2012年5月25日 (金)

~子供は眠る~ シューマン 「子供の情景」op.15 名盤

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「眠る子供たち」 ワシーリー・ペローフ(ロシア)

僕は、どちらか言えばピアノ曲よりも、ヴァイオリンや室内楽を聴くことが多いのですが、ピアノ曲も決して嫌いなわけではありません。ベートーヴェン、ショパン、シューマン、シューベルトあるいはドビュッシーなんかも結構好んでいます。中でもシューマンの曲は、自分の肌に一番合っていると思います。明暗が余りはっきりとしないマーブル色の色彩の曲想に、とても惹きつけられるのです。

シューマンのピアノ作品の中では、とりわけ「幻想曲」「クライスレリアーナ」「交響的練習曲」の3曲を好んでいます。楽曲の充実感が群を抜いているからです。それ以外の曲で上げるとすれば、「幻想小曲集」が好きですが、もう一つ「子供の情景」も中々気に入っています。

「子供の情景」を聴いて思い出すのは、児童文学作家の森絵都(もり・えと)さんの短編小説「子供は眠る」です。主人公の中学生が、何人かのいとこたちと海の近くの別荘で夏休みを過ごす話ですが、別荘の持ち主の家の年長のお兄さんが、毎晩、「音楽鑑賞の時間だぞ」と言って、みんなに無理やり「子供の情景」のレコードを聴かせます。ですので、みんなはすぐに眠くなってしまい、最後まで聴き通せないのですが、その時の子供たちの様子や別荘での生活ぶりが、詩情豊かに描かれていて、大変ほのぼのとした気持ちになります。

さて、「子供の情景」は、全部で13曲から成ります。

「知らない国々」「珍しいお話」「鬼ごっこ」「おねだり」「満足」「大事件」「トロイメライ(夢)」「炉辺で」「木馬の騎士」「むきになって」「おどかし」「子供は眠る」「詩人のお話」

これらはすべて3分以内、短いものは30秒ほどの小曲ばかりです。子供のためのアルバム、と言えるのでしょうが、単に子供に弾かせるためのピアノピースということではありません。大人が自らの子供時代の回想をしているような趣が有ります。シューマン自身も、クララから「ときどき、あなたは子供に見える」と言われた言葉の余韻の中で作曲をしたそうです。シューマン特有の光りと影のまだら模様の雰囲気が、全曲に共通して感じられます。

第6曲「トロイメライ」は最も有名で、美しさの極まった名曲ですが、こういう曲は演奏が案外難しいと思います。情緒を感じさせてくれなくては話になりませんが、かといって余りにゆっくり思いを込め過ぎても、もたれてしまい旋律線があやふやになります。いくら「夢」だといっても、それは困ります。

第12曲「子供は眠る」は、子供の寝ている姿を眺めて幸福感に浸るというよりも、「大人になってしまった自分は、もう二度と幸せな子供の頃には戻ることが出来ないのだなぁ」という寂しさや哀しさを感じます。この曲と、それに続く終曲「詩人のお話」は、いかにもシューマンらしい沈滞した雰囲気に包まれています。

それでは、この曲の愛聴盤のご紹介です。

51lod210vsl__ss500_ ウラジーミル・ホロヴィッツ(1969年録音/CBS SONY盤) ホロヴィッツの弾く「クライスレリアーナ」は最高でしたが、「子供の情景」にも一切手を抜きません。ピアノタッチが明瞭で、音符の全てが光り輝いています。とても子供のためのアルバムどころではありません。「トロイメライ」の美しさも際立っています。それに比べると、最後の2曲は、意外にあっさりと流れてしまい、もう少し余韻を感じさせてくれても良かったように思います。

61ez9sietxl__ss500_ ウィルヘルム・ケンプ(1972年録音/グラモフォン盤) ケンプの演奏は、少しもヴィルトゥオーゾ的で無いので、曲によっては物足りなさを感じることが有ります。もちろんそれは、この人の魅力の裏表なのですが。その点、この曲では、少しも物足りなさを感じません。老ケンプが、子供時代に馳せる思いを淡々と弾き表す姿には、とても心を打たれます。特に「子供は眠る」から「詩人のお話」へと続く終曲では、何と深い感動に包まれることでしょうか。

51mmmcehxil__ss500_ マルタ・アルゲリッチ(1983年録音/グラモフォン盤) アルゲリッチにしては、案外淡々と弾いています。それでもテンポや音の強弱にメリハリが適度に効いていて、バランスの良さを感じます。僕が彼女の演奏でしばしば気に入らない原因となる「あざとさ」を少しも感じさせません。但し「トロイメライ」は、弱々しくのっぺりし過ぎで物足りません。逆に最後の2曲では深々と余韻を感じさせてくれます。ピアノ演奏は難しいものです。

この3つの演奏はどれも特徴が有りますが、全曲を聴き終わった後に、一番「良かったなぁ」と思わずにいられないのは、ケンプです。特に最後の2曲の良さが光ります。終わりよければすべて良しですが、この曲の場合には特にそう感じます。

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2012年5月23日 (水)

~燃える闘魂~ アントキノ・イノキ

今回は、音楽とは、ちょっと違うお話です。

Inoki昨年末のことですが、書店で「燃えろ新日本プロレス~至高の名勝負コレクション~」というDVD付の本を購入しました。

なにしろ、僕らが子供の頃には、プロレスリングの人気が凄かったです。力道山時代は、かすかな記憶しかありませんが、ジャイアント馬場時代になると大変に熱中しました。

そんな僕が中学生の時ですが、学校の放課後に同級生と二人で、東京体育館へ日本プロレスの「第11回ワールド・リーグ戦」の優勝決定戦を観に行ったことがありました。1969年5月のことです。
その時には、ジャイアント馬場とボボ・ブラジル、アントニオ猪木とクリス・マルコフの2試合が決勝の形となり、馬場がブラジルと時間切れ引き分けになり、猪木がマルコフを必殺技卍固めで破ったために、猪木の優勝となりました。実は、この試合は非常に大きな意味を持ち、それ以後はアントニオ猪木はジャイアント馬場と並び立つ存在となり、馬場&猪木時代になったからです。二人は対照的で、スケール大きく動きのゆったりとした馬場に比べて、猪木はスピーディで躍動していました。馬場がクレンペラーなら、猪木はクライバーです。また、数少ない必殺技がお決まりだった馬場に比べると、猪木は多彩な必殺技を次々と見せてくれて、まさに技のデパートでした。

その後、猪木は日本プロレスから独立して、異種格闘技戦として柔道金メダリストのルスカやボクシングのモハメド・アリらと戦って大きな話題となりました。そして、新日本プロレスを立ち上げて、ここでIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)という大きな大会を開催して、空前絶後の盛り上がりを見せたのです。購入したDVDはこの新日本プロレスの名勝負をコレクション化したものです。

この頃の、プロレスは子供も大人も大いに楽しませたと思います。プロレスというと、よく真っ赤な血を流すシーンが有るので、特に女性などには嫌う人も多いと思いますし、男性でも「あんなものはシナリオの有るショーだ。」と言って冷ややかな人も多かったです。でも、ショーで良かったのです。鍛え抜かれた肉体と肉体が、がっちりと組み合い、お互いに技を出し合い、受け合うさまが、まさに男のワンダーランドなのです。その後にはK-1の大ブームが起こり、一世を風靡しましたが、あのころのプロレスの楽しさは格別でした。今でも決して忘れられません。あんときの猪木は正に僕らのスーパーヒーローだったのです。

その初刊DVDを、観戦しました。収録されているのは次の4試合です。

①アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン(1983年 IWGP決勝戦)

②アントニオ猪木 VS 前田 明(1983年)

③タイガー・マスク VS ダイナマイト・キッド(1981年)

④アンドレ・ザ・ジャイアント VS スタン・ハンセン(1981年)

いやー、どれも懐かしくて、感無量です。
①猪木VSホーガンでは、猪木が試合中に失神してホーガンに敗れてしまいますが、両者の白熱の攻防には大満足です。敗れてなお、猪木の凄さが思い知らされるというものです。
③は初代タイガーマスクのセンセーショナルなデビュー戦です。まさか子供の頃に見た人気アニメさながらのレスラーが本当に戦う姿が観られるとは思いもしませんでした。
④アンドレ・ザ・ジャイアントVSハンセンは超重力級レスラー同士の激突ですが、これほどのド迫力の試合は後にも先にも観たことは有りません。

これらは至高の名勝負の名に恥じない素晴らしい試合ばかりですが、それを大いに盛り上げた若き古舘伊知郎の熱いアナウンスが実に懐かしかったです。

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2012年5月19日 (土)

~ピエタ~ ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「調和の霊感」op.3 愛聴盤

4591122670アントニオ・ヴィヴァルディは、25歳で司祭になりましたが、赤毛であったため、「赤毛の司祭」と呼ばれました。また、同じ年にヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院のヴァイオリンの教師となり、合奏と作曲を教えました。

ピエタ慈善院というのは、孤児や捨て子を養育するために設立された慈善機関です。男の子は大きくなるとここを離れることに決められていましたが、女の子は結婚しないかぎりは生涯をここで暮らしました。但し、音楽の才能が認められた女子は、付属する音楽院の合奏、合唱団の一員になることができ、彼女らの開くコンサートの収入は慈善院の運営を支えていました。特にヴィヴァルディが楽長に就任してからは技量が飛躍的にアップして、広くヨーロッパから客が集まったそうです。ヴィヴァルディの愛弟子であるヴァイオリニストのアンナ・マリーアは最も有名で、ヴィヴァルディがピエタを去った後には音楽院の楽長を継ぎました。現在、ピエタ慈善院は存在せず、代わりに「慈悲の聖母マリア児童施設」というのが有るそうです。

ヴィヴァルディは40年近くもの間、ピエタに多くの楽曲を提供しましたが、その中で良く知られているのは、作品3の「L’estro Armonico」(「調和の霊感」もしくは「調和の幻想」とも)です。この12曲のヴァイオリン協奏曲から成る曲集は、アムステルダムの出版社から出版されてヨーロッパ中で爆発的な人気を呼びました。どの曲も、とても親しみ易く、ヴェネチアの潮風に吹かれるような心地よさを感じます。第6曲イ短調は、ヴァイオリンの入門者が必ず学習する曲ですが、これが意外に味のある名曲です。第10曲ロ短調も、ラジオでよく耳にする名曲です。全曲を通して聴くと、親しみ易い反面、聴き応えに欠ける印象を受けるかもしれませんが、理屈抜きで音楽の美しさを楽しめる名曲集だと思います。

後年、ヴィヴァルディは、ウイーンに行って、オペラ公演を開こうとしている間に病気で亡くなりますが、ピエタから失われてしまった一枚の楽譜をめぐるミステリー仕立ての小説「ピエタ」を大島真寿美さんが書いています。物語の中には、ピエタの日常や、アンナ・マリーアが才能を開花させてゆく様子などが、詳しく描かれています。何よりも素敵なのは、全編にわたって彼女たちが「調和の霊感」を演奏する音が聞こえてくるかのようなのです。この小説はミステリーとして読むには、物語がゆっくりと進むので、緊張感に不足するように感じられるかもしれませんが、最後に明かされる秘密には、何とも言えない心の癒しと幸福感を呼び起こされます。

~ほんとうに、ほんとうにわたしたちは、幸せな捨て子だった~

そんな言葉が、心の奥底に沁み込んで来ます。

さて、最後に「調和の霊感」の愛聴盤をご紹介しておきます。

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イ・ムジチ合奏団、ロベルト・ミケルッチ(Vn独奏)(1962年録音/フィリップス盤)

ヴィヴァルディとあっては、イ・ムジチを抜かすわけには行きません。僕の持っているのは何種類かあるうちのミケルッチ盤です。この人は、アーヨの後任としてイ・ムジチのリーダーとなりましたが、ずっと演奏がスマートでした。その為に、当時は何となく物足りなさを感じたものですが、現在聴くと後年のイ・ムジチの演奏に近いすっきりとした味わいを感じます。それでいて、過度にカッチリとし過ぎない、良い意味での「緩さ」が感じられるので、この曲集の場合は、むしろ好ましく思われます。ピエタの音楽院の「幸せな孤児たち」が楽しみながら演奏しているイメージが湧いてきて、聴いている自分も思わず幸せな気持ちになります。

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イタリア合奏団、ジョヴァンニ・グリエルモ(Vn独奏)(1988年録音/DNNON盤)

かつては、ローマ合奏団の名称で活動していたこの団体は、アンサンブルが極めて優秀です。第1ヴァイオリンをグリエルモだけでなく、3人が交代に弾くほどに、各メンバーの技術が優れています。現代楽器を使用していますが、演奏のテンポは速めですっきりと洗練されていて、古めかしさは少しも感じさせません。独奏ヴァイオリンの曲も素晴らしいですが、4台のヴァイオリンのための曲が非常に聴きごたえがあります。但し、少々上手過ぎて、ピエタの音楽院の演奏というイメージは余り湧いてきません。

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2012年5月18日 (金)

~海峡を渡るバイオリン~ 陳昌絃さんの思い出

一昨日の新聞に小さく訃報の記事が有り、思わず目に留まりました。

ヴァイオリン制作者の陳昌絃(ちん・しょうげん)さんが13日にお亡くなりになられたそうです。陳さんは、戦前に日本の統治下にあった朝鮮半島から日本に渡り、独学でヴァイオリンの制作に励み、1976年には米国の楽器制作コンクールで優勝し、ついには世界に5人だけという無鑑査マスターメーカーに認定されました。世界的に高い評価を得て「東洋のストラディバリ」と呼ばれました。陳さんの半生は「海峡を渡るバイオリン」というテレビドラマになって放送されましたので、ご覧になられた方も多いと思います。

実は僕の所有しているヴィオラは、陳さんの手によるものです。といっても、新制作ではなく、ドイツから輸入された普及品に陳さんが手を加えたものです。陳さんの工房は昔から東京の仙川に有って、いまから約35年前、大学のオーケストラに初心者として入部した自分は、友人からの紹介で陳さんの工房を訪れて、その楽器を格安で譲って頂いたのでした。

その時の陳さんのお話が非常に印象的でしたので、今でも耳にはっきりと焼き付いています。

「良い楽器は耳元では、余り鳴っていないように音が小さく感じられます。けれども遠くに離れると、実はよく聞こえるのです。反対に、悪い楽器は耳元ではよく鳴るが、遠くにまで音は届きません。」という内容でした。

その時には、正直「ふーん、そんなものかなぁ」と半信半疑でしたが、それから僅か数年後に陳さんは世界的なコンクールで優勝されたので、「やはり本当だったんだなあ」と一人で納得したものです。

陳さんのヴィオラは今でも家に有りますが、なにしろ弾かなくなって10年以上も経ちます。陳さんの訃報を知って、久しぶりに楽器を手にしたくなりました。この週末は、楽器を弾きながら名ヴァイオリン制作者を偲ぼうかと思っています。

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2012年5月11日 (金)

~名曲シリーズ~ ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調op47「クロイツェル」 名盤

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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番に「クロイツェル」というタイトルが付けられているのは、この曲が当時のフランスの名ヴァイオリニスであるルドルフ・クロイツェルに捧げられたからです。ベートーヴェン以前のヴァイオリン・ソナタというのは、「ヴァイオリンを伴うピアノ・ソナタ」と呼ばれたように、とても優雅で、音楽好きな貴族のために書かれたような雰囲気を持っていました。ところが、この曲ではピアノとヴァイオリンが、まるで格闘でもするかのような激しさを持って両者譲らず競い合います。

ロシアの文豪トルストイは、この曲に影響されて、小説「クロイツェル・ソナタ」を書きました。ヴァイオリニストの男への嫉妬心がもとで妻を殺してしまう主人公の独白という形で物語は進んでゆきますが、その中で、彼の妻はピアノを弾き、この曲をヴァイオリニストと共演します。そして主人公はこの曲の第1楽章について、「これは貴婦人の前で演奏してはいけない曲だ」と述べます。貞節な淑女の心をも挑発してしまう恐ろしい曲だ、ということを言いたかったのです。

また、モラヴィアの作曲家ヤナーチェクは、そのトルストイの小説を読んで大きな衝撃を受けて、弦楽四重奏曲「クロイツェル・ソナタ」を書きました。

ブリネという画家も、やはりトルストイの小説に刺激されて、同じタイトルの絵を書きました(上の写真です)。愛欲に憑りつかれた男と女という、いかにも妖しい雰囲気の漂ってくる絵ですね。

というように、ベートーヴェンの書いた曲が、次々と連鎖を生んで行きます。それほど想像力を掻き立てられる名曲だと言えるのでしょう。

第1楽章アダージョ・ソステヌート-プレスト 荘重なアダージョの導入が終わるとプレストに突入して、余りの激しさに息をつく間を与えません。これには貴婦人ならずとも、強く感情を揺さぶられることでしょう。

第2楽章アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ トルストイは、この楽章についても小説の中で主人公に語らせています。それは「美しいが月並みで新味がない」のだそうです。随分と手厳しいですね。確かに平凡な演奏では、それは事実なのですが、優れた演奏で聴いた場合は、実に高貴な音楽になると思っています。

第3楽章プレスト この楽章にはトルストイは更に「極めて出来が悪い」とまでこきおろしています。もちろん第1楽章に比べると平凡な印象は有りますが、この楽章も演奏さえ良ければ中々に面白く聴けると思っています。

この曲は、やはり第1楽章の魅力が全てです。そこで、女性の方に是非お尋ねをしてみたいと思うのですが、もしも男性のヴァイオリニストに目の前でこの曲を演奏されたら、心が乱れますか? それでしたら、僕も弾いてみたいところですが、残念ながら僕の楽器はヴィオラです。「スプリング・ソナタ」ならば、ヴィオラ編曲版で友人にピアノをひいてもらって弾いたことは有りますが、「クロイツェル・ソナタ」では、まったりしたヴィオラで弾いても淑女の心を乱すのはちょっと無理でしょうね。(しょんぼり)

さて、馬鹿な事を言っていないで、僕の愛聴盤のご紹介です。

Cci00061b ブロニスラフ・フーベルマン(Vn)、イグナツ・フリードマン(Pf)(1930年録音/EMI盤) 20世紀最大のヴルトゥオーゾ、フーベルマンこそはトルストイの書いたヴァイオリニストのイメージに最も近いのかもしれません。即興的な歌い回しや艶めかしいポルタメントのオン・パレードで、テンポの崩しもへいちゃらです。妖艶なこと、この上ありません。フリードマンのピアノもフーベルマンと息がぴったりです。録音年代の割には音がしっかりしていますので、鑑賞には支障ありません。

Shigeti8ヨゼフ・シゲティ(Vn)、ベラ・バルトーク(Pf)(1940年録音/ヴァンガード盤) シゲティは大好きなヴァイオリニストですが、共演がバルトークという歴史的演奏です。但し古いライブ録音ですので音質には余り期待できません。二人ともハンガリー人ですのでマジャール民族の熱い血を想わせる白熱の演奏です。シゲティはまだ晩年のボウイングの衰えは見せていませんし、気迫が凄まじいです。やはりこの曲はこういう男性的な演奏で楽しみたいものです。

379アドルフ・ブッシュ(Vn)、ルドルフ・ゼルキン(P)(1941年録音/NAXOS盤) この曲の一番凄い演奏は誰か。フーベルマン?シゲティ?ハイフェッツ?違います。僕なら、迷うことなくアドルフ・ブッシュが第二次大戦中にアメリカに渡って残したこの演奏を上げます。第1楽章では、若きゼルキンの素晴らしいピアノと共に、阿修羅のごとく燃え上がる演奏を繰り広げています。これには淑女ならずとも、いかなる冷静な紳士でも興奮させられてしまうでしょう。一転して、2楽章の高貴さはどうでしょう。この楽章が決して美しいだけの音楽では無いことを証明しています。これぞ偉大なるドイツの魂です。鑑賞するには昔の米CBSのアナログ盤が良いのですが、CDではNAXOSレーベルがSP盤の板起しで復刻しています。これは中々に力強く明瞭な音で聴くことが出来ます。biddulphレーベルも優れた板起こしで定評が有りますが、この復刻盤は未聴です。

Betocci00015_2 ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、ヴィルヘルム・ケンプ(P)(1952年録音/グラモフォン盤) ウイーン出身のシュナイダーハンは、とても好きなヴァイオリニストです。少しもヴィルトゥオーゾっぽく無いところが良いです。このコンビの「スプリング・ソナタ」はステレオ盤以上に魅力的でした。但し「クロイツェル」の場合は、1楽章が迫力不足に感じます。音程やフィンガリングにも、僅かの箇所ですが、おや?と思うところが有ります。従って、この曲の場合は、後述のステレオ盤に軍配を上げたいと思います。

Beethoguryucci00015 アルトゥール・グリュミオー(Vn)、クララ・ハスキル(P)(1957年録音/フィリップス盤) アルトゥール青年とクララおばちゃまのコンビは非常に品格を感じさせるので、トルストイの書いたような荒々しさは感じません。青年紳士と貴婦人の二重奏というところでしょうか。それでも彼らのモーツァルト演奏とは、また異なる男性的な印象も受けます。若きグリュミオーのヴァイオリンは切れが良く、躍動感が有って素晴らしく思います。ハスキルも、いぶし銀の音色がまた素晴らしいですが、案外と力強さも感じさせます。第2楽章も抒情的でとても美しいです。

636 ヘンリク・シェリング(Vn)、アルトゥール・ルービンシュタイン(P)(1958年録音/RCA盤) 移住先のメキシコで音大の教師をしていたシェリングの演奏を聴いて、余りの上手さに驚いた同じポーランド出身のルービンシュタインがシェリングを世に知らせるために共演した録音です。導入のアダージョから、あのバッハの「無伴奏」のような荘重で美しい和音が響きます。プレストでは、イン・テンポで格調の高さを感じますし、テクニックは完璧、気迫も相当なものです。シェリングに触発されたのか、ルービンシュタインがいつになく真剣で力強い音を響かせています。両者のアンサンブルも見事の一言です。2楽章も気品が有って、変奏部分でも少しも退屈になりません。これほど音楽的に充実した演奏は稀だと思います。

726ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、カール・ゼーマン(P)(1959年録音/グラモフォン盤) 昔、アナログ盤で愛聴しましたが、現在はCDの全集で聴いています。特に第1楽章の出来栄えが非常に素晴らしく、「クロイツェル」に関しては、モノラル盤よりもステレオ盤を取ります。技術的にも進歩していて完璧です。ゼーマンのピアノも力強くて良いです。欠点は2楽章の気高さに少々不足することですが、1、3楽章の魅力がそれを補っています。

225ダヴィド・オイストラフ(Vn)、レフ・オボーリン(Pf)(1962年録音/フィリップス盤) オイストラフはシゲティとは逆に楽器から美音を引き出して温かみのある演奏を聴かせます。それが「スプリング・ソナタ」では魅力を感じたのですが、この曲の場合には場違いに聞こえます。どこまでも楽天的で、音楽と闘争するような印象は皆無です。上手いことは確かなのですが、変なところでポルタメント気味に音を引っ張ったりと違和感を与えます。オボーリンのピアノもぬるま湯的で締まりに欠けています。

Beethocci00016 カール・ズスケ(Vn)、ワルター・オルベルツ(P)(1969年録音/シャルプラッテン盤) かつてベルリン弦楽四重奏団(後にズスケSQに改名)の第1奏者として生で聴いた音に近い、緻密で瑞々しい演奏です。他の大ソリスト達に比べると幾らかスケールの小ささを感じますが、室内楽的な緻密さとキレの良さが彼らの魅力なのでしょう。速めのテンポで追い込んでゆく迫力にも不足しませんし、オルベルツのピアノはズスケと息がピタリと合っていて好演だと言えます。

1198031330 ユーディ・メニューイン(Vn)、ヴィルヘルム・ケンプ(P)(1970年録音/グラモフォン盤) メニューイン50代半ばの録音で、「スプリング・ソナタ」が非常に好きでしたが、この「クロイツェル」も素晴らしい演奏です。初めはおっとり刀で始まったかと思って聴いているうちに、じわじわと増してゆく気迫に飲み込まれてゆきます。何という大きな音楽なのでしょう。美音にはほど遠いヴァイオリンですが、綺麗ごとでは無い真実味を感じます。2楽章も高貴さがあって少しも飽きさせません。ケンプのピアノは外面的な迫力は幾らか不足気味ですが、大家ならではの長年の間に熟成されたような深い味わいに満ち溢れています。

Bcd9165ヘンリク・シェリング(Vn)、ゲリー・グラフマン(P)(1970年録音/BRIDGE盤) シェリングのアメリカでのライブ録音です。この人はスタジオでもライブでもテクニックや造形の完璧性に違いは有りません。とは言え、59年の録音に比べると、ほんの僅かにロマンティシズムと即興性、そして熱気が加わっている印象です。どちらを好むかは人によるでしょうが、どちらも最高度に素晴らしい演奏だというのは間違いありません。グラフマンのピアノは、男性的な迫力が充分で、ルービンシュタインの品格には及ばないものの優れています。録音は優秀です。

41k49wvcpkl__sl500_aa300_ギドン・クレーメル(Vn)、マルタ・アルゲリッチ(Pf)(1994年録音/グラモフォン盤) この二人のシューマンのソナタの演奏は好きなのですが、この「クロイツェル」のほうは余り好きではありません。演奏をリードしているのは明らかにアルゲリッチですが、表現意欲が旺盛すぎて、逆に煩わしさを感じてしまいます。このように変化球多用の演奏は、ベートーヴェンではどうかなと思ってしまいます。もっとストレート球で勝負して欲しいのです。但し、これは僕の感覚ですので、これがお好きなファンも多いと思います。

これ以外では、ヴァイオリンの魔人ハイフェッツのライブによる演奏が有ります。唖然とするほど上手いのですが、僕はこの人の演奏が何となく苦手です。おそらくブッシュのように、魂が燃え尽きてしまうかのような感覚が得られないからだと思います。

また、我が愛しの諏訪内晶子さまも録音をしていますが、購入はしていません。もしも、あの美しい晶子さまに妖艶に弾かれたら、この貞節な心をかき乱されてしまうのが目に見えているからです。「キケン!キケン!」(←宇宙家族ロビンソンのロボット、フライデー)

というわけで、さすがにこの曲には名演奏が揃っていますが、ベートーヴェンの魂に最も肉薄している演奏としては、何を置いてもブッシュ/ゼルキン盤を上げたいです。次点にはシェリングの2種類、それに個人的にはメニューイン/ケンプ盤を上げたいです。あとはシュナイダーハン/ゼーマン盤、ズスケ/オルベルツ盤が、中々に捨てがたいところです。

さて、皆さんの心をかき乱される演奏はどれでしょうか?

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2012年5月 5日 (土)

峠の我が家 ~丹沢山麓より~

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昨年のゴールデンウイークに、長年住み慣れた東京都内から神奈川県の厚木市に引っ越しをしましたが、それからちょうど1年が経ちました。我が家は車がひっきりなしに通る幹線通りから、裏通りに一歩入った静かな住宅街に有りますが、住み始めてから数日経った休みの日に、ぶらりと家の裏側の方面に散歩に行って、えらく驚いたのです。ものの5分も歩かないうちに、景色が激変して、まるでどこかの田舎にワープしたかのようなのです。もちろん丹沢山系の麓とは認識していましたが、これほど近くに自然が有るとは全く気が付きませんでした。元々田舎の好きな自分ですので、こりゃ良い場所に越してきたなぁと嬉しくなりました。冬になると山の上は雪で白くなり、春には緑の野山が一望できます。休みの日には愛犬を連れて散歩をするのが大きな楽しみです。すっかりGWらしい良い天気になった今朝、散歩をしながら上の写真を撮影しました。

一応、音楽日記ですし、せっかくなので好きな1曲のご紹介を。「峠の我が家」です。アメリカのフォークソングですが、原題は「Home on the range」ですので、直訳すると「平原の我が家」になりそうです。この曲は古い歌ですので、色々な人が歌っています。ピート・シーガーのカントリー調の歌も良いですが、大歌手フランク・シナトラの素晴らしい歌も大好きです。YouTubeで見つけましたので、どうぞ丹沢の写真をご覧になりながらお聴きください。
「峠の我が家」 歌:フランク・シナトラ

もう一人、本場のカントリーもので素敵な歌手を見つけました。これも素晴らしいです。
「峠の我が家」 歌:トム・ルーシュ

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2012年5月 4日 (金)

リヒャルト・ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」 名盤

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「パルジファル」はワーグナーの書いた最後の作品ですが、彼はこの作品を「歌劇」とも「楽劇」とも呼ばずに、「舞台神聖祝祭劇」と名付けました。それはこの作品が非常に宗教的な色合いが濃かったからです。更に、この作品の上演の際には、観客に拍手を行なわないように指示をしています。

ワーグナーは自分の作品を理想的な環境条件で上演するために、バイロイトに専用の劇場を建てました。有名なバイロイト祝祭歌劇場です。「パルジファル」は、この劇場で初演されました。この劇場は、オーケストラの演奏するピットが舞台の下に隠れていて客席からは見えないことが最大の特徴です。そのために観客は舞台に集中できるわけですが、オーケストラの音はこもって柔らく聞こえるようになります。

―劇の概要―

物語背景 キリストが十字架で処刑されたときに流れた血を受けた聖杯と、処刑に使われた槍(すなわち聖槍)をまつるために聖杯守護の騎士団を抱えることになったティトゥレル王が年老いたために、二代目のアンフォルタスに譲位をした。アンフォルタス王は、魔法を使って騎士たちを誘惑して信仰の王国を破滅させようとする魔法城の主クリングゾルを倒そうとする。ところが、クリングゾルの魔法にかかって妖女に変身したクンドリへの愛欲に迷わされ、聖槍を奪われたあげくに重傷を負わされてしまう。

第1幕 アンフォルタスは、負った傷を毎日のように湖の水で流すが、いつまでも癒されずにいる。王の傷が治るには、「同情により知を得る、清らかなる愚か者」が現れることが必要であった。

王に使える騎士グルネマンツは、森で育った愚直な若者パルジファルを見つけて、「この者か!」と思い、聖杯城の儀式を見せるが、何の興味も示さないので失望して、彼を城から追い出してしまう。

第2幕 パルジファルが森をさまよっているのを、魔法城のクリングゾルが見つけるが、同時に彼の使命を察知して、抹殺しようとする。魔法の園の美女たちがパルジファルに近づいて誘惑をしようとするが、彼はそれに全く反応しない。そこで妖女に変身したクンドリが「パルジファル待て!」と呼び止めると、彼は自分の名前を思い出す。クンドリが彼の母親の生涯について語り、母のように接吻をすると、パルジファルは自分の使命を思い出した。クンドリは一度だけでも彼と結ばれたいと哀願するが、パルジファルはそれを拒絶するので、激昂する。そこにクリングゾルが現れて聖槍をパルジファルに向かって投げつけるが奇跡が起こり、槍はパルジファルの頭の上で止まってしまう。パルジファルがその槍で十字を切ると、魔法の城と園は跡形もなく消え去ってしまい、クリングゾルも姿を消す。

第3幕 さまよい続けたパルジファルは鎧を身にまとい、聖金曜日の朝に、聖杯の森に足を踏み入れる。既に老騎士となったグルネマンツが彼と出会うが、その聖槍を持つ騎士が、かつて自分が聖城に連れて行った若者であることに気が付いて驚き、再び聖城に連れて行く。聖城に入るとパルジファルは聖槍でアンフォルタス王の傷を治して、王の後継者となる。

「トリスタンとイゾルデ」が、官能の愛とエロスの世界だとすれば、「パルジファル」は、愛欲に打ち勝つ聖なる信仰の世界です。この二つのテーマこそは、およそ古代からの人間にとって最も重要なものではないでしょうか。はたしてワーグナーは、それぞれのテーマに最高の作品を残したわけです。

この最後の作品は、それまでの作品のような派手で豪華な音楽では無く、非常に地味で控えめな印象です。けれども、動機(ライトモティーフ)を使った音楽が物語の進行に有機的にかかわり合ったり、曲ごとの番号オペラでは無く、音楽が切れ目なく無限旋律的に続いてゆく技法が実に精妙に駆使されていて、ワーグナーの音楽の完成形と言えるでしょう。もちろん物量的には、上演に4日間を必要とする「ニーベルングの指輪」のスケールが群を抜いていますが、作品の凝縮された質の高さとしては、僕はやはり「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」が双璧であると考えています。

そこで、僕の愛聴盤です。

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭歌劇場(1962年録音/フィリップス盤)

第二次大戦終結後にバイロイト音楽祭が再開された1951年から1964年まで、53年を除いて毎年、クナッパーツブッシュはこの曲の指揮台に立ちました。この巨人指揮者(実際の身長は高くはありません)が、ワーグナーの聖地で、どれほどカリスマであったかが良く分ります。音楽の精妙さだとか緻密さに於いては、これ以上の演奏はいくらでも有ります。けれども、これほど厳粛な雰囲気を感じさせる演奏は聴いたことが有りません。「前奏曲」や「聖金曜日の音楽」の敬虔な響きと表情は神々しいほどですし、「場面転換の音楽」から続く「騎士たちの合唱」での呼吸の深さと、怖ろしくなるほどの巨大さは如何ばかりでしょう。何よりも、聴衆に「聴かせよう」という演出効果に目もくれず、ただ我が道を行く素朴な指揮ぶりが、禁欲的なこの曲に実に良く似合います。録音は、他のスタジオ盤のクリアーな音と比べると、大分こもったような音に感じますが、実はこれが本来のバイロイトの音なのです。実際に生で聴いたことのない自分がこのようなことを書くのもおこがましいですが、30年前にバイロイトでこの曲を聴いたという信頼できる友人に聞いた話では、このクナ盤の音は、当時の実際のバイロイト歌劇場の音そのものであるそうです。24ビット化されたリマスター盤ではアナログLP盤と比べても遜色の無い優れた音質で聴くことが出来ます。正にワーグナー・ファンの最高の宝と呼べる演奏録音だと思います。クナの毎年の演奏のCDは、正規盤、海賊盤を含めると、数多く出回っていますので、マニアの間では、何年の演奏が良いとか、どの歌手が良いとか、色々と語られるでしょうが、バイロイトの音を忠実に鑑賞できるのは、このフィリップス盤のみですので、一般的には文句なく決定盤だと言えます。演奏中も聴衆の咳ばらいが頻繁に聞こえるのが欠点ですが、これも臨場感あふれるライブ録音だと思えば、気にならなくなります。

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ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭歌劇場(1970年録音/グラモフォン盤)

前述のクナ盤が有れば他は要らない、と言っても構わないのですが、それでは余りに偏ってしまうので、もう一つ愛聴している演奏が有ります。それが1970年のピエール・ブーレーズのバイロイトでのライブ盤です。これも昔、アナログ盤で聴いていましたが、しばらく聴かずにいました。それをCDで買い直して聴き直してみると、やはり素晴らしい演奏でした。クナッパーツブッシュに比べればテンポは相当速いですが、せせこましい印象は受けません。むしろ聴き易い良いテンポです。オケの響きはとても透明感があり、クナ時代の重厚な響きとはかなり異なります。ワーグナーの書いた精緻な音は、実はこのようであったのかと改めて認識させられます。ライト・モティーフの精妙、複雑なからみ合いが非常に聴きとりやすいので、音によるドラマが手に取るように理解できます。歌手陣も、クナ時代の歌手たちよりも、ずっと軽みの有る声で精妙に歌っています。これも歴史に残る名演奏だと思います。

この他では、クーベリック盤の評判が良いので以前から興味が有りますが、未聴です。

自分は、どう考えても「パルジファル」では無く「トリスタンとイゾルデ」の世界の側の人間??だと思いますが、この二つの作品には心の底から共感を覚えます。

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2012年5月 1日 (火)

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 クリスティアン・ティーレマン/ウイーン国立歌劇場盤

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クリスティアン・ティーレマン指揮ウイーン国立歌劇場(2003年録音/グラモフォン盤) 

ゴールデン・ウイークには、普段中々聴けないCDをじっくりと聴くのも大きな楽しみです。最近は、家でオペラを聴くことが少なくなっています。昔はCD(LP?)やビデオでもよく鑑賞したのですが、この頃は滅多に取り出すことが有りません。もちろん鑑賞に長時間が必要だということは有りますが、バッハの大作などの鑑賞をしているのですから、余り理由にはなりません。たぶん自分の中で、オペラは家でCD、DVDを鑑賞するよりも、劇場で生の舞台を鑑賞する方が愉しいという感覚が強くなっているのかもしれません。ただ、その割には、生の舞台で期待外れになることも少なくは無いので、結局のところ良くは分らないのですが。

ワーグナーも一通りの作品のディスクは有りますが、よく聴くのは「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」の二つだけです。それ以外は「指輪」も含めて、滅多に聴きません。

「トリスタン」については、以前、「トリスタンとイゾルデ 名盤」という記事で愛聴盤のご紹介をしました。その後、クリスティアン・ティーレマンが2003年にウイーン国立歌劇場で演奏したライブ盤を購入したのですが、きちんとは聴いていませんでした。今回、それを、ようやくじっくりと聴いてみました。

オーストリア放送協会による放送用録音ですので、スタジオ録音と比べると、どうしても緻密さや分離、ダイナミック・レンジの点で劣るかもしれません。但し、昔から放送録音を聴き慣れてきた耳には、スタジオ録音の人工的な音造りよりも、舞台が目の前に浮かぶ自然な音像がむしろ好ましく感じられます。

今からもう10年も前の演奏なのですが、カぺルマイスターとして地道にキャリアを積んできたティーレマンのオペラ指揮だけあって、実に堂に入ったものです。ワーグナーの傑作オペラだからといって妙に肩に力の入リ過ぎていない、のびのびとした指揮ぶりの印象です。テンポが特に遅いわけでも無いのに、何かゆったりと聞こえるのは、フレージングの良さでしょうか。カール・ベームの、あの極度の緊張感に包まれた壮絶な演奏とは異なります。と言っても、何も緩んだ演奏だということでは全く無く、1幕の結びや、3幕での緊迫した部分における迫力は中々のものです。けれども、最も印象に残るのは、オーケストラ、すなわちウイーン・フィルのしなやかで美しい演奏です。僕がこれまで愛聴してきた、ベーム盤はバイロイト管、フルトヴェングラーはフィルハーモニア管、バーンスタインはバイエルン放送響ですので、ウイーン・フィルの全曲盤は持っていませんでした。かのクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルの抜粋盤などを聴くと、「ああ、これが全曲盤であったらさぞや・・・」と思わずにいられなかったのです。もちろん、ティーレマンはクナッパーツブッシュではありませんが、このしなやかで艶の有る美しい響きは、やはりウイーン・フィルならではです。それに、表現力の素晴らしさも、最高の機能を持った歌劇場オーケストラならではの実力を、余すところなく示しています。トリスタンを歌うトーマス・モーザーは決して超人的なヘルデン・テナーではありません。けれども、恋に落ちてしまい、悲劇的な結末を迎える人間的な弱さを持ったトリスタンとして、魅力は充分です。イゾルデを歌うデボラ・ヴォイトも、若々しく美しい声が、恋に落ちる美女を想像させてとても良いです。これが、もしもDVDだと、彼女の恰幅の良い姿がアップで見えてしまうので、むしろ興ざめ??になりかねません。現実よりも、想像の世界の方が良いことは世の中によく有ることです。(笑)

全体として、ベームの迫力には及ばず、フルトヴェングラーの沈滞の深さにも及ばず、バーンスタインの濃厚なロマンティシズムにも及びませんが、ワーグナーの書いた管弦楽の美しさを、これほどまでに生かし切って、しかも愛と悲劇のドラマを充分に感じさせる演奏はこれまで無かったかもしれません。オリンピックであれば、種目別では他の選手にメダルを譲っても、団体総合で金メダルというところです。

補足ですが、このCDも各3幕が、1枚毎にぴったり収まっているので、鑑賞には便利です。

大好きな「トリスタンとイゾルデ」に、またまた愛聴盤が加わりました。やっぱ、人生は愛だわなぁ~(笑)

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2012年4月29日 (日)

ブラームス「ドイツ・レクイエム」 堀 俊輔/合唱団アニモKAWASAKI 演奏会

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ゴールデンウイークの初日、関東は初夏のような気候でした。そんな昨日、神奈川県の川崎にブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴きに行きました。主催は川崎市で活動するアマチュア合唱団、アニモKAWASAKIで、共催が東京交響楽団です。ご存じの通り、東京交響楽団は川崎のミューザ川崎でも定期的にコンサートを開いていますが、昨年3月の東日本大震災でホールが被災したために、その活動を一時的に横浜と、同じ川崎の教育文化会館に移しています。今日のコンサートも、その教育文化会館で開かれました。

合唱団アニモKAWASAKIを聴くのは今回が初めてでしたが、定期演奏会が今回で13回目。これまで、第九、荘厳ミサ曲、ヴェルディ「レクイエム」、マタイ受難曲、ロ短調ミサ、などの大曲を演奏してきているそうです。定常的にミューザ川崎で東京交響楽団と共演している、非常に恵まれた環境の合唱団なのですね。このような団体を地元に持っている川崎市の音楽ファンはとても幸せだと思います。

この合唱団の音楽監督は、堀 俊輔さん。「ヘルベルト・フォン・ホリヤン」の仮名?でも知られるプロ指揮者です。

今日のプログラムは、「悲劇的序曲」に続いて「ドイツ・レクイエム」という、ブラームス・ファンが大喜びしそうな曲目です。開演前には、ほとんど客席が埋まっていて、とても地域に密着しているのだなぁという印象です。

ステージ上にメンバーが上がって、見るとコンマス席には東響のソロ・コンサートマスターの大谷康子さんの姿が。相変わらず素敵です♡

さて、ホリヤンの棒の一振りで開始された「悲劇的序曲」ですが、僕はこの曲が大好きなのですねー。ブラームスらしい心の内面から揺さぶられるような劇的さと、中間部のロマン的で大きく歌われる愛の歌。10分ほどの曲で、これほど内容が充実している曲も珍しいように思います。演奏も、曲の良さを中々に引き出していて楽しめました。

メインの「ドイツ・レクイエム」ですが、この曲については拙ブログで、昨年の東日本大震災の直後に、~亡くなられた被災者の方へ~ という記事を書いたのですが、今日の会場には、その被災地から避難されて来られた方もいらっしゃったそうです。

この曲は、本当に素晴らしい曲です。通常レクイエムというと、カトリックの葬儀の典礼用の音楽ですが、この曲はブラームスが聖書から自分で選んだ言葉を音楽にしていて、死者の安息のためだけにではなく、この世に生き続ける者へ優しく慰める音楽になっています。

今日の演奏は、合唱団、オーケストラの皆さんの心がそのまま曲に乗り移ったような、美しくも慰めと生きる勇気を与えられるような感動的な演奏でした。僕は元々、どちらかいうとプロの洗練されて上手いコーラスよりも、アマチュアの真摯な歌声に惹かれる人間ですが、今日の歌声は正にそのような、心に響いてくる演奏でした。これは、普段、家で聴いているドイツの著名演奏家のCDで味わう演奏とはまた異なる、音楽の喜びを与えてくれます。独唱はもちろんプロである澤畑恵美さん(ソプラノ)と、青山貴さん(バリトン)でしたが、コーラスの感動を更に高めるような素晴らしい歌唱でした。そして、これら全体を統率した堀さんは、さすがに合唱曲を得意にしているだけあって見事でした。

来年の定期演奏会には、修復の終わるミューザ川崎でバッハの「ヨハネ受難曲」が予定されているようですので、是非また聴きに行きたいと思います。

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2012年4月22日 (日)

J.S.バッハ 管弦楽組曲全集 BWV1066~1069 名盤

バッハの「管弦楽組曲」は全部で4曲存在しますが、この「管弦楽組曲」という呼び名は元々は使われていませんでした。単に「序曲(Overtures)」とされていただけです。4曲とも、その「序曲」で開始され、そのあとに「クーラント」だの「ガヴォット」だの「メヌエット」だのと、短い曲が幾つか自由に並べられています。けれども、どの「序曲」も長大で、組曲全体の長さの約三分の一から半分をも占めますので、後ろに続く曲はなんだかおまけのようです。

これらの中で最も頻繁に単独でも演奏されるのは第3番の2曲目「Air」で、一般に「G線上のアリア」と呼ばれる曲です。この曲は本当に敬虔な美しさを湛えた曲ですし、その「序曲」も輝かしい曲で非常に良いのですが、全体の出来栄えとなると、やはり第2番が群を抜いていると思います。荘厳な序曲はまるで「マタイ受難曲」を想わせますし、ロンド、サラバンド、ブーレ―、ポロネーズ、メヌエット、バディネリーと、どれも名曲ぞろいです。個人的には終曲の短い「バディネリー」が大好きで、子供のころにラジオから流れたこの曲に凄く惹きつけられた記憶が有ります。

第2番に次いでは、むしろ第1番が気に入っています。第4番も悪くはありませんが、他の曲に比べると大分インパクト不足です。「ブランデンブルク協奏曲」は全曲が名曲なのに比べると、幾らか物足りないですね。もちろん好みの問題もありますが。

CDでは、全曲を買い求めるのがもちろんベストなのですが、よく第2、第3番だけで1枚のCDに収められてもいますので、それだけでも決して不足は無いと思います。

それでは、僕の愛聴盤をご紹介します。

1197040818カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管(1960年録音/アルヒーフ盤) オールド・ファンなら誰に聞いても「定番」に上げると思います。演奏は第2番が最高です。序曲の峻厳さはまるで、この人の「マタイ受難曲」の演奏を聴いているようですし、オーレル・ニコレの滋味溢れるフルート演奏を聴くことができます。ところが、第3番の序曲などでは堂々として聴きごたえが有りますが、トランペットの音量が大き過ぎてバランスを崩しています。これはこの人の「ロ短調ミサ」でも感じた欠点です。ですので、全体は手放しで好きな演奏というわけでもありません。

727パブロ・カザルス指揮マールボロ祝祭管(1966年録音/SONY盤) 実は昔アナログ盤で愛聴したのはカザルス盤でした。この人の「無伴奏チェロ組曲」や「ブランデンブルク協奏曲」の演奏には、少々古臭さを感じてしまいますが、この管弦楽組曲には感じません。もちろん現代楽器による編成の大きい演奏ですが、あくまでも弦楽が主体となり、トランペットの音は完全に柔らかく弦に溶け込んでいます。その点では古楽オケ以上かもしれません。また、驚くほどにリズムが厳しく、生命力を持っています。この老カザルスの指揮ぶりには、畏怖心すら感じてしまいます。第2番、第3番はもちろん素晴らしいですが、1番や4番なども、とても良い曲に感じさせてくれます。この組曲の芸術的価値を最も高めている演奏かもしれません。最後に「G線上」の演奏が、うわべの綺麗さとはまるで無縁で感動的なことを記しておきます。

41cbn4e0rkl__sl500_aa300_ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティクヮ・ケルン(1982、85年録音/アルヒーフ盤) 初めは82年に録音された第2番だけを聴きましたが、それまで聴いて来たこの曲とはまるで異なる新鮮さがとても気に入りました。楽器の響かせ方も含めて非常に室内楽的で、緻密なアーティキュレーションが実にスリリングだったからです。しかも表面的な印象は全く無く、バロック音楽と真剣勝負する真摯さに圧倒されたのです。その後、85年に録音された3曲もやはり同様に素晴らしい出来栄えです。ゲーベルという演奏家の底知れない凄さを感じてしまいます。彼らの「ブランデンブルク協奏曲」も素晴らしい演奏でしたが、この演奏もまた格別です。

51ufofldizl__sl500_aa300_トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管(1988年録音/RCA盤) 古楽器派としては非常にオーソドックスな演奏です。響きは古雅で美しく、安心して聴いていられます。ただし、逆に「古楽器による演奏」だということ以外には余り魅力を感じません。第2番の序曲や「G線上」などは、軽やかに通り抜けてしまうだけで、感動には程遠いように思います。それが「バロック音楽」というものなのであれば、僕はバロック音楽には縁遠い人間だということになるかもしれません。皆さんはどのように感じられるのでしょうね。

ということで、現代楽器では偉大な精神を感じさせるカザルス盤、古楽器ではゲーベル盤が気に入っています。

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2012年4月16日 (月)

J.S.バッハ オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1060a 名盤

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バッハには「2台のチェンバロのための協奏曲」BWV1060という曲が有りますが、実はこれは元々「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」として書かれた曲をバッハ自身の手で2台のチェンバロ用に書き替えたものです。ところがオリジナルの楽譜は紛失されてしまったので、残されたチェンバロ用の楽譜を元に原曲の楽譜を復元したという、少々ややこしい経緯が有ります。

なにはともあれ、こうして復元されたのが「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1060a」です。おかげで、我々は今こうしてバッハの名曲を鑑賞することが出来るのです。

それにしても、この曲は本当に素晴らしい作品です。比較的短めですが、バッハの魅力が一杯に溢れています。個人的には、3曲のヴァイオリン協奏曲よりも更に好んでいます。但し、原曲の復元のために大きな貢献をしたチェンバロ協奏曲で聴くのは好んでいません。オーボエの音が抜けると、どうも間が抜けて聞こえます。まるで、歌の無いカラオケの伴奏だけを聴かされているような気がします。ですので、僕はもっぱら原曲のオーボエとヴァイオリンの版で、聴いています。特に第1楽章に魅力を感じますが、2楽章、3楽章も聴くほどに味わいの深まる名曲です。

第1楽章アレグロ いきなり押しの強い旋律が弦楽合奏とともに登場します。どこか哀しみに包まれているようでいて、同時にその涙をふり払うかのような強さを感じて素晴らしいです。オーボエとヴァイオリンの二つの音色のからみ合いは絶妙で、名旋律を最高に生かし切っています。

第2楽章アダージョ この楽章でも、ゆったりとした美しい旋律がオーボエとヴァイオリンによって歌い継がれてゆきます。

第3楽章アレグロ 毅然としたリズムに乗って、ヴァイオリンが妙技を展開します。中間で頻出するシンコペーションは非常に効果的で、ブラームスばりです(逆か??)。

それでは僕の愛聴盤をご紹介します。

Winschermanヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮、Ob)、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Vn)、ドイツ・バッハ・ゾリスデン(1962年録音/CANTATE原盤:日本コロムビア盤) ドイツ・バッハ・ゾリスデンは日本でも古くから人気が有ったので、何度も来日しましたが、僕は残念ながらLP盤で親しんでいただけです。この演奏は本当に好きでした。ヴィンシャーマンの太く男っぽい音色は、いかにもドイツ気質を感じさせて、フランス系の奏者とはまるで異なりました。素朴で深く、ゆったりと重みのある演奏が何とも言えません。やはり自分にとっては、ヴィンシャーマンのこの演奏がこの曲の原点なのです。GFヘンデルのヴァイオリンはヴィブラートをかなり控えているので、昔は下手なのと勘違いをしましたが、実は古楽器奏法の先取りをしていたのですね。今こうして聴くと、オーボエとのからみ合いが素晴らしいです。

Winscherman_livejpegヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮、Ob)、ドイツ・バッハ・ゾリスデン(1970年録音/日本ビクター盤) ドイツ・バッハ・ゾリスデン4回目の来日公演が録音で残されています。会場は東京の杉並公会堂です。前述のスタジオ盤と比べると随分と流麗な音の印象を受けます。ライブならではの感興の高さを感じますので、スタジオ盤とはなかなか甲乙がつけがたいところです。ヴィンシャーマンはこのずっと後にスタジオでの再録音を行っていますが、オーボエは既に自分では吹いていません。それに、テンポも古楽器派のように速まっていますので、自分の好みからは遠ざかってしまいました。

51ef28vxmyl__ss500__2カール・リヒター(指揮)、エドガー・シャン(Ob)、オットー・ビュヒナー(Vn)、ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1960年代録音) ヴィンシャーマンに比べれば、ずっと速めのテンポでリズミカルですが、ドイツ的な堅牢さも感じさせるのが良いです。古楽器派全盛の時代に改めて聴き直すと、古めかしさよりも逆に新鮮な印象すら受けます。もちろんソリストの演奏は悪くありませんが、ヴィンシャーマン盤ほどの音の太さとコクは感じません。あくまでもリヒターの指揮するドッペル・コンチェルトの魅力を味わうべきだと言えそうです。

419wmnm084l__sl500_aa300_ネヴィル・マリナ―(指揮)、ハインツ・ホリガー(Ob)、ギドン・クレーメル(Vn)、アカデミー室内管(1982年録音/フィリップス盤) リヒター盤とはうって変って、指揮者のマリナーの存在が霞んでしまう演奏です。ホリガーとクレーメルという、それぞれの楽器の最高の名手が繰り広げるスリリングな掛け合いの楽しみが全てです。第1楽章などは少々速過ぎるように思いますが、この、手に汗握る演奏こそが彼らの真骨頂です。但し個人的には、やはりこの曲はヴィンシャーマンの旧盤のようにどっしりとした演奏が好みではあります。

というわけで、何と言ってもヴィンシャーマンの2種類の演奏が最高です。

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2012年4月15日 (日)

バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ/ユーディ・メニューイン盤

今回、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」を色々と聴き比べているうちに、もう一人どうしても聴いておきたくなった演奏家を思い出しました。それは、ユーディ・メニューインです。そして、聴いてみて、良いか悪いかはともかくとして、とてつもない衝撃を受けた演奏でした。先日の記事に追記しましたので、ご興味を持たれる方は宜しければ目を通してみて下さい。
バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ ~奇跡の音楽~

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2012年4月12日 (木)

J.S.バッハ ヴァイオリン協奏曲集 BWV1041~1043 名盤

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無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ集は、バッハの残した器楽曲の最高峰と呼べるでしょうが、余りにも音楽的な深さが計り知れないことから、最初はなかなか入り込んで行けないかもしれません。その点、ヴァイオリンのために書かれた3曲の協奏曲は、どれもがとても馴染みやすい曲なので、もしもバッハにこれから親しみたいと思っておられる方には、第一にお勧めできる名曲集です。

ところで、ヴァイオリン協奏曲というのは、イタリアのアントニオ・ヴィヴァルディが確立した音楽だと言っても誤りでは無いでしょう。何しろ、作品の数は200曲以上と言われます。あの「四季」は、その中で最も有名な作品です。それに対して、バッハは現存する作品が僅かに3曲のみ。実際にはもう数曲書いたようですが、楽譜が残っていません。「四季」を含む200対3では、とても勝負にならなそうですが、ところがどっこい、この3曲は非常な傑作ぞろいです。例えてみれば、大阪城で20万の徳川軍勢を迎え撃つ、真田幸村率いる少人数の精鋭隊のような作品集です。もっともそれは、そんな傑作集をも遥かに凌駕してしまう無伴奏ソナタとパルティータというのは、いったい何という作品なのだということになります。まあ、それはともかくとして、この3曲を聴きましょう。

第1番と第2番はヴァイオリン学習者の練習曲に使われるぐらい技術的には易しいですし、音楽的にも分かりやすい曲ですが、プロが弾くにはそれ相応の内容を求められますので、そんなに簡単にはすみません。

ヴァイオリン協奏曲集第1番イ短調BWV1041

冒頭から、ヴィヴァルディ先生の甘く優しい音楽とはだいぶ異なります。威厳に満ちていて、やはりドイツの音楽だなぁと思わずにいられません。1楽章は短調の哀愁漂う旋律が非常に魅力的です。2楽章は美しいアリアで、宗教曲のような崇高さを感じます。3楽章はブランデンブルク協奏曲のような楽しさが有ります。この曲は、後に「チェンバロ協奏曲BWV1054」に編曲されました。

ヴァイオリン協奏曲集第2番ホ長調BWV1042

1楽章は第1番とは対照的に長調の明るい曲で祝典的な喜びに満ちていますが、この格調の高さは、やはりイタリアン・バロックの雰囲気とは異なります。2楽章は荘厳な美しさがあります。3楽章は舞曲風ですが、楽しさで一杯です。この曲は、後に「チェンバロ協奏曲BWV1058」に編曲されました。

2つのヴァイオリンのための協奏曲二短調BWV1043

2台のヴァイオリンが対等に扱われていますが、独奏を支える合奏も充実していて、3者の掛け合いが非常に魅力的です。独奏は1番、2番ほどには目立ちませんが、凛とした雰囲気が素晴らしいです。2楽章の詠嘆の歌も美しく、心の底に深く染み入ります。この曲は、後に「2台のチェンバロのための協奏曲BWV1062」に編曲されました。

通常は1枚のCDに3曲を収めているので、購入がし易いです。それでは僕の愛聴盤をご紹介します。

M000083423310204ヘンリク・シェリング独奏/指揮コレギウム・ムジクム・ヴィンタートゥール(1965年録音/フィリップス盤) 昔アナログ盤で聴いていた演奏で、定番と呼ばれました。マリナー指揮の再録音盤も有りますが、こちらではシェリングが自ら指揮もしています。現在聴くと、だいぶロマンティックに偏ったヴァイオリンだなとは思いますが、音程が完璧なのと、リズムを少しも崩さないので古臭さを感じません。楽器の音色がとにかく綺麗です。「無伴奏」の録音よりも、むしろこの人の実際の音に近く感じます。落ち着きのあるテンポには威厳を感じますし、ヴィンタートゥールの響きもがっちりしていて素晴らしいです。「2台」でヴァイオリンを弾くのはペーター・リバールですが、シェリングとぴったりの音色でとても上手いです。古楽器全盛の時代にあって、少しも魅力を失わないどころか、より輝きを増す素晴らしい演奏だと思います。

Bach_violin_conカール・ズスケ独奏、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管(1977-78年録音/Berlin Classics盤) ズスケの音は非常に端正で美しいですが、楽章によっては真面目過ぎて面白みに欠ける気もします。技術的には完璧とは言えずとも、充分許容範囲と言えます。むしろ問題なのは、ゲヴァントハウスの音が弱いことです。あの荘厳な響きを期待すると裏切られます。そういえばマズアのバッハというのは余り他に記憶が有りませんが、何を聴いても感心したことのないマズアはゲヴァントハウス管にバッハを演奏させても「マズあ」なのでしょうか。それとも管弦楽の音の薄い録音のせいなのか・・・。

419wmnm084l__sl500_aa300_ギドン・クレーメル独奏、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管(1982年録音/フィリップス盤) どの曲も速いテンポで駆け抜ける演奏は爽快です。一見飄々と弾いているようで、速いパッセージにもニュアンスが込められているので聴き逃さないようにするのが楽しみです。現代楽器でもこれほど新鮮で刺激的な演奏が可能だと言う良い手本ではないでしょうか。特に面白いのは、クレーメルが一人で多重録音をした「2台のための協奏曲」です。2台が対等に書かれている作品なので、これが究極の演奏かもしれません。でも、いくらクレーメルが上手くても実演では絶対に不可能なのが残念ですね。どうせ録音なら、合奏団も自分で全部演奏してしまえばいいのにね。うん?楽団ひとり??

Bach_violin_con_haggモニカ・ハジェット独奏、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管(1985年録音/エラート盤) ハジェットがコープマンとコンビを組んでいた時代の録音です。「無伴奏」では、あれほど自由奔放に弾いていたハジェットですが、ここではかなり規律正しく弾いています。とは言え、やはり彼女の表現力は並みではありません。速さを競うような古楽器派とは一線を画して、むしろ落ち着いたテンポで、ニュアンス豊かに弾いているのがとても楽しいです。それでも古雅な音色は、管弦楽と共にとても魅力的ですし、ヴィブラートを控え目にでもかけているのは、自分としてはノン・ヴィヴラートよりも好ましく思います。「2台」の相方はアリソン・ベリーですが、ハジェットに比べると幾らか聞き劣りします。

というわけで、現代楽器ならシェリング、クレーメルのどちらも好きですが、最近は古楽器のハジェットを好んで聴いています。

ところで、せっかくですのでチェンバロ協奏曲に編曲した演奏もご紹介しておきます。

41022e8tq7l__sl500_aa300__2トレヴァー・ピノック独奏/指揮ジ・イングリッシュ・コンソート(1979-81年録音アルヒーフ盤) バッハの曲は元々、演奏楽器を余り特定されない傾向が有りますが、名曲は何の楽器で演奏されても名曲です。バッハのチェンバロ協奏曲は12曲以上有りますが、最初からチェンバロ用に作られたものはその半分以下です。チェンバロの古雅な雰囲気もヴァイオリンとはまた違った良さが有って楽しめます。楽器の特性から調も変わりますので、音楽の印象も随分と変わって面白いです。ただ、この3曲の中で一番チェンバロに向いているのは「第1番」だと思います。「第2番」と「2台」は、明らかにヴァイオリンに向いていると思います。全曲盤は、僕はピノック盤で聴いていますが、第1番、2番に関しては、少々古いですがヘルムート・ヴィンシャーマン/ドイツ・バッハ・ゾリスデンのゆったりと貫禄のある演奏が大好きでした。

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2012年4月 5日 (木)

J.S.バッハ 「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」BWV1001~6 名盤 ~奇跡の音楽~

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大海よりも偉大なバッハ(ベートーヴェン談)の最高傑作は「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」としても、僕がかねがね奇跡の音楽と思っているのは「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ集」です。あの小さな楽器のヴァイオリンたった一台のために書かれた曲集であって、鍵盤楽器の伴奏も何も有りません。それが、大編成の声楽曲や交響曲にも負けないほどの大きな音空間を創り上げます。それは正に宇宙的なまでの広がりを持っています。これこそは奇跡以外の何物でもないと思います。

この曲の凄さを知ったのは、今から30年以上も前の僕がまだ20代の頃です。東京文化会館にヘンリク・シェリングのヴァイオリン・リサイタルを聴きに行きましたが、その時の曲目にバッハの無伴奏パルティータの第3番が含まれていました。演奏が始まると、それまで聴いたことも無いような美しい響きが、あの大きなホール一杯に響いてゆきました。演奏するシェリングの身体には少しも力みが無く、一見すごく軽く弾いているのですが、ふわりと自然に広がっていく音に、客席全体が包み込まれてしまいました。僕が聴いていたのは最上階5階のサイドなので、シェリングは見下ろすステージの上で弾いているのですが、音はまるで大きなホールの空間がそのままヴァイオリンになってしまったかのように感じられました。それは、あたかも大きなヴァイオリンの箱の中で聴いているかのような感覚なのです。ヴァイオリンのコンサートを聴きに行って、こんな感覚を持った経験は後にも先にもこの時だけです。恐らくは、バッハの音楽とシェリングの演奏が組み合わさって、初めてこのような現象が起こるのだと思います。この時の来日公演では、別の日のコンサートがTDKからライブCDとして出ていますが、あの体験は実際の会場で無ければ味わえないものだと思います。

要するに、この曲は、音楽の神様に選ばれし者に演奏されたときには、とてつもない音楽になってしまうのです。

この曲は3曲のソナタと3曲のパルティータが交互に配列されています。

1.ソナタ第1番 ト短調 BWV1001
2.パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
3.ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
4.パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
5.ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
6.パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006

最も良く知られているのは、パルティータ第2番の終曲「シャコンヌ」です。その長大な変奏曲は、パイプオルガンにも匹敵する巨大な音空間を想わせます。ソナタ第2番や第3番の長大なフーガも、旋律がどんどんと追いかけて行きますが、それがたった一本のヴァイオリンと弓で繰り広げられているかと思うと、とても信じられません。それに、ヴァイオリンは基本的に同時には二つの音(重音)しか出すことができませんので、三重音以上は分散和音のように弾きます。それをオルガンのように聴かせるわけですから、演奏も至難を極めます。音程と弓使いが完璧でないと音楽になりません。しかも単にテクニックだけで片付けられるような浅い内容の音楽ではありませんので、いよいよ演奏家には多くのものが要求されます。いずれも第2楽章にフーガを持つ4楽章構成のソナタも素晴らしいですが、古典舞曲を元にした短い曲を多く並べたパルティータの魅力も絶大です。第3番の「ブーレ」などは楽しさの極みですが、一方で第2番の「シャコンヌ」のような長大な曲も存在します。

いずれにしても、この「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」こそは、バッハの究極の器楽曲だと思います。

それでは僕の愛聴盤のご紹介です。

6c592408cbd172778c635c24b9b8e558ヘンリク・シェリング(1967年録音/グラモフォン盤) 昔から定盤と呼ばれている演奏です。本来はアナログ盤で聴くのが一番ですが、不公平になるのでCDで聴き比べることにします。実演での音空間は体験できなくても、家で聴くには充分美しいです。シェリングのベートーヴェンやバッハは、何ら大げさなことをしていないのに何故これほど音楽の偉大さを感じるかというと、基本は技術です。特筆すべきは音程の完璧性です。それは実演の場合でも全く変わることがなく、他の誰のスタジオ録音よりも音程が確かで、一音たりとも外すことが有りません。その結果、重音、アルぺッジオが非常に美しく響きます。まるでオルガンのような響きを感じさせる奏者が他に居たでしょうか。その為には、ボウイング(弓使い)のなめらかさも不可欠なのですが、この人はほぼ晩年まで衰えることが有りませんでした。技術的な難所にあっても微動だにしないテンポの安定性も特筆されます。結果として、フーガでの構築性や立派さは比類が有りません。情よりも知に優る演奏ですが、バッハの音楽の計り知れない大きさや凄さを最も感じさせてくれるのは、やはりこの演奏が一番です。

Swscan00106ヨハンナ・マルツィ(1954年録音/テスタメント盤) 原盤はEMIですが、古いアナログ盤が希少のために、中古市場で驚くほどの高値を呼んだことで有名です。それが今では普通にCDで聴くことが出来るのが嬉しいです。彼女の音を聴いていて、なぜか連想してしまうのがピアノのリパッティの音です。派手さは無いのですが、純朴でとても美しい音です。技術的にも安定しているので、重音が美しく響きます。演奏スタイルも良く似ていて、誇張や派手さは全く無いのですが、深く心に染み入ってきます。何よりも音楽に「祈り」を感じさせるのが素晴らしいです。この敬虔な雰囲気の中に、いつまでも浸っていたくなる感覚というのはそうそう有るものではありません。とはいえ曲によっては相当な気迫を感じさせます。彼女はやはり凄いバイオリニストだったと思います。テスタメントのリマスターには充分満足していますが、本家のEMIからもボックス盤で出ています。

398ヨゼフ・シゲティ(1955-56年録音/ヴァンガード盤) シゲティは偉大なヴァイオリニストだと思いますし、この人の弾くブラームスなどは、その深い情感に涙がでるぐらい感動します。では、バッハはどうかというと、緩徐楽章では大きなヴィブラートで情緒的に強く訴えかけますし、「シャコンヌ」などは痛切なほどですが、時折見せるポルタメントに、いささか古めかしさを感じます。重音や、スタッカートの音には気迫がこもっていますが、どうしても音に荒さを感じてしまいます。この奇跡の曲を演奏するための技術には不足を感じずにいられません。個性的で説得力は有りますが、総合的にシゲティのバッハは手放しでは受け入れられません。同じハンガリー出身でも、マルツィの演奏のほうがはるかに普遍性が有ると思います。

Ym449ユーディ・メニューイン(1956-57年録音/EMI盤) 子供のころから「神童」ともてはやされたメニューインは、ある専門家によれば、デビュー前にマスターしておかなければならないヴァイオリニストとしての基礎技術が欠けていたそうです。それでは大人になってからは、豊饒な音も持たず、確かな技術も無いとなると、何が特徴かということになりますが、月並みな表現ですが、この人には「精神」が有ったと思います。この演奏も、聴き始めは音程の不安定さと汚い音に耳を覆いました。第1番のフーガなどは、「のこぎりを引いているのではないか」と思ったぐらいです。ところが聴き進むうちに、それでもバッハの偉大な音楽に真正面から必死で立ち向かう姿が浮き上がってくるのです。それは、燃えさかる炎の中に人を助けに飛び込んでゆくような、人間の意思を超えた何か壮絶なものを感じずにいられません。決してリファレンスの演奏にはなり得ませんが、「凄いものを体験した」という聴後感は、シゲティ以上かもしれません。

51j21715r8l__sl500_aa300_ナタン・ミルシテイン(1973年録音/グラモフォン盤) 昔から、(シゲティは別にして)シェリングと並ぶ定番なのは知っていましたが、実は聴いたのは今回が初めてです。シゲティほどに激しく楽器を痛めつけませんが、その気迫はかなりのものです。技術も鮮やかですし、演奏に非常に切れが有ります。基本的にはロマン派の演奏スタイルなので、音楽の形式が自由で舞曲を多く含むパルティータのほうが適していると思います。事実、非常に素晴らしいです。ソナタも情感深く歌わせるアダージョやシャコンヌは素晴らしいと思いますが、フーガ楽章で音が次々に重なって巨大になってゆく造形性はシェリングほどには再現できていません。重音の和音の美しさも、やはりシェリングには一歩譲ります。とは言え、やはり一つの時代を画した、非常に存在感の有る名演奏だと思います。

4110080336カール・ズスケ(1983-88年録音/シャルプラッテン盤) ズスケは、実演ではカルテットでしか聴いたことは有りませんが、非常にしなやかで美しい音でした。このバッハもドレスデンのルカ教会の響きと相まって、非常に美しい音を聴くことが出来ます。ユニークなのは、聴き手に聴かせようという意思が希薄で、ひたすら自己の内面に向き合っているかのように内省的な演奏です。自分の魂との対話・・・そんな印象なのです。技術的には、フーガ楽章などでポリフォニーが充分に再現できているかというと少々難しいといころですが、細部にこだわらず全体を通して聴いていると、いつの間にか惹き込まれてしまいます。

971モニカ・ハジェット盤(1995-96年録音/EMI盤) コープマンと一緒にアムステルダム・バロック合奏団を結成して、途中までコンミスを務めていたハジェットは、彼女がまだ10代だった1970年頃からバロック・ヴァイオリンを弾くという筋金入りの古楽器奏者です。その後大勢の奏者が出てきましたが、この人の演奏は一味違うと思っています。40代に録音したこの「無伴奏」は、本当に面白いのです。ズスケが自分の魂との対話だとすれば、ハジェットは、さしづめ名女優です。驚くほど表情が豊かで雄弁に演奏していますので、下手をすると単に姑息な演奏に陥ってしまいそうですが、そうはならずにバッハの音楽の別の面を語り尽くしています。まるで、英国のシェイクスピア俳優の台詞を聴いているみたいです。そういえばハジェットもイギリス出身でした。アマティ制作の1618年クレモナのヴァイオリンの素晴らしい音が優秀な録音で楽しめるのも魅力です。

もちろん、これ以外にも魅力的な演奏があるだろうとは思いますが、シェリングの演奏を本命として、マルツィを次点、ミルシテイン、ズスケ、ハジェットを決して外せない演奏だと思います。メニューインについては別枠扱いです。

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2012年3月31日 (土)

J.S.バッハ カンタータ 第140番「目覚めよと我らに呼ばわる声あり」BWV140 名盤

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「バッハは小川にあらず、海よりも偉大である。」と語ったのはベートーヴェンです。「Bach」はドイツ語で「小川」を意味するので、例えに使ったわけです。

それにしても、この小川さんは大変な人です。教会音楽家ですので、宗教声楽曲を数えられないほど多く書いていますし、器楽曲などもやはり相当な数に及びます。そのうえ、子供の数も数えられないほど(というのはオーバーですが、20人です)たくさん作ったことは良く知られています。「音楽の父」であり、大勢の子供の父親でもあったわけです。作曲に忙しかったのでしょうに、夜もホントに精力的だったのですね。やっぱり偉人は違います。

話を戻して、声楽曲の大傑作と言えば何と言っても「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ミサ曲ロ短調」です。これらは大海に浮かぶ大陸のようなものです。極論すれば、バッハはこの3曲に始まり、この3曲に終わると言っても言い過ぎでは無いのかもしれません。でも、そうは言っても、他にも多くの名作が有ります。特にカンタータには、楽譜が残っているものだけで200曲以上、分らなくなったものも合わせると300曲は書いているはずだと言われています。そんなアルプス山脈のようなカンタータ群には、聴き込もうとしても、余りの曲の多さに、どこから山頂を目指して登って良いのか分からず、山のふもと辺りでうろうろしている自分を見るような気分です。

でも、そんなカンタータの中に、昔から大好きな愛聴曲が有ります。第140番「目覚めよと我らに呼ばわる声あり」です。この曲のコラールは、何でも「三位一体節後第27日曜日用の作品」として書かれたそうですが、キリスト教徒でない自分にはそれが何のことかよく分かりせん。ただ、この日は暦の関係で、復活節が相当早く、3月26日以前に繰り上がった年にのみ巡ってくるそうで、かなり珍しいのだそうです。バッハのカントル在職中にもたった2回有っただけなので、この日のためのカンタータはこの曲が唯一なのだそうです。

この曲の歌詞は、マタイ伝の一節が元になっていますが、それは花婿の到着を待つ花嫁と出迎えの10人の乙女たちの話です。

『結婚式が予定されて、花嫁と乙女たちは花婿の到着を待っているが、いつまでたっても到着しないので、皆寝込んでしまう。すると、夜も更けた頃に花婿の到着を告げる物見らの「目覚めなさい」という声に起こされる。けれども、灯火の油をちゃんと用意していた5人の乙女は婚礼に参加できたが、残りの5人の乙女は参加させてもらえなかった。』という内容の話です。

「花婿」というのはイエスのことで、「10人の乙女たち」というのは我々人間(信者)のことです。要するに、これはイエスの再臨(神の国の到来)についての例え話です。その日は中々やっては来ないけれども、その日のためにいつも心して準備しているように、という教えなのですね。

曲は7曲で構成されています。

1.コラール「目覚めよと我らに呼ばわる声あり」

2.レシタティーフ(テノール)「来る、来る、花婿が来る」

3.アリア(ソプラノ、バス)「いつ汝は来るや、我が救いよ」

4.コラール(テノール)「シオンは物見らの歌うを聞く」

5.レシタティーフ(バス)「さあ私のところに来なさい」

6.アリア(ソプラノ、バス)「我が友は我がもの」

7.コラール「栄光が汝に向かって歌われよ」

第1曲のコラールは付点リズムでさっそうと、かつ威厳を持って足取りを進めます。非常に素晴らしい曲ですが、そういえば、ソフトバンクのお父さん犬のCMの初めのころのにバックで流れていました。

第3曲の二重唱は、イエスと花嫁として描かれた信者の魂との対話です。オブリガードで奏されるヴィオリーノ・ピッコロが非常に美しいです。

第4曲のコラールは、バッハの書いた最も美しいコラールではないかと思います。弦楽のユニゾンに伴奏された歌のなんと美しいこと!ところが、実は大きな問題が有ります。この曲のテノールのパートが、楽譜上にただ「テノール」と書かれている為に、合唱なのだか独唱なのだかが明確でなく、演奏は解釈で分かれます。楽譜の指示では確かに独唱のように受け止められなくも有りませんが、3曲のコラールのこの曲だけが独唱で歌われるのには違和感を感じます。結論は出ないでのしょうが、個人的にはこのテナー・パートの音型はどう聴いてもコラール(合唱)音型ですので、合唱が正解だと思っています。

第6曲の二重唱も再びイエスと花嫁の対話ですが、印象的なオーボエの助奏を伴って、「汝は我と天のバラの中で楽しまん」と喜びを歌う至上の愛のデュエットです。

第7曲のコラールは栄光の喜びに溢れた感動の終曲になります。

このカンタータは本当に素晴らしい作品です。他にも好きなカンタータは幾つか有りますが、この曲ほど充実仕切った名作は、いまだ知りません。バッハ愛好家にとっては、何を今更のことでしょうが、もしも、これから聴き始めようという方がおいででしたら、真っ先にお勧めしたいのがこの曲です。

僕の愛聴盤ですが、教会合唱団が好きなので、かなり偏っています。

089クルト・トーマス指揮聖トーマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管(1960年録音/Berlin Classics盤) 大学生のときに最初に聴いた演奏です。東芝EMIのアナログ盤でした。現在はCDで聴いていますが、この名曲をこの演奏で知ったのは幸せでした。ゆったりとしたテンポのコラールは威厳に満ちていて、立派この上ありません。第4曲のコラールも独唱では無く合唱ですが、これを聴いてしまっては独唱では満足できません。独唱陣もロッチェ、グリュンマー、アダムの3人とも素晴らしいですが、二重唱のアリアも最高です。ゲヴァントハウス管も現代楽器ながら古風な音色が素晴らしく、上手さも文句無しです。クルト・トーマスはラミンの後任としてトーマス・カントルに就任しましたが、たった3年で西側へ亡命してしまったために、録音が非常に少ないので、カンタータ集のCDが海外盤だけとはいえ数枚残されているのは嬉しいです。

P1000831エアハルト・マウエルスベルガー指揮聖トーマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管(1966年録音/アルヒーフ盤) クルト・トーマスの後任のトーマス・カントル(洒落では無い)は、マウエルスベルガー兄弟の弟のエアハルトです。トーマスと比べると幾らか速めのテンポですが、伝統的なスタイルを守っています。独唱陣はギーベル、シュライヤー、アダムと名歌手が揃っていますし、ゲヴァントハウス管ももちろん素晴らしいです。ところが問題は、第4曲をテノール独唱にしていることです。これは、どんなにシュライヤーの歌唱が素晴らしくても、合唱の感動には及びません。非常に悔やまれます。この演奏は組み物のCDには含まれているようですが、単独では出ていないません。ですので僕は昔のアルヒーフのアナログ盤で聴いています。

909ハンス・ヨアヒム・ロッチェ指揮聖トーマス教会合唱団/新バッハ・コレギウム・ムジクム(1983年録音/Berlin Classics盤) 弟マウエルスベルガーの後任としてトーマス・カントルに就任したのはロッチェでした。この人は、クルト・トーマス盤で素晴らしいテノールの歌を聴かせていました。この演奏ではオーケストラがゲヴァントハウス管のメンバーからなる小編成の合奏団になっています。そのためか、演奏のスタイルはテンポが速めでリズムを強調した、ピリオド奏法に近づいています。第4曲を合唱が歌うのは我が意を得たりで良いのですが、ソプラノがやや落ちるために、二重唱の感動がいま一つです。聖トーマス教会合唱団は相変わらず真摯な歌声が素晴らしいです。

Imagescak42olwカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管(1978年録音/アルヒーフ盤) リヒターが音楽家になるきっかけになったのは、この曲に心を打たれたからだという話を記憶しています。その為に、非常に思い入れの有る演奏をしていて一般の評判も良いのですが、僕には遅いテンポでリズムが重く、引き擦るように感じられます。思い入れが余りに強過ぎてしまったように思うのです。リヒターも第4曲のコラールをテノール独唱としているので、それも僕には大きなマイナスポイントです。

この曲は、福音書の内容や歌詞が全く分らずとも、音楽的な素晴らしさに感動することが充分に可能です。ですのでご心配なくこの名曲を気軽に味わってください。そして、どうかバッハの素晴らしさに目覚められんことを!

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