。このタンホイザーもそのタイプの演奏です。ですが、第2幕後半などは中々に高揚します。歌手ではタンホイザーを歌うヴィントガッセンが、やはり素晴らしいです。リザネクのエリーザベトは上手いのですが、アクが強いのと声質が役のイメージに不向きに感じます。ヴェヒターのヴォルフラムはここでも文句なしです。ヴィルヘルム・ピッツ指揮の合唱の素晴らしさも相変らずです。 

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ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィル/ウィーン国立歌劇場合唱団(1970年録音/DECCA盤)
ショルティのワーグナー・オペラの中でも「指輪」と並んで人気の高い録音です。パリ版による最初の全曲盤でした。半世紀も前の録音にもかかわらず、DECCAがウィーン・フィルの美しい音を明瞭かつバランス良く、万全の録音を施していて素晴らしいです。タンホイザーのルネ・コロは美声が売りですが、反面、特に前半では力強さに欠ける印象を受けます。むしろローマ語りの絶望感の方がハマっています。デルネシュのエリーザベトは情感が籠り魅力的です。ルートヴィヒのヴェーヌスも流石の上手さです。合唱指揮にバイロイトからヴィルヘルム・ピッツを呼んだのも大正解です。力強さと美しさが絶妙の見事な合唱が感動的です。このように文句の付けようのない素晴らしい完成度のディスクですが、ショルティの指揮も含めて、他のバイロイトのライブのような手に汗握る劇場の興奮は薄いかもしれません。しかしこのディスク抜きで「タンホイザー」を語ることは出来ません。 

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ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管/合唱団(2001年録音/テルデック盤)
名門歌劇場に長く君臨するバレンボイムの録音も素晴らしいです。流石に40年前のコンヴィチュニー時代の古武士のような管弦楽の趣は薄れましたが、それでも旧西独の楽団の国際化した音色と比べれば、まだまだ古き良きドイツの暗い響きを感じます。基本はドレスデン版で、第1幕第2場のみパリ版が用いられています。歌手に関してはペーター・ザイフェルトのタンホイザーはまずまず及第点と言えますが、ヴァルトラウト・マイヤーの妖艶でいてグラマラスにならないヴェ―ヌスには役者負けした感が有ります。イーグレンのエリーザベト、ハンプソンのヴォルフラムは悪く無いですが、もう一つ魅力に欠けるようにも思います。しかし合唱も高水準ですし、やはりドイツの歴史あるオペラハウスの底力を感じます。総合点ではかなり上位に位置するであろう名盤だと思います。 

ということで、あくまでも個人の好みとお断りしたうえで第一に上げたいのは、最高のタンホイザーのヴィントガッセンの録音の中で、ライブでの傷は有りながらも生き生きした舞台の魅力をステレオ録音で味わえるサヴァリッシュ/バイロイト盤です。その他では、ショルティ/ウィーン・フィル盤は外せないでしょう。更には、コンヴィチュニーとバレンボイムという新旧ベルリン歌劇場盤に後ろ髪を引かれながらも、カラヤン/ウィーン歌劇場盤を取りたいです。やはりライブ盤に強く惹かれますね。

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2022年9月15日 (木)

神奈川チェンバーオーケストラ YouTube動画

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神奈川チェンバーオーケストラの設立記念コンサートの一部が、横浜市みどりアートパークのYouTubeチャンネルに公開されました。
モーツァルト:モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」K.165
こちらから ⇒ https://youtu.be/w23QYIs5SMk

 

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2022年9月10日 (土)

神奈川チェンバーオーケストラの設立記念コンサートが開催されました

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からはリアル活動の為にしばらく新規投稿もコメントのお返事も出来ずに申し訳ありませんでした(汗)。 

とにもかくにも、私が事務局長を務めている神奈川県の県央音楽家協会の演奏家メンバーを中心に有志が加わって結成された神奈川チェンバーオーケストラの第1回演奏会が、8月27日、横浜市みどりアートパークホールにおいて、好評のうちに終わりました。 

マエストロの本多優一氏からも「このオケには非常に伸びしろを感じた。これからが楽しみだ。」との感想を頂きました。素敵な歌唱を披露された北野綾子さん、ご来場頂いたお客様、ありがとうございました。 

次回の演奏会は2023年8月の予定です。

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2022年8月14日 (日)

神奈川チェンバー・オーケストラ 設立記念コンサートへのお誘い

お盆入り初日の昨日、関東地方は突然降って湧いた台風8号に襲われました。大井町で室内楽コンサートを開催する予定でしたが、やむなく延期せざるを得ませんでした。

今年もワーグナーの聖地バイロイトでは音楽祭が開かれています。バイエルン歌劇場には行ったことがあるのですが、バイロイトにはまだ詣でたことがありません。そこで、この夏は自宅で「おうちバイロイト」を楽しんでいます。今は「タンホイザー」の手持ちのCDを順に聴いていますが、何しろ長いので、聴いて記事にまとめるのも時間がかかります。この調子では音楽祭が終わるまでには「ローエングリン」までアップするのがやっとか(汗)。。。

ところで、8月27日(土)には私が事務局として運営している神奈川の音楽家協会のメンバーを中心に編成された新しいオーケストラ、”神奈川チェンバー・オーケストラ”の設立記念コンサートを予定しています。地元の神奈川県にはプロオーケストラが少なく、神奈川フィルハーモニー、東京交響楽団(団名は東京ですが登記上は川崎です)、横浜シンフォニエッタぐらいなので、稀少だと自負しています。

メンバーも優秀な奏者が集まっていますので、決して侮れませんよ。第15回ドナウ国際指揮者コンクール第二位を受賞した本多優一氏を指揮者に迎えて開催する第1回コンサートに、県内の方、ご興味のある方、ぜひ聴きにいらしてください。詳しくは下記のホームページをご参照願います。
また、お問い合わせ、お申込みのメールはどうぞこちらまで
rsa54219@nifty.com

神奈川チェンバー・オーケストラ ホームページ

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2022年8月 4日 (木)

ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」全曲 名盤

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1842
年に完成して、1843年に初演されたワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」(ドイツ語: Der fliegende Holländer)は、前作の「リエンツィ」から格段に進歩を遂げて、自身のオペラを真に確立した作品だと言えます。ですので、聖地のバイロイト音楽祭でも通常「オランダ人」以降の作品をプログラムに取り上げています。 

台本は、オランダ船の船長が喜望峰の近くで嵐に遭い、神を罵ったことで神の怒りにふれ、神罰としてこの世とあの世の間をさまよい続ける幽霊船となった伝説を元にした、ハインリヒ・ハイネ作の「フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記」からワーグナーが着想を得て書き上げました。 

作品はワーグナーの元々の構想では全1幕形式でしたが、ドレスデンでの初演の際に、当時の舞台転換の技術的な理由で3幕にして、2幕と3幕には短い序奏が加筆されました。現在ではバイロイトを初めとして、ほとんどの歌劇場が1幕の形式で上演を行っています。個人的には、途中でトイレ休憩ぐらいは欲しいので3幕版が有難いと思うのですが。。。 

なお、楽譜には2つの稿があり、第1稿(1841年版)は序曲の終結部と終幕のフィナーレに「救済のモチーフ」の無い版、第2稿(1880年版)はそれぞれに「救済のモチーフ」の有る版です。これはやはり第2稿の方が良いです。 

1幕形式で公演されると2時間少々で終わりますし、ワーグナーのオペラ作品としては最も短いです。音楽もストーリーも解り易く(いくらか話の展開が拙速で疑問のところは有りますが)、舞台演出も劇的効果が上げ易いので、ワーグナー入門として初めて公演を観に行くには最適だと思います。もちろんCDや映像もので鑑賞するのにも向いています。その半面、鑑賞を重ねると幾らか飽きの来やすさが有るのかもしれませんが。 

<主要登場人物>
オランダ人( バリトン)
ダーラント船長(バス)
ゼンタ/ダーラント船長の娘(ソプラノ)
エリック/ゼンタの恋人(テノール)
舵手(テノール)
マリー/ゼンタの乳母(アルト) 

<あらすじ>
第1幕 ノルウェーの海岸
ダーラント船長の貿易船が嵐に遭い、帰路の途中で船を海岸に停めて嵐の収まりを待っている。乗組員は休み、当直の舵取りも疲れて眠ってしまう。すると、赤い帆の幽霊船が現れ、船の隣に停まる。 

幽霊船からオランダ人が現れ、呪われた運命を語る。オランダ人は悪魔に呪われていて、永遠に海をさまよう罰を受けている。7年に一度だけ上陸を許され、そこで"永遠の愛"を誓う女性に巡り合えば呪いが解けるのだが、これまでに何度も失敗して、未だにさまよい続けている。 

ダーラント船長が目を覚まし、不気味な船に気づく。そしてオランダ人を見つけて話しかける。オランダ人は「一夜でいいから、あなたの家を宿として貸してくれないか」と言い、さらに「あなたの娘を私の妻に欲しい」と懇願して、その対価の財宝を見せる。ダーラントはオランダ人が呪われていることを知らないので、財宝に目がくらみ、要求を受け入れてしまう。やがて嵐が収まり、2隻の船はダーラントの故郷へと向かう。 

第2幕 ダーラント家の館
村の娘たちが糸を紡ぎながら歌を歌っている。しかしゼンタは仕事が手につかず、壁に架かる「さまよえるオランダ人」の肖像画を見つめている。そして「オランダ人の伝説」を歌い、「私の力であなたを救う!」と叫ぶ。

そこにゼンタの恋人エリックが現れて、帰還したことを知らせる。エリックはゼンタの様子を嘆くが、ゼンタは聞き入れない。 

ダーラントがオランダ人を連れて、ゼンタの元に現れる。ゼンタは「壁の絵の人物」が現れたことに驚く。オランダ人とゼンタはお互いに惹かれ合い、ゼンタは「この想いがあなたに救いを差し上げます。」と歌い、二人は結婚の約束を交わす。 

第3幕 夜の港
夜、ダーラントの船と幽霊船が隣り合わせで港に停泊している。
ダーラント船の水夫たちが陽気に歌い騒ぎ、それに娘たちも加わる。やがて幽霊船に突然炎がかかり、水夫の合唱と幽霊船の合唱が張り合うが、水夫たちは徐々に圧倒されてゆき、恐ろしさのあまり逃げ出す。 

ゼンタが館から現れると、それをエリックが追って来てゼンタが幽霊船へ向かうのを引き留めようとする。そこにオランダ人が現れ、「今回もまた愛を手に入れることはできなかった」と嘆きゼンタに別れを告げる。自分は、さまよえるオランダ人であると身を明かして、船は出航する。

悲しむゼンタは、オランダ人へ愛の誠を誓って海に身を投げる。するとゼンタの犠牲により呪いが解けて、幽霊船はオランダ人と共に海に沈んでゆく。すると浄化されたオランダ人とゼンタが水面に現れ、抱き合って天に昇って行く。 

それではCD愛聴盤のご紹介です。 

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ヨーゼフ・カイルベルト指揮バイロイト祝祭管/合唱団(1955年録音/テスタメント盤)
ドイツの往年のカぺル・マイスター、カイルベルトはこの年のバイロイトではあの有名な「リング」の他に「オランダ人」も指揮しました。但し「オランダ人」はクナッパーツブッシュと半々の担当でした。その後述するクナの巨大にうねる演奏は凄いですが、カイルベルトは全体の統率を引き締めながら力強い迫力を持ち合わせた、バランスの良いものです。そこに古き良きドイツのロマンの香りが感じられるのが大きな魅力です。歌手はゼンタにヴァルナイ、オランダ人にウーデ、ダーラント船長にヴェーバー、などバイロイト常連の傑出したメンバーが名を揃えます。名コーラスマスター、ヴィルヘルム・ピッツによる合唱も素晴らしく、水夫の合唱も圧巻の迫力です。録音は「リング」と同じDECCAが行ない、年代が信じられないほどの優秀なステレオ録音です。これは後述のクナ盤に比べて大きなアドヴァンテージです。 

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管/合唱団(1955年録音/オルフェオ盤)
この年のバイロイトの「オランダ人」は元々カイルベルトが指揮する予定でしたが、そこへクナが自分も振りたいと割り込み、結局カイルベルトと半々で指揮をすることになりました。序曲から巨大にうねるようなクナの指揮は、嵐に荒れ狂う大海原をそのままに感じさせて、聴いているだけで船がひっくり返りそうです。水夫の合唱のスケールの大きいこと、糸紬の歌の味わいの深さなど随所に聴きどころが有ります。カイルベルトと比べても更に深くドイツのロマンと詩情を感じさせて、大いに惹き込まれます。ゼンタのヴァルナイ、オランダ人のウーデ、ダーラントのウェーバーなどの歌手はカイルベルト盤と共通しますが、エリックにヴィントガッセンを配したのが特徴です。DECCAの明瞭な録音のカイルベルト盤に対して、バイエルン放送協会録音のクナ盤はモノラル録音なのが、返す返すも残念です。当時としては平均以上のレベルではありますが。 

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フランツ・コンヴィチュニー指揮ベルリン国立歌劇場管/合唱団(1960年録音/Berlin Classics盤)
西側の独エレクトローラと東独エテルナの共同制作でセッション録音された演奏です。ドイツの名指揮者コンヴィチュニーは当時シュターツカペレ・ベルリンとゲヴァントハウス管という二つの音楽監督を兼任していましたが、同じ制作陣により「タンホイザー」も録音しています。管弦楽の響きが古風でまるで野武士のようですが、トゥッティでトランペットが目立つように強奏させるのは、ゲヴァントハウス管のブルックナー演奏と共通です。これはコンヴィチュニーの特徴なのでしょう。流石にセッション録音だけあり、細部まで演奏の精度が高いです。おまけにライブのような舞台の感興の高さも感じられるので聴き応えが有ります。歌手も豪華で、若きF=ディースカウのオランダ人はスマート過ぎて役柄の不気味さに欠けるのが難点ですが、歌唱力と美声は流石です。ダーラント船長のフリックは役柄通りで素晴らしいです。ゼンタのシェヒ、エリックのショックはどちらも声質が若々しく好みです。舵取りを歌うヴンダーリヒも当然聴きどころの一つです。歌劇場の合唱団は力強く見事です。全体の古き良きドイツの味わいが大きな魅力で、完成度の高さも素晴らしいです。 

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オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア/BBC合唱団(1968年録音/テスタメント盤)
有名なEMIのセッション録音の直後にロイヤル・フェスティヴァルホールで行われた演奏会形式によるライブです。全体はいかにもクレンペラーらしい悠揚迫らざるテンポで広がりのある演奏です。スケール感は有りますが、切迫感は薄く、ややまったりと感じられますが、実演の為に緊張感は失われていません。オーケストラはどうしてもドイツの楽団と比べると響きが薄く感じられます。合唱も録音の遠さの要因も有りますが、力感が足りません。歌手に関しては、当時まだ20代にして憑りつかれたような凄味の有るゼンタを演じるアニヤ・シリヤが白眉で、クレンペラーが惚れ込んだというのが理解できます。オランダ人のテオ・アダム、ダーラント船長のマルッティ・タルヴェラも万全です。エリックのジェイムズ・キングはEMI録音では契約先のデッカが出演許可を出しませんでしたが、この演奏会では許可を出しました。この布陣による実演がステレオ録音で残されたのは貴重です。音質は年代にしてはもう少し高いレベルを望みたいですし、歌声が音割れする箇所が幾らか有ります。「救済のモチーフ」は無い版で演奏されています。 

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カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管/合唱団(1971年録音/グラモフォン盤)
言わずと知れたバイロイトにおけるライブで、ベームが舞台でどれほど燃えるかの証となる演奏記録です。序曲からすさまじい迫力に圧倒されます。煽る部分とじっくり聴かせる部分の切り替えが絶妙ですが、全体は少しも滞ることなく自然に流れてゆきます。管弦楽の統率も見事なものです。こうした技の見事さは古今の指揮者でも随一ではないでしょうか。管弦楽の迫力もさることながら、ヴィルヘルム・ピッツによる合唱も大迫力です。水夫の合唱では床を打ち鳴らす足音が派手に録られていて、我が家の床が抜けるかと思うほどですが、続く幽霊船との張り合いの迫力たるや言葉を失います。一方、糸紡ぎの合唱の美しさも白眉です。歌手陣もオランダ人のトマス・ステュアート、ダーラント船長のリッダーブッシュ、ゼンタのギネス・ジョーンズと要所はしっかりと締められています。物語のおどろおどろしさは幾らか薄いかもしれませんが、息つく間もなく聴き手を惹きつけて離さない劇的な魅力の点で、これ以上の演奏はあり得ないと思います。祝祭劇場の生の雰囲気を忠実に捉えた名録音も最高です。

というわけで、ベームのバイロイト盤が有ればこと足りますので、さまよえる必要はありません。ただし、オーケストラの古風な響きが得難いコンヴィチュニーのベルリン歌劇場盤も外せません。

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2022年7月22日 (金)

ワーグナー 歌劇「リエンツィ」 名盤

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オペラを特別熱心に聴く方では無いのですが、もちろん有名どころは一通り聴くようにしています。ワーグナーも、これまで記事にアップしたのは「トリスタン」と「パルジファル」だけでしたが、他の作品もアップしたいと何年も思っていました(汗)。

ちょうど、そのタイトル記事に所有CDを追加記述した良い機会なので、この際、順に取り上げてみることにします。 

ワーグナーの最初期のオペラ「婚礼」「恋愛禁制」に続く第三作目のオペラが「リエンツィ」で、正式には「リエンツィ、最後の護民官」のタイトルとなります。27歳の時の作品です。原作はエドワード・ブルワー=リットンの小説で、台本はワーグナー自身が書きました。 

主人公のリエンツィは、14世紀のローマに実在した政治家ですが、ワーグナーは台本を作成するのに、史実および原作を改変して、民衆の支持を得て政権を手にするものの、やがて民衆から反逆されて殺される主人公の物語としました。 

ワーグナーが帝政ロシア領リガ(現在のラトビア)で劇場指揮者をしていた1838年の夏頃に台本を完成させて、音楽もその年のうちに着手し、1839年に第2幕までを書き上げます。ところが、多額の借金を抱えていた為にリガからパリへ逃亡することを決め、作曲は一時的に中断します。そして何とかパリに落ちつくと1840年に第3幕以降を完成させます。 

ワーグナーはこのオペラはパリで初演することを希望していましたが、叶わずにドレスデンで行うことになります。1842年にドレスデンのザクセン宮廷歌劇場(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)でカール・ゴットリープ・ライシガーの指揮により行われた初演は大成功を収めます。

これによりワーグナーはドレスデンのオペラ総監督に就任し、オペラ作曲家として認められるように成りました。

もっとも、かなり長大な作品であり、バイロイト音楽祭の演目にも入っていないことから、「さまよえるオランダ人」以降の作品と比べると知名度はかなり落ちます。作曲された1840年といえば、ヴェルディもまだ初期の作品しか書いていない時期ですが、どことなくイタリアオペラ風で、ヴェルディ作品と似ている感じがするのは面白いです。 

初演(初版)では幕間も含めると上演に6時間以上を要した為、ワーグナーは二晩に分けて上演する方法や、短縮版にして一晩で上演することを考えました。

初版では演奏だけで3時間40分ほどになるので、後年の長大な作品に較べれば短いとはいうものの冗長さもあることから、一般的には2時間半から3時間くらいにカットされた短縮版で演奏されることが多いようです。序曲だけはしばしば単独で演奏会のプログラムに乗りますが、オペラ全体のエッセンスを楽しめる傑作だと言えます。 

<主要登場人物>
リエンツィ(テノール) 教皇の公証人
イレーネ(ソプラノ)  リエンツィの妹
コロンナ(バス)    コロンナ家の当主
アドリアーノ(メゾソプラノ) コロンナの息子
オルジーニ(バリトン) オルジーニ家の当主
ライモンド(バス)   教皇の特使
平和の使者(ソプラノ)              

<物語の大筋>
時代と場所:14世紀半ばのローマ

第1幕 ローマ市内のリエンツィ家の前
公証人リエンツィは、民衆から請われて指導者となり、貴族の暴政を暴いて民衆の解放者となり、護民官の位につく。 

第2幕 カピトールの広間
貴族たちはリエンツィを暗殺しようと画策するが、貴族の息子アドリアーノは、リエンツィの妹を愛していたため、この企てに加わることが出来ない。貴族のオルジーニはリエンツィを殺害しようとするが失敗して仲間と共に捕われる。民衆は彼らを死刑にせよと騒ぐが、リエンツィは、アドリアーノの懇願を聞き入れて彼らを許す。 

第3幕 古代の広場
死刑にならなかった貴族たちは護民官に対して反乱を起こす。リエンツィはそれを制圧するが、アドリアーノは、それにより父が死んだことでリエンツィを罵る。 

第4幕 ローマ市内のラテラーノ教会の前
神聖ローマ帝国の新皇帝がリエンツィを弾圧し、民衆もリエンツィに反感を抱くようになる。父の仇を討とうとするアドリアーノは、この反感を煽り、民衆は反抗の火の手を掲げて暴動へと発展する。 

第5幕 カピトールの広間とその前の広場
民衆はリエンツィに向かって石や火を投げつけ、暴動は更に過激になってゆく。大広間の中にいたリエンツィとイレーネは、イレーネを救おうと入ってきたアドリアーノもろとも、崩壊する建物の下敷きとなり炎に包まれる。 

ところで「リエンツィ」はアドルフ・ヒトラーに大きな影響を与えた作品であるとされます。若きヒトラーは、「リエンツィ」を観劇して、作品に強く影響されたことで政治を志すようになったといいます。その信憑性は疑問視されてもいますが、ヒトラーが「リエンツィ」の自筆譜を所有していた事実があり、それは総統地下壕に持ち込まれ、ヒトラーの死とともに行方不明となったとされます。 

さて、愛聴CDといっても元々種類は少ないですし、頻繁に聴くことは無いのでごく僅かです。 

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ハインリヒ・ホルライザー指揮ドレスデン国立歌劇場管/合唱団、ライプツィヒ放送合唱団(1974、76年録音/EMI盤)

何と言っても初演した歌劇場の演奏が聴けるのは嬉しいです。楽譜もやはり本家の誇りで初版を用いています。これはルカ教会におけるセッション録音です。ホルライザーはそれほど大物指揮者では無いですが、オペラの指揮を得意とするベテランで安全安心です。バイロイトにも頻繁に登場しました。この名門歌劇場のオーケストラのいぶし銀の響きには序曲を聴いただけで魅了されてしまいます。むろん本篇も素晴らしく、その堅牢な演奏と強力な合唱を聴くと、やはりゲルマン民族の音楽だなあと思わずにいられません。ソリストもルネ・コロ、テオ・アダム、ペーター・シュライヤーなど当時の東西ドイツの最高のメンバーが揃います。メジャーEMIが、旧東独のエテルナと共同制作した点で、カラヤンの「マイスタージンガー」ほど有名では無いですが、同じ時期の名盤として燦然と輝きます。この素晴らしい演奏で聴けば、初版も決して長過ぎるとは感じません。 

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セバスティアン・ヴァイグレ指揮フランクフルト歌劇場管/合唱団(2013年録音/OEHMS盤)

これは日本でも読響やオペラを頻繁に指揮しているヴァイグルが、フランクフルトのアルテ・オパーで行った演奏会形式ライヴの録音です。短縮版による演奏なのでトータル・タイムは2時間35分です。特に前半の1幕、2幕が相当短くなっていることで、全体をすっきりと聴き通すことが出来ます。半面、短過ぎて逆に物足りなさを感じるかもしれません。タイトル・ロールには、ドイツ/オーストリア系のピーター・ブロンダーが起用され、イレーネ役のクリスティアーネ・リボールと共にヴァイグレのお気に入りのようです。比較的新しい録音なので、音質は優れます。しかし管弦楽、合唱、ソリスト、すべての点でホルライザー盤の充実度には及びません。ヴァイグルの指揮は速めのテンポですっきりとしたものなので聴き慣れない作品をとにかく廉価な盤で聴いてみたいという方には手ごろだと思います。

このほかにもサヴァリッシュがバイエルン歌劇場とオルフェオに残した録音が有り興味深いものの未聴です。

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2022年7月20日 (水)

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」CD名盤 追記のお知らせ

宮本亜門の演出にはがっかりした東京二期会の「パルジファル」でしたが、ワーグナーの音楽はやはり素晴らしく、久しぶりに堪能しました。

そこで「パルジファル」と並ぶ最高傑作の「トリスタンとイゾルデ」も、過去記事以降に購入したCDが数点有るので、この際それらを聴き直して追記してみました。

ヨッフム、サヴァリッシュ、ショルティ、カラヤン、バレンボイム盤を加えましたので、良かったら下記から覗いてみてください。

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」名盤

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2022年7月16日 (土)

ワーグナー「パルジファル」 東京二期会 2022年公演 セバスティアン・ヴァイグレ/読売日本交響楽団

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東京文化会館で今月13日から公演されている東京二期会の「パルジファル」の二日目(14日)を観てきました。何といってもワーグナー作品に限らず、ありとあらゆるクラシック音楽の中でも「トリスタンとイゾルデ」「マタイ受難曲」などとんで五指に数える愛する作品です。楽しみにならないはずが有りません。これはフランス国立ラン歌劇場との共同制作公演で、演出は宮本亜門です。

さて、いよいよ開演すると、ヴァイグレに導かれたオケピットの読響により前奏曲が厳かに演奏されます。まだ硬さが感じられるものの音は悪くないです。しかし舞台にはポカ~ンとしました。美術館か博物館のような立体的な建物の中を現代人が歩き回り、何やら寸劇を行っています。「一体なんだこれは?」思わず戸惑います。演出に対して嫌な予感に包まれます。壁面に並んだ沢山の額縁の絵はどれも生き物で、館内には猿から人間へと進化してゆく標本が並びます。またスクリーンマッピングでは宇宙と地球が映し出されます。どうやら「時間」と「進化」が表現されているようです。もしや、これは「猿の惑星」なのか。。。と。

聖杯物語は劇中劇のような形で進み、そちらでは伝統的な古めかしい衣装を着ていますが、舞台セットとは不釣り合いです。騎士たちも警備員というか、建設現場作業員というか、コスチュームは妙です。また、アンフォルタス王が横たわる寝台は長テーブルの様で安っぽく、興ざめです。舞台は「深い森」でも何でもなく、しかし歌詞はそのままなので、不釣り合いに感じられてなりません。第二幕のクリングゾールの城は、怪しい研究所か悪者のアジトか。。そこではスタッフが監視カメラで城への侵入者をセコムをしています。

第三幕へ入っても舞台セットはチャチで安っぽく、そうかと思うとマッピングで森が映りますが、ただそれだけ。わけが分からないまま下手な寸劇が始終行われて、つまらないことこの上なく、ここまで理解のできない演出は初めてかもしれません。これなら演奏会形式の方がよほど良いようにさえ思えました。東京二期会がなぜ宮本亜門にこのワーグナーの舞台神聖祭典劇の演出を任せたのかご存じの方は教えて欲しいです。

なお、ヴァイグルと読響に関しては、素晴らしい管弦楽でした。ヴァイグルの指揮はサクサクあっさりと進み、忙しなさを感じる箇所も所々に有りましたが、総じて響きは美しく、深く厳かな演奏を楽しめました。歌手もタイトルロールはやや声が詰まり気味でしたが、アンフォルタス、クンドリーは特に素晴らしかったです。

まだ明日17日の最終日を残す中で、このような批判的な感想を記すのは躊躇われましたが、ロバの耳と節穴の目を持つおじさんのたわごとと受け止めてください。

<備考>
この公演に行く前に、パルジファルのCDで未アップのままだった、クレメンス・クラウス、カラヤン、クーベリック、ティーレマンのディスクを過去記事に加筆しました。良かったらリンクから覗いてください。
ワーグナー 「パルジファル」名盤

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2022年7月 7日 (木)

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番イ長調 Op.141 名盤 ~最後の交響曲~

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交響曲第15番初演の日のショスタコーヴィチ(19721月8日 ヴィクトル・アフロモフ撮影‎)
 

ポスト・マーラーの最大の交響曲作曲家として位置付けることに誰も異論は無いであろうショスタコーヴィチですが、その最後の交響曲となるのが第15番です。曲は1971年に完成しましたが、 ロシア革命を描いて標題作品的だった交響曲第11番と第12番、あるいは声楽入りの交響曲第13番と第14番などとは異なり、1953年の交響曲第10番以来となる伝統的な4楽章構成の交響曲でした。 

ショスタコーヴィチは1970年の後半にこの曲のスケッチを書き始め、‘71年の自分の65歳の誕生日を記念する陽気な作品を作曲するつもりでした。曲は7月に完成され、9月に初演が計画されましたが、ショスタコーヴィチが2度目の心臓発作を起こしたために延期されます。結局、初演は’721月8日にモスクワで行われ、マキシム・ショスタコーヴィチ指揮モスクワ放送交響楽団によって演奏されます。初めはコンドラシンが指揮をする計画でしたが、この人も深刻な心臓病に襲われて、指揮が出来なくなった為に自分の息子を起用しました。 

作品は、合奏よりもソロが目立つ室内楽的なオーケストレーションで、各楽章に様々な作曲家の作品から引用がされていて、十二音技法などの技巧も駆使された意欲作です。中でも、他の曲からの引用を多用したことは、多くの話題と憶測を集めましたが、ショスタコーヴィチ自身の作品解釈は次のようなものです。 

『第15交響曲には、決まった表題は無い。漠然としたイメージのみがあって、第1楽章は、深夜のおもちゃ屋で起こるようなものだと言ったことがある。だが私がそう言ったからといって、必ずしも正しいとも限らない。この曲に引用した音楽には「ウィリアム・テル」、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」から、また余り親しまれていないグリンカのロマンス「疑惑」がある。どうしてそんなことをしたのかと問われるが、それには、そうしなければならなかったのだとしか答えられない。私の作曲家生活は長く、昔から多くの作品を書いてきたが、今になり、何故こうした、ああしたということを説明は出来ない。自分は、空想家でなく現実主義者だと思っているが、創作の問題には、多くの分からないことが有る。第15交響曲への引用も、それを正確に説明することは出来そうにない。
創作の過程とは何だろう。最初の音符を書いたときに、どんな音符で終わるか、はっきりと分かる場合も、雲をつかむように分からない場合も有る。第15交響曲ではそれが非常にはっきりしていて、明らかに見えるような気がしていた。この作品に私は昼も夜も熱中し、病院でも作曲をして、退院してまた書き、別荘で書きという具合に、ひと時も手放すことがなかった。最初の音符から最後の音符まですっかり分かっていて、それを書く時間が有りさえすれば済むといった作品の一つであった。』 

この作品は、ショスタコーヴィチが子供の頃に最初に好きになったという「ウィリアム・テル」の引用によって第1楽章が始まり、心臓発作で治療中の病院の点滴の音を表しているともいわれるシロフォンにより終楽章が結ばれます。このことからも、ショスタコーヴィチ自身の人生の回想であるのは確かです。この曲が果たして最高傑作であるかどうかは確信が持てませんが、自らの死期を悟ってしまい、それを受け入れた芸術家の作品というのは何と美しいものなのでしょう。

<曲構成 >

第1楽章 アレグレット イ長調
自由な形式で書かれていて、作曲者自身が「深夜のおもちゃ屋さんをイメージした」と述べた通り、ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲が引用されます。この楽章は作曲者の幼年期から青春時代を表しているとする説も有ります。3連音、4連音、5連音が同時に奏でられる「リズムクラスター」も特徴的です。 

第2楽章 アダージオ-ラルゴ-アダージオ ヘ短調
三部形式で書かれていて、金管のコラール、チェロのモノローグと続き、ラルゴに入ると、葬送行進曲風になります。 

第3楽章 アレグレット ト短調
スケルツォですが、クラリネットによる主題は十二音列となっていて不気味です。トリオの主題はヴァイオリンソロより演奏されます。フィナーレでは打楽器が静かに刻んで終わります。 

第4楽章 アダージオ-アレグレット-アダージオ-アレグレット イ短調-イ長調
いよいよ終楽章では、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の「ワルキューレ」から“運命の動機”や「トリスタンとイゾルデ」の断片、グリンカの歌曲「疑惑」などが引用され、自身の作品からは交響曲「レニングラード」の“戦争の主題”を始め、幾つかの引用が続きます。また、ハイドンの交響曲「ロンドン」の冒頭も引用されています。 

それでは愛聴しているCDをご紹介します。 

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル(1974年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンがこの曲の初演指揮をする予定だったにもかかわらず、心臓病に襲われたために断念せざるを得なかったのはさぞや心残りであったと思います。けれどもこうして2年後に録音出来たのは良かったです。その思いの丈をぶつけるような渾身の演奏です。モスクワ・フィルの鋭利な音と、ソロ・パートやアンサンブルの優秀さは聴き応えが有ります。第1楽章はアレグレットですが相当に速く、「ウィリアム・テル」が疾走します。コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれていて、録音がやや古くなりましたが充分鑑賞に耐えます。 

Shosta_540d2e59708ef エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976年録音/BMG盤:メロディア原盤) これはレニングラード大ホールにおけるライブですが、第1楽章の速さはコンドラシンと互角で、疾走する愉悦感がたまりません。弦楽も管楽も鋭利で凄味の有る音なのですが、それらの一音一音に意味が感じられるので、どの箇所を聴いていても強く惹きつけられてしまいます。それはムラヴィンスキーと手兵のレニングラード・フィルだけが持つ凄さです。アダージオでのピアニシモからにじみ出る寂寥感は深さの極みで、あるいはフォルテシモの音が単に強烈なだけでなく、胸の奥深くまで響き渡り戦慄を覚えます。つくづく凄い指揮者であったと思います。 

Shosta15-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響(1988年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィはショスタコーヴィチも得意としますが、後期の曲を中心に録音していて、元々重い曲である13番や14番では速いテンポで切れの良い演奏でしたが、この15番では逆に鈍重さを感じるぐらいにオーケストラを煽らない演奏です。これはエーテボリ響の特質でもあるかもしれません。ですので、2楽章後半などは重厚に盛り上がります。楽器の音色には冷たさを感じず、むしろ明るい温かさを感じます。面白い演奏の一つだとは思いますが、特別な魅力が有るかと考えると、少々弱い感じです。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。どの曲の演奏についても共通して言えることですが、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、鋭く研ぎ澄まされた切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられます。この曲においても、録音の影響が幾らか有るのかもしれませんが、まるで大編成の管弦楽のように聞こえます。演奏にも、ユーモアや洒脱さはさほど感じられず、ひたすら生真面目に聞こえるのはユニークです。その録音は中々に優れています。 

Shosta593ae52 クルト・ザンデルリンク指揮クリーヴランド管(1991年録音/ERATO盤) ザンデルリンクはソヴィエト時代にレニングラードで仕事をしていましたし、ショスタコーヴィチは東ドイツでも多く取り上げました。特にこの第15番は各地で何度も演奏しています。しかしザンデルリンクとクリーヴランド管との録音は他に余り無く珍しいです。ヤルヴィやロストロポーヴィチ以上に重量感のある演奏で、いかにもザンデルリンクらしいですが、そのぶん楽曲が一回りも二回りも大きく成り、貫禄が増したようです。アダージョの深遠さ、巨大さは比類なく、過去の大シンフォニーのごとしです。クリーヴランド管の響き、演奏は文句なしですが、録音は年代の割には明瞭さが幾らか足りないようにも感じられます。 

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1998年録音/ブリリアント盤) バルシャイはムラヴィンスキー、コンドラシンと並ぶショスタコーヴィチ演奏の権威ですが、これはその交響曲全集に含まれる録音です。ドイツの優秀なオーケストラを完全に掌中に収め、ロシア風の冷たく重々しい響きと、切れ味鋭いリズムを兼ね備えていて素晴らしいです。現代音楽的な面白さと後期ロマン派的な奥深い音楽表現もバルシャイならではと言えます。盛り上がる部分の壮絶さも特筆されます。録音もずっと新しく、響きの美しさと凄味ある迫力を余すところなく捉えた名録音です。 

所有盤は以上で、古い録音が多いですが、やはりムラヴィンスキー盤はこの曲でもかけがえのない存在です。あとは演奏、録音共に素晴らしいバルシャイ盤も充分に本命を狙えます。

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2022年6月25日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 ト短調 Op.135 ~死者の歌~

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交響曲第14番には「死者の歌」という副題が付けられていますが、これはショスタコーヴィチ自身によるものでは無く、初レコード録音の際にその時の解説者が命名したものです。

作曲のきっかけは、ショスタコーヴィチが1962年にムソルグスキーの「死の歌と踊り」の管弦楽向け編曲を行ったときに遡りますが、その後にショスタコーヴィチは体調の悪化から死を意識するようになり、モスクワの病院に入院しているときに、僅か週間でこの曲のスケッチを完成させました。 

友人にあてた手紙にこの作品について触れています。 

『僕に、愛と死に関わる現象の間に永遠のテーマが存在する、という考えが浮かんだ。そして、詩の選択を始めたが、極めて無作為のものだ。だが、それらが音楽を通して一貫性を与えられているように感じられる。僕はあっという間にピアノ・スコアを書き上げた。それをオラトリオとは呼ぶことはできないだろう。オラトリオとするには合唱が必要だが、合唱は含まれない。ソプラノとバスの独唱者だけなのだ。もしかしたら、交響曲とも呼ぶべきではないのかもしれない。僕は自分の作品に何と名付けたらよいのか、初めて迷っている。』 

また、後からこのようにも述べています。

『この曲を書いている間、僕は常に何かが僕の身に起こるのではないかと恐れた。この右手が動かなくなるのではないか、急に盲目になるのではないかと。こうした不安は、僕に安らぎを与えることはなかった。』 

『死は始まりではなく、本当の終わりであり、その後には何もなく、何もない。私はあなたが目で真実を見なければならないと感じています。死とその力を否定することは役に立たない。否定しようがしまいが、どうせ死んでしまう。死そのものに抗議するのは愚かなことですが、暴力的な死に抗議することはできますし、そうしなければなりません。人々が病気や貧困で死ぬ前に死ぬのは悪いことだが、ある人が別の男に殺されたらもっと悪い。』

ショスタコーヴィチは、オーケストラ譜を書く段階で、指揮者ルドルフ・バルシャイに助言を求めています。
初演は、そのバルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団により19699月に行われますが、それに先立って行われたリハーサル演奏中に、同席していた共産党幹部アポストロフが心臓発作で倒れて病院に担ぎ込まれ、1ヵ月後に死亡するというアクシデントが起こりました。アポストロフは他ならぬジダーノフ批判でショスタコーヴィチを窮地に追い込んだ人物であったことから、人々はショスタコーヴィチの作品の祟りと噂しました。 

作品は11もの楽章から構成され、ソプラノとバスの独唱が付いている歌曲集形式であることから、一見、マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」などを連想します。けれども、ショスタコーヴィチ自身は、これは「四つの楽章に結び付けた交響曲」であると言っています。

実際に四楽章に結び付けた場合、具体的な楽章分割がどのようになるかですが、これは色々と解釈が分かれるところです。例えば、①や②が上げられます。 

① 1楽章(序奏とみなす)/2-4楽章/5-7楽章/8-9楽章/10-11楽章
② 1-3楽章/4-6楽章/7-9楽章/10-11楽章

 いかがですか?学者はともかく、我々一般人(のロバの耳?)には、正直余り実感が湧きません。 

<楽章概要>
第1楽章「深いところから」 アダージョ(歌詞ロルカ)
バス独唱、弦楽合奏 
主題の冒頭はディエス・イレを模したものとされる。この主題は第10楽章で回想される。 

第2楽章「マラゲーニャ」 アレグレット(歌詞ロルカ)
ソプラノ独唱、ヴァイオリン独奏、カスタネット、弦楽合奏 

第3楽章「ローレライ」 アレグロモルト-アダージョ(歌詞アポリネール)
二重唱、鞭、ベル、ヴィブラフォン、シロフォン、チェレスタ、弦楽合奏 

第4楽章「自殺者」 アダージョ(歌詞アポリネール)
ソプラノ独唱、チェロ独奏、弦楽合奏 

第5楽章「心して」 アレグレット(歌詞アポリネール)
ソプラノ独唱、トムトム、鞭、シロフォン、弦楽合奏
兵士とその姉妹の近親相姦がテーマ。冒頭のシロフォンは12音からなる。 

第6楽章「マダム、御覧なさい」 アダージョ(歌詞アポリネール)
二重唱、シロフォン、弦楽合奏 

第7楽章「ラ・サンテ監獄にて」 アダージョ(歌詞アポリネール)
バス独唱、弦楽合奏 

第8楽章「コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェ・コサックの返事」 アレグロ(歌詞アポリネール)
バス独唱、弦楽合奏 

第9楽章「おお、デルウィーク、デルウィーク」 アンダンテ(歌詞キュッヘルベケル)
バス独唱、弦楽合奏 

第10楽章「詩人の死」 ラルゴ(歌詞リルケ)
ソプラノ独唱、ヴィブラフォン、弦楽合奏 

第11楽章「結び」 モデラート(歌詞リルケ)
二重唱、カスタネット、トムトム、弦楽合奏
人生の結びである死の賛美をテーマとする。曲の最後ではヴァイオリンが10パートに分かれ、激しい不協和音を奏する。 

初版は歌詞が全てロシア語訳でしたが、改訂した際にオリジナルの詩の言語に再翻訳されていて、オリジナルの詩とは細部も異なります。 

音楽には無調、十二音技法、トーンクラスターなどの前衛技法が用いられ、楽器編成は小編成の弦楽合奏と様々な打楽器のみという極めて特殊なものとなっています。 

それでは愛聴するCDのご紹介です。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮モスクワ・アカデミー響(モスクワ・フィル)、ヴィシネフスカヤ(ソプラノ独唱)、レシェーチン(バス独唱)(1973年録音/ワーナーミュージック盤:メロディア原盤) ロストロポーヴィチはロンドン響、ナショナル響と交響曲全集を録音しましたが、14番だけは、モスクワで残したこのライブ録音をそのまま使いました。他のどの曲についても、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、激しい切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられますが、この曲では例外的に非常に鋭利な演奏となっています。初演からまだ間もない時代の演奏であるのと、その初演をしたモスクワ・フィルであるのが理由でしょうか。初演で歌った奥様のヴィシネフスカヤも流石の上手さで圧巻です。バス独唱のレシェーチンもまた初演時の歌手で、何の不満も有りません。録音はこの年代のライブ収録であることを考えると優秀です。

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル、ツォロバルニク(ソプラノ独唱)、ネステレンコ(バス独唱)(1974年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であるコンドラシンは流石に素晴らしいです。フル・オーケストラの時の激しい演奏とは異なり、意外なほどにじっくりと音楽の深みを醸し出している印象を受けます。それでもモスクワ・フィルの音にはやはり底力が有ります。独唱者もツォロバルニクは決してヒステリックにならない豊かな表現力が有りますし、ネステレンコはいかにもロシアという深い声質が魅力で、二人とも文句の付け様がありません。もちろん最しい録音のような音質は到底望めませんが、明瞭なので鑑賞には何の支障もありません。写真の全集盤に含まれます。

Shosta14-barshai ルドルフ・バルシャイ指揮モスクワ室内管、カスラシヴィリ(ソプラノ独唱)、ネステレンコ(バス独唱)(1975年録音/TOKYO FM盤) バルシャイには‘69年の初演時のライブという歴史的な録音が存在しますが、私は残念ながら未聴です。その代わりと言っては何ですが、彼らが来日して東京文化会館で行った日本初演時のライブがリリースされています。当時のTDKコンサートで放送された音源ですが、録音も優れていてオーケストラが小規模の編成であることが良く分かり、それをホールの前方席で聴くような生々しい臨場感が素晴らしく、奏者の奏者の息づかいまでが届いて来るようです。作曲者と創作過程で深く関わっていたバルシャイですので、この人以上にこの曲の演奏に信頼できる指揮者は存在しないと言えるでしょう。独唱の二人も万全の歌唱です。

Shosta14-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響、カザルノフスカヤ(ソプラノ独唱)、レイフェルクス(バス独唱)(1992年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィとエーテボリ響の生の音は東京文化会館で聴きましたが、BISやグラモフォンのCDで聴く音とはだいぶ違い、とても深く暗い音でした。それはともかく、得意とするショスタコーヴィチですが、この曲でも全体的にテンポが速く、余り重苦しさは感じません。ある種の軽みが感じられ、ロシアのマエストロ達のような緊張感や凄味は有りません。全体はロマンティックな趣で美しく、前衛的なイメージが薄いのがメリットです。独唱もソプラノが抜群に美しく、何か宗教曲のようにさえ聞こえるのが不思議です。この曲が難しくて解らないと思う方には、むしろお勧めかもしれません。

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響、シモーニ(ソプラノ独唱)、ヴァネーエフ(バス独唱)(1999-2000年録音/ブリリアント盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人にして、この曲に関しては初演の前から作曲者と深く関わっていたバルシャイの最後の録音です。ケルンで制作した交響曲全集に含まれる演奏ですが、オーケストラからロシア的な冷たい鋼のような響きを引き出していて流石です。ソプラノは声質が部分的にヒステリックに聞こえるのと、バスも幾らか明るめに感じるのが僅かなマイナスですが、細部まで音楽を完全に手中に収めた安定感と貫禄が半端なく、この演奏を聴いて作品の全貌が初めて見えた気がするほどです。録音も極上で、不協和音さえもが、かつて聞いたことの無い美しさを感じさせます。 

所有するディスクはこれだけですが、どれも本当に素晴らしいです。それを承知の上で更に絞れば、バルシャイの二種類、モスクワ室内管との‘75年東京ライブ盤とケルン放送響との’99-00年盤に演奏、録音を合わせて強く惹かれます。

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2022年6月16日 (木)

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調 「バビ・ヤール」Op.113 名盤

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ショタコーヴィチが1962年に作曲した交響曲第13番は「バビ・ヤール」という通称を持ちます。

バビ・ヤールとは、ウクライナ(当時はソ連に属していました)のキエフ地方にある峡谷の名前で、第二次大戦中にナチス・ドイツによりユダヤ人の大虐殺が行われた場所です。およそ10万人のユダヤ人がこの谷に連行されて殺害されたとされます。

しかしバビ・ヤールの悲劇はユダヤ人だけのものではなく、その他にロシア人、ウクライナ人、ジプシーなど、あらゆる国籍の人々がバビ・ヤールで殺害されました。その為に、ソヴィエトの指導者たちはユダヤ人虐殺だけを強調せずに、キエフ市民およびソヴィエト全体に対する犯罪として扱いました。ところが、戦後になると開発により、バビ・ヤールの周辺には公園や集合住宅が建設され、近隣のダム建設による廃土によって峡谷は埋められてしまいます。 

バビ・ヤールでのユダヤ人虐殺は多くの芸術作品の題材となり、ロシアの詩人エフゲニー・エフトゥシェンコが書いた『バビ・ヤール』を、ショスタコーヴィチが交響曲第13番に取り入れました。 

この交響曲は、エフトゥシェンコの詩によるバス独唱とバス合唱付きの5つの楽章から構成されます。第1楽章の標題の「バビ・ヤール」は、この虐殺事件とともに、帝政ロシア時代における極右民族主義によるユダヤ人への弾圧、ソ連時代におけるユダヤ人迫害を暗示し、それを告発する内容の歌詞になっています。ただし第2楽章以降はバビ・ヤールの悲劇とは関係がありません。ソ連における生活の不自由さや偽善性を批判するような歌詞が多く用いられています。 

ソヴィエトには人種・民族問題は存在しないというのが建前であったことから、初演の後にフルシチョフの指示で第1楽章に使われた詩がエフトゥシェンコ自身により改変させられます。ショスタコーヴィチに対しても、詩の改変に基づく音楽の改定が要求されますが、ショスタコーヴィチは音楽の書き換えはせずに、スコアの上に詩の改変のみを鉛筆書きで行いました。

 改変された具体的な部分とは、ユダヤ人として生きる苦しみを、ロシア人やウクライナ人もユダヤ人と共にこの地に眠る、という内容への変更、虐殺により犠牲となった老人や子供に思いを馳せる部分を、ファシズムの侵攻を阻んだロシアの偉業を讃える内容への変更、でした。 

初演は、19621218日、モスクワ音楽院大ホールでコンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、合唱団、ヴィタリー・グロマッツキーのバス独唱により行われますが、歌詞の内容が反体制的であった為に、初演前から当局のいやがらせが続き、独唱者が次々と交代しました。多くの警官隊が包囲する物々しい雰囲気で何とか初演が行われましたが、演奏が終わると客席は拍手と歓声に包まれ、舞台にはショスタコーヴィッチとエフトシェンコが万雷の拍手に迎えられました。

曲の構成 

第1楽章「バビ・ヤール」  アダージオ 変ロ長調
作品全体の核心となる楽章で、その歌詞はバビ・ヤールでのナチのユダヤ人虐殺や、帝政ロシア時代からソ連や世界に蔓延る反ユダヤ主義を厳しく糾弾しています。合唱により「バビ・ヤールの上に、記念碑は無い。険しい崖が墓碑銘のようなものだ。恐ろしいことに自分がユダヤ民族そのものであるかのように感じる」と歌われ、続いてバス独唱により「いま、自分はユダヤ教徒であると感じる。古代のエジプトをゆっくりと歩き回り、そして十字架に張り付けられて悲惨な最期を遂げる。今でもこの身体には、釘の跡が残っている。」と歌われてゆきます。西側諸国では1970年のアメリカ初演から改変前の歌詞で演奏されていましたが、ソ連においては1985年になって、ようやく改変前の元の歌詞によって演奏されるようになりました。

第2楽章「ユーモア」  アレグレット ハ長調
スケルツォ楽章で、「この世のどんな権力者もユーモアを手なずけることはできなかった」という皮肉に満ちた歌詞が歌われます。民族舞踊的な活力が有りユニークです。

第3楽章「商店で」  アダージオ ホ短調
寒さに耐えながら食料を買う為に行列するロシアの女性たちに悪徳な商売をする商店に、詩人は怒りを覚えるものの、かくいう自分は、高価な食品を買って店を出てゆく生活をしている、と歌われ、延々と重苦しい音楽が続いてゆきます。

第4楽章「恐怖」  ラルゴ
スターリン時代の恐怖政治がロシアから去った現在となっても、偽善や虚偽がはびこる新しい恐怖が現れている、と歌われます。 

第5楽章「出世」  アレグレット 変ロ長調
ロンドの終曲。地動説を唱えて囚われたガリレオを例にとって、真理を声高く発言して信念を貫き、後の世に認められる生き方こそが真の出世であると歌われます。 

それでは愛聴しているCDをご紹介します。

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル/合唱団、グロマッツキー(バス独唱) 1962年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) これは初演から二日後の1220日に再演された際のライブ録音です。ムラヴィンスキーが初演の指揮を断った為にコンドラシンが指揮することになりましたが、ムラヴィンスキーが断った理由は妻が不治の病に冒されていて、自身も憔悴していたことや、この曲の政治的メッセージを嫌ったことなどが考えられますがはっきりはしません。しかしコンドラシンの指揮は代役どころではなく、モスクワ・フィルの鋭利で厚い音と共に鬼気迫る渾身の演奏です。アンサンブルも大きく崩れることは有りません。グロマツキーの声質は幾らか軽めなものの力の入った歌唱ですし、何よりロシアの男声合唱の底力は圧巻です。録音はステレオで、この時代のライブにしては良質で充分に鑑賞に耐えます。もちろん歴史的な価値も計り知れません。所有する全集盤に後述のセッション録音盤と共に納められているのは嬉しいです。 

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル/合唱団、エイゼン(バス独唱)(1967年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) 初演から5年後に、コンドラシンにより再び録音が行われました。オリジナルの形で録音しようとしたところ、当局の圧力で結局は改訂版での収録となりましたが、少なくとも我々の耳には歌詞の違いは問題になりません。エイゼンの太い声での深い歌唱が圧巻です。管弦楽や合唱も前述した初演時のライブと比べると完成度が高く、圧倒されるほどに聴き応えが有ります。初演時ライブの荒々しいほどの緊迫感も捨て難いですが、繰り返して聴く充実感は再録音盤に軍配を上げざるを得ません。録音も初演時ライブから飛躍的に向上した印象は受けませんが、もちろんこちらが上です。 コンドラシンの全集盤に含まれています。

Shosta13-335 キリル・コンドラシン指揮、バイエルン放送響/合唱団、シャーリー=カーク(バス独唱)(1980年録音/タワーレコード盤:フィリップス原盤) 初演者コンドラシンの演奏はこの曲の原点であり、どれもが価値の高いものです。コンドラシンは、このミュンヘンでの演奏会の3か月後に心臓発作でこの世を去りますが、それを知っていた訳は無いでしょうが、正に全霊を傾けた演奏が感動的です。‘60年代のモスクワ・フィルとの演奏の方が鬼気迫る迫力においては勝りますが、こちらはスケールの大きさに加えて、音楽の悲しみがより深く感じられます。管弦楽も合唱も厚みが有りますし、バス独唱の英国のシャーリー=カークも聴き応えのある歌唱が見事です。ライブ録音ですが音質は優れています。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響/合唱団、ギュゼレフ(バス独唱)(1988年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。どの曲の演奏についても共通していますが、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、激しい切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられます。オーケストラの音色がやや明るめなのはやむをえませんが、アンサンブルは優秀です。ワシントンの合唱団も声質は明るいですが力強く健闘しています。バス独唱のギュゼレフはブルガリアのベテランで、幾らかオペラ的な歌唱ですが悪くありません。録音も中々に優れています。

Shosta13-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響/合唱団、コッチェルガ(バス独唱)(1995年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィはショスタコーヴィチも得意としていて、全集盤こそ有りませんが、後期の曲を中心に録音していました。全体的にテンポが速く切れが良く、拘泥せずに進むので重苦しさは余り有りません。それでも味わいを失わないのは流石です。オーケストラの響きも演奏に適した、ある種の“軽み”が感じられます。ロシアやドイツの楽団のような音の凄味は有りませんが、決してスケールが小さいわけではありません。合唱も切れが良く管弦楽との相性は良いです。コッチェルガはウクライナ出身で、声は余り太くはありませんが、その歌唱は非常に真摯なもので胸を打たれます。

Shosta-13-zap2_g1256783w ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィル/合唱団、アレクサーシキン(バス独唱)(1996年録音/RCA盤) 初演を断ったからなのか、何故かムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの録音が無いのは残念です。であれば、後継指揮者テミルカーノフで聴くしかありません。ムラヴィンスキーほどの透徹した鋭さは無いものの、冷たい鋼のようなオーケストラの音は健在です。コンドラシンのような一心不乱に炎の中に突き進むような凄さは無いものの、オール・ロシア演奏家による充実し切った分厚いサウンドとその音楽に浸りきれます。作曲家の自国の演奏を何より好む自分にとっては、かけがえのない魅力が感じられます。録音も非常に優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響/合唱団、アレクサシキン(バス独唱)(2000年録音/ブリリアント盤) ロシア人のバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。オーケストラこそドイツのそれですが、合唱団は初演と同じモスクワ・アカデミー合唱団、ソリストにロシア人を配するというこだわり様です。暗く重厚な管弦楽と声楽陣が一体となり正に圧巻の演奏です。その切れ味鋭く、かつ深い音楽表現はコンドラシン/バイエルン放送響盤にも匹敵しますが、録音はこちらがずっと新しいので、はるかに上回る優秀録音です。響きの美しさと凄味ある迫力を余すところなく味わえます。 

この曲についてはコンドラシンの録音がスタンダードになるのは確かですが、現在の鑑賞者の立場では、1967年の再録音盤を第一とします。もちろん初演二日目のライブ盤も歴史的に不滅の価値を持ちます。
一方、録音の良いものからは、コンドラシンの1980年盤はひとまず横に置き、むしろ極上の録音のテミルカーノフ盤、バルシャイ盤を選びたいと思います。

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2022年5月13日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第12番ニ短調「1917年」Op.112 名盤 ~十月革命~

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ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、前作の交響曲第11番「1905年」に続いて再び、ロシアにおける革命の歴史を基に作曲されました。第11番では1905年の“血の日曜日事件“が題材とされましたが、第12番は1917年の”十月革命“が題材とされています。 

十月革命とは、191710月に首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)でレーニンに率いられて起きた労働者や兵士らによる革命です。一連のロシア革命の中では、帝政を崩壊させて臨時政府を成立させた二月革命に続く革命で、その後に続いた反革命運動との内戦を経て、最終的に1922年に世界最初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立します。 

ショスタコーヴィチは、第12交響曲について「この交響曲はレーニンを偲ぶものとなる」と述べています。かねてからレーニンを題材にした「レーニン交響曲」の構想を持ってはいましたが、第二次世界大戦が起きたことで、創作が止まっていました。ようやく1959年に再着手されますが、翌年に病気になったこともあり、1961年の春から夏の間に本格的に取り掛かり、8月に完成されました。 

初演は196110月の共産党大会の開会日に合わせて、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより行われました。 

<曲の構成>
4楽章形式で各楽章には標題が付けられています。交響曲第11番ほどの直接的な描写は見られませんが、それぞれ十月革命にまつわるエピソードを想わせる曲想となっています。大曲の第7番、第8番、第10番あたりと比べると、演奏時間も40分程度と短めですが、全楽章が切れ目なく演奏されて簡潔にまとめられているので聴きやすい傑作だと思います。 

第1楽章「革命のペトログラード」 モデラート - アレグロ、ソナタ形式
低弦による序奏で始まります。変拍子の旋律が全曲の中心主題となります。革命歌「憎しみの坩堝(るつぼ)」も用いられています。ショスタコーヴィチ自身によれば、これはレーニンがペトログラードに帰還し、勤労者、労働者階級と出会う物語であるとのことです。 

第2楽章「ラズリーフ」 アダージョ、3部形式
「ラズリーフ」は、ペトログラードの北にある湖の名前です。レーニンがこの湖の湖畔で革命の計画を練ったと言われることに由来します。美しくも冷え切った空気感に包まれています。 

第3楽章「アヴローラ」 アレグロ、3部形式
静かな打楽器が開始の合図を示し、巡洋艦アヴローラの主砲による宮殿への砲撃が開始されて、ついに十月革命が始まったことを表します。非常に力強く勇壮な音楽です。 

第4楽章「人類の夜明け」 リステッソ・テンポ - アレグレット - モデラート、ロンド形式
ホルンにより勝利のファンファーレが始まり、弦楽、木管の変奏の後にトランペットとトロンボーンの強奏となります。いくつかの主題の変奏からクライマックスへと移り、最後は輝かしいコーダで終結します。ショスタコーヴィチによれば、これは十月革命の成就を表します。 

自伝によれば、ショスタコーヴィチは、この曲の作曲に向かうにあたり「これは自分の創作歴のなかでも重要な段階を画するものとなるだろう。自分としてはこの作品をたいへん重視している。この重要な課題を成し遂げるのに自分の支えとなるものが何であるかを考えるが、わたし自身が十月革命の生証人であり、レーニンがペトログラードに戻って来たその日に、フィンランド駅前の広場でレーニンの演説を聞いた人々の中には自分も混じっていたのだ。私はまだ若かったが、このことは永遠に記憶に刻み付けられている。忘れることの無いこの日の思い出が、創作する私の支えと成ってくれるに違いない。」と語ったとされます。 

それでは愛聴CDのご紹介です。 

Shosta-12 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1961年録音/PRAGA盤:メロディア原盤) これは10月の初演から二か月後にモスクワの放送局スタジオで行われたセッション録音です(CDのクレジットではレニングラード録音と有りますが)。そしてこの後は、ムラヴィンスキーはセッション録音を一切行っていません。メロディア盤は未聴なのですが、このPRAGA盤は低域から高域までのバランスがとても良く、しかもリマスターにありがちな高域の強調も有りません。元からのステレオ録音でしょうが各楽器の分離も明瞭で、年代を考えたら極めて優秀です。演奏も緊迫感の有るレニングラード・フィルの音がセッション録音による安定感を持って味わえるので貴重です。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。ムラヴィンスキーの演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。第1楽章から激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、テンポに緊迫感が有るもののややスピード感が有り過ぎにも思えます。第2楽章では弦楽の冷たい響きにロシアの大地の香りが漂います。第3楽章の壮絶さも圧倒的で、終楽章までそのまま息つく間も無いほどです。録音についてはムラヴィンスキーの‘61盤より優れますが、マスタリングの影響か高音域が硬く感じられるのが残念です。 

Shostako12-xkh0yps7l_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1984年録音/ERATO盤:メロディア原盤) レニングラード大ホールでのライブで、ムラヴィンスキーのライブの中では優れた音質です。中低域の厚さやバランスも悪くありません。ただ、‘61年の録音と比べて、飛躍的に優れているかと言えばそれほどでもありません。むしろ、こちらは実演ならではの感興の深さが有りますし、レニングラード・フィルの金管も打楽器もセッション録音と違って容赦なく強奏されていて圧倒されます。当然、3楽章から終楽章になだれ込む迫力には言葉を失います。半面、所々に些細な傷は有りますが、もちろん問題にはなりません。 

Shosta-335 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1995年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。この曲においてもロストロポーヴィチのショスタコーヴィチへの敬愛の念が強く感じられます。この曲でも激しい切迫感よりはスケール感や気宇の大きさが感じられる演奏スタイルです。ロンドン響はレニングラード・フィルのような鋭く切り裂くような音こそ持ちませんが、暗めの音色が音楽に適しています。アンサンブルは優れますし、重心の低い厚い響きも聴き応えが有ります。録音は強音に僅かなざらつきが感じられますが概ね優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1995年録音/ブリリアント盤) ロシア人のバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。1楽章は哀感が漂って始まりますが、その後は実演さながらの熱気に包まれ、更にまた美しく歌われます。トゥッティの響きには迫力が有りますが、派手に成り過ぎない節度が有ります。2楽章は美しく情感に溢れ、3楽章、4楽章と力強く、また大地に根付くような輝かしさも充分で、非常に聴き応えが有ります。ロストロポーヴィチ盤と同じ年の録音ですが、音質、バランス共にこちらの方が明らかに上回ります。 

多くは聴いていませんし、毎回同じような演奏家ばかりですが、特にマイ・フェイヴァリットを選ぶとすれば、やはりムラヴィンスキーの1984年盤であり、録音も含めればバルシャイ盤がそれに並びます。

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2022年4月24日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」Op.103 ~血の日曜日事件~

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ショスタコーヴィチが第二次大戦の終戦から10年以上経った1957年、51歳の年に作曲した交響曲が第11番ト短調「1905年」作品103です。これは、サンクトペテルブルクで起きた、いわゆる「血の日曜日事件」を題材としています。 

「血の日曜日事件」とは、1905年1月9日の日曜日、当時の首都サンクトペテルブルクにおいて、皇宮へ向かう労働者の平和的な請願行進に対し、政府の軍隊が発砲して、多数の死傷者を出した事件です。請願の内容は、政府の搾取や貧困、戦争に苦しんでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を代弁したもので、民衆はロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世への直訴によって情勢が改善されると信じていました。 

サンクトペテルブルクの全労働者18万人のうち行進への参加者は6万人ほどに達しましたが、デモ隊を中心街へ入れない当局の方針により、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲しました。発砲による死者の数は反政府運動側の報告では4,000人以上に達したと主張され、他の報告でも死傷者の数は1,000人以上とされます。

この事件がきっかけとなって、ロシア皇帝崇拝が崩れ去り、全国規模の反政府運動が起きて、ロシア第一革命へと繋がってゆきます。 

ショスタコーヴィチがこの曲を書く前に語ったとされる言葉です。 

『今、私は第11交響曲を作っているが、冬までにはたぶん仕上がると思う。テーマは1905年の革命である。労働者の革命歌に鮮やかに映されている祖国のこの時代が私はたまらなく好きだ。これらの歌の旋律を広く交響曲に取り入れるかどうかは分からないが、この交響曲は性質上、ロシアの革命歌にごく近いものとなる。』 

<曲の構成>
4楽章構成で各楽章は切れ目なく演奏され、それぞれの楽章には表題が付けられていて、革命歌や自作合唱曲の引用が多いのが特徴です。 

第1楽章「宮殿前広場」 アダージオ 4/4拍子 ト短調
冬のペテルブルク王宮前の広場の情景が描かれています。これから起きる血に染まる日曜日を予感した静けさと不穏さがしじゅう漂います。革命歌「聞いてくれ!」、「囚人」(別題「夜は暗い」が引用されています。 

第2楽章「1月9日」 アレグレット 6/8拍子 ト短調
低弦による不穏な動きで始まり、徐々に緊迫感が高まってゆき、民衆の請願行進を描きます。展開部では、ついにトランペットの合図とともに政府軍の一斉射撃が始まり、民衆が撃ち殺される極めて劇的で凄惨な光景が描かれます。やがて音が静まり返ると、広場に横たわる多くの犠牲者が描き出されます。この楽章では合唱曲「革命詩人による10の詩」から「おぉ、皇帝われらが父よ」、そして「帽子をぬごう」が引用されています。また、この楽章は、ロシアの名匠エイゼンシュテイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」において、映像背景の音楽として使用されました。 

第3楽章「永遠の記憶」 アダージオ 4/4拍子 ト短調
犠牲者への鎮魂歌です。やがて革命歌「君は犠牲になった」がヴィオラで演奏され、中間部では革命歌「こんにちは、自由よ」が力強く演奏されます。そして再び鎮魂歌に戻ります。 

第4楽章「警鐘」 アレグロ・ノン・トロッポ 2/4拍子 ロ短調 - ト短調 ロンド形式
革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」が金管により印象的に開始され、やがて弦楽器により「ワルシャワ労働歌」が奏されます。圧政に抵抗して必死に立ち上がる民衆の力が表されて感動的です。やがてイングリッシュホルンの悲しい歌が心に沁みて、最後はチューブラーベルが打ち鳴らされて、帝政への警鐘となり曲が終わります。 

この曲は標題音楽と呼べるので、各楽章の音楽は表題に非常に忠実であり、「血の日曜日事件」の情景が生々しいほどに描かれています。ですので、それらの内容を理解して聴けば、とても解り易い曲です。また、多数の革命歌が効果的に引用されていることもあって、一層の親しみ易さをもたらしていると思います。それなら、いっそのこと合唱を伴わせて作曲してしまえば良かったのにと思うのは自分だけでしょうか?

初演は19571030日にモスクワで、ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団により行われましたが、続く11月3日にムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルよるレニングラード初演が行なわれました。 

それでは所有しているCDのご紹介です。 

Shosta-11ayphxkbpl_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1959年録音/メロディア盤) 初演から僅か2年後のレニングラード大ホールでのライブで、タコ・マニアのみならず、多くの人にこの曲の最高の演奏と評される名盤です。弦楽による凍り付くような悲しみの深さは底無しであり、そこには神秘感が一杯に漂います。そして金管や打楽器の凄まじい音も言葉には到底出来ず、壮絶の極みと言えます。それは単なる大音量とはまるで次元が異なります。この凄演に迫るのは、せいぜいコンドラシン盤ぐらいでしょうか。つくづく凄い時代であったと思い知らされます。録音はモノラルですが、当時のムラヴィンスキーのライブとしては良好で、中低域の厚さやバランスも悪くありません。これは‘76年3月3日の演奏記録ですが、他に録音品質が落ちるという3月21日の演奏も存在します。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。前述のムラヴィンスキーの壮絶な演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。長大な第1楽章では、激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、一方で弦楽の冷たい響きには、どこかロシアの土の香りが漂います。第2楽章のスピード感と緊張感も圧倒的です。終楽章も同様に凄いです。ただし録音についてはムラヴィンスキー盤よりは数段良いものの、年代を考慮しても高音域が硬く、強調されていて古さが感じられるのが残念です。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1992年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。スケール感や気宇の大きさは素晴らしく、ロストロポーヴィチと親交のあった作曲者への敬愛の念が強く感じられます。オーケストラの重心の低い厚い響きが聴き応えあり、それを忠実に再現する録音の良さもプラスです。その半面、数々の革命歌がどことなく品良く演奏されていて、荒々しさや訴えかけがやや弱いようにも感じられます。やはりアメリカのオーケストラにロシアのそれのような胸に迫る演奏を望むのは、たとえスラヴァが指揮したとしても難しいのでしょうか。 

Shosta11-00028948316946 ウラディーミル・アシュケナージ指揮サンクトペテルブルク・フィル(1994年録音/DECCA盤) ピアニストとしてのアシュケナージは上手いのですが、余りに常識的なところを好みません。指揮者としても特別な魅力は感じません。このCDを購入したのは単にサンクトペテルブルク・フィル(旧レニングラード・フィル)の音を良い音で聴きたかっただけです。DECCAがレニングラード大ホールに乗り込んでの録音は実に素晴らしい音質です。クリアーでトゥッティの響きは厚く、かつての鋼のような音色を彷彿させます。もちろん革命歌も管楽器もロシアの味わいが豊かで満足です。ただしムラヴィンスキーのような厳しさは全く無く、むしろ指揮者の持つ楽天性のようなものを感じさせます。ですので、ショスタコーヴィチは暗くて嫌だという方には是非お勧めしたいです。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1999年録音/ブリリアント盤) ロシアのバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。1楽章は地味ですが、不穏な空気感が良く出ています。2楽章はコントロールが効いていて、緊迫する部分でも過去のロシアの団体の緊迫感溢れる爆演タイプとはだいぶ異なります。3楽章のヴィオラは静寂に徹していて余り歌わせません。元ヴィオラ奏者だったバルシャイなので意外でした。終楽章も2楽章と同様にハーモニーの美しさ重視なので、圧倒される感じは受けません。全体を聴き終えた印象ではやや物足りなさを感じますが、その後の新時代の演奏の先駆けなのかもしれません。録音が新しいので音質は優れます。 

所有しているディスク枚数も少ないですし、この曲の場合にはムラヴィンスキーにステレオ録音が残されていない為に、自分としてはどのCDをとっても「帯に短し、襷に長し」といったところです。そこで、もし誰かにお勧めするならオーケストラにロシアの味わいが感じられて、録音の良いものという理由からアシュケナージ/サンクトペテルブルク・フィル盤が残ります。

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2022年4月17日 (日)

クリストフ・エッシェンバッハ指揮NHK交響楽団 マーラー 交響曲第5番


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最近は演奏会へ行く機会が減りましたが、これだけは聴き逃せないと出かけたのが今日のN響定期でした。現役の指揮者で一番好きなエッシェンバッハが指揮するマーラーの5番です。
東京芸術劇場の1階席という条件が幸いして、素晴らしい管弦楽の響きを楽しめました。昨年のマエストロの「復活」ではNHKホールだったので残念ながら、響きの凄さが届いてきませんでしたので。

さて、N響の5番を聴くのは20年以上前のデュトワ以来の記憶(汗)ですが、うねるような激しさと管弦楽の色彩感が素晴らしかったデュトワとは全く違った今回のエッシェンバッハの演奏です。一言で言って虚飾のない、曲に真摯に向き合う演奏。テンポの激変や派手な表情づけは避け、サウンドも弦楽の上に管楽を乗せるドイツ的な音作りです。なので良く鳴っていてもハーモニーが美しく、騒々しく成りません。でも演奏の底力も聴き応えも充分にあります。管の各ソロは非常に上手いですし、弦も上手い。しいて言えばファーストVnはもう少し艶っぽさを望みたかったかも。その点でチェロは最高でした。音にも表情にも惚れ惚れされっぱなし。TOPの辻本さんが前日の演奏の後に「マエストロに楽器をいい子いい子された」と言っていたのがわかります。(笑)

この曲はかつてパーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送響とサントリーで演奏したのを生で聴きましたが、それは手練手管の限りを尽くして、面白いこと極まりない造り物めいた(でも素晴らしい)演奏でしたが、今日のエッシェンバッハはそうした印象は全く受けずに、ドイツ音楽としての王道を堂々と行き、結果としてマーラーの音楽を一段上に引き上げて格調の高ささえ感じさせる(でも熱量はかなりの)素晴らしさでした。

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2022年4月13日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番ホ短調 Op.93 名盤

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奇しくもこのブログでショスタコーヴィチの交響曲を取り上げ始めたのとロシアのウクライナへの軍事侵攻とが重なってしまいました。今も毎日届く悲惨な報道が終息するのは一体いつになることでしょう。 

それにしてもショスタコーヴィチの多くの作品は、聴いていると余りの緊張感で息が出来なくなり、凍り付くような感覚に襲われてしまいます。それというのも、この人はソヴィエト時代に生きた音楽家として、独裁政権により弾圧される恐怖や戦争の悲惨さを常に感じながら作曲を行っていたからに他ならないでしょう。 

これまでも書きましたが、自分はショスタコーヴィチの音楽をことさらに愛好するわけではありません。けれども現在のウクライナのような悲惨な状況を見ていると、なにか「聴かねばならない」という気持ちにさせられます。 

交響曲第10番ホ短調 作品93はショスタコーヴィチが1953年に作曲した交響曲です。 

ショスタコーヴィチは第二次大戦が終わって直ぐに交響曲第9番を作曲しましたが、その曲を聴いたスターリンがベートーヴェンの第九のような作品を期待していたのに全く違う、軽く、ふざけたような作品であった為に激怒したことでジダーノフ批判の原因となってしまい、しばらく作品の発表が出来なくなります。その為、第9番の発表から交響曲第10番が発表されるまでには8年の間が空きました。 

ショスタコーヴィチは弟子に宛てた手紙の中で「戦争三部作の真の完結編は,第9番ではなくこれから作る第10番だ」と書いています。また、作品発表後の討論会では「私は人間的な感情と情熱とを描きたかった」「この作品は欠点が多いがそれでも可愛いものだ」と述べています。

一方で、『ショスタコーヴィチの証言』では「あれは、スターリンとスターリンの時代について書いたものであった」「第2楽章は音楽によるスターリンの肖像である」とも書かれています。 

曲の初演は1953年にムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルによって行われましたが、ソヴィエト国内では、またしても作品の評価は賛否両論に分かれたそうです。

個人的には第7番や第8番のほうが優れた作品だとは思いますが、それでも聴き応えのある交響作品の一つであることは間違いないです。 

<曲の構成>
ショスタコーヴィチのドイツ語のイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われます。この音型は、「スターリンの肖像」とされた第2楽章までは登場しませんが、第3楽章で現れると第4楽章で頻繁に使われることから、スターリンの体制が終焉し、解放された自分自身を表現しているのだという説も有ります。 

第1楽章 モデラート ホ短調 3/4拍子 ソナタ形式全曲の半分近くを占める長大な楽章ですが、独裁による弾圧への恐怖、戦争の悲惨さが一貫して感じられます。 

第2楽章 アレグロ 変ロ短調 2/4拍子 スケルツォ『ショスタコーヴィチの証言』によれば、「音楽によるスターリンの肖像である」とされている短い楽章です。また、第1主題はムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の冒頭に似ていて、暴君の圧政を表したものと読み取れます。実際に音楽が暴れまくります。 

第3楽章 アレグレット ハ短調 3/4拍子 三部形式
ワルツですが、どことなく暗さや不安な雰囲気を持ち、気持ちが晴れることは有りません。 

第4楽章 アンダンテ-アレグロ ロ短調-ホ長調 6/8 - 2/4拍子 ソナタ形式
序奏は低弦による暗い音楽ですが、主部に入ると力強く明るく転じます。それが展開部以降は狂気さえ感じさせて、コサック軍団の荒々しい疾走となり、その頂点でD, S, C, Hがトゥッティで鳴り響きます。何度もこの音型が繰り返されると、最後は輝かしく強奏されて終わります。 

それでは所有しているCDをご紹介しますが、それほど多くは有りません。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。後述するムラヴィンスキーの壮絶な演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。長大な第1楽章では、激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、一方で弦楽の冷たい響きには、どこかロシアの土の香りが漂います。第2楽章のスピード感と緊張感も圧倒的です。終楽章も同様に凄いです。ただし録音については年代を考慮しても、高音域が硬く、強調されていて古さが感じられるのは残念です。 

Shostako10-xkh0yps7l_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976年録音/ERATO盤:メロディア原盤) レニングラード大ホールでのライブで、タコ・マニアのみならず、多くの人にこの曲の最高の演奏と評される名盤です。弦楽による凍り付くような悲しみの深さは底無しであり、そこには神秘感が一杯に漂います。そして金管や打楽器の凄まじい音も言葉には到底出来ず、壮絶の極みと言えます。それは単なる大音量とはまるで次元が異なります。この凄演に迫るのは、せいぜいコンドラシン盤ぐらいでしょうか。つくづく凄い時代であったと思い知らされます。録音も当時のムラヴィンスキーのライブとしては良好で、中低域の厚さやバランスも悪くありません。これは‘76年3月3日の演奏記録ですが、他に録音品質が落ちるという3月21日の演奏も存在します。 

Shosta51phcu7smul_ac_ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1981年録音/グラモフォン盤) カラヤンはショスタコーヴィチの録音はこの第10番しか残していません。オイストラフに「ショスタコーヴィチの交響曲を演奏するなら何番が良いか?」と尋ねた時の答えがこの曲だったというエピソードが有ります。1969年のベルリン・フィルのソヴィエト公演の際にはショスタコーヴィチ本人とムラヴィンスキーの前で演奏しました。ショスタコーヴィチは「これほど美しく演奏されたのは初めてです」と感想を述べ、ムラヴィンスキーは「実に感動しました。しかしあなたは自身の演奏をレコードで聴くべきです」と述べました。二人とも本心ではどのように思っていたのか興味津々というところです。カラヤンの録音にはそのソヴィエトでのライブ、‘66年および’81年のグラモフォン盤と3種有りますが、所有するのは最後の録音です。世界一の名器を鳴らしに鳴らした派手な演奏ですが、作曲者とムラヴィンスキーの感想を思い出しながら聴くと面白いです。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集の演奏はナショナル響が大半ですが、ロンドン響が4曲、モスクワ・アカデミー響が1曲あります。この第10番はロンドン響が担当しています。ロシアやアメリカのオケのように金管が突出しない暗い響きは地味ですし、凍り付くような空気感やロシアの大地の土臭さも薄目ですが、全体のスケール感や気宇の大きさは素晴らしいです。これはロストロポーヴィチの作曲者の音楽への理解と敬愛以外の何ものでもないと思います。録音も優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1996年録音/ブリリアント盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人バルシャイの残した交響曲全集に含まれる録音です。さすがにムラヴィンスキーやコンドラシンの壮絶さには及びませんが、作品への共感が滲み出た演奏はやはり感動的です。このドイツの優れた放送楽団にもバルシャイの意図が充分に浸透されていて、管弦楽の響きには冷たさや鋭さを持ちながら、こけおどしに陥らない緊迫感と迫力ある演奏を充分に楽しませてくれます。録音も優れていますし、それも含めればこの曲のお勧めディスクになります。 

以上ですが、この中からたった一つ選ぶとすれば、やはりムラヴィンスキー盤となります。また録音の優秀なものを選ぶならバルシャイ盤となります。

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